下記文章はHPからの索引です。
好文亭の名前の由来は、晋(しん)の武帝の故事「文を好めば則ち梅開き、学を廃すれば則ち梅開かず」により、梅の異名を「好文木(こうぶんぼく)」といったことから命名されたといわれています。
二層三階の好文亭と北側の奥御殿からなり、一般に全体を総称して好文亭と呼んでいます。
昭和20年の水戸空襲により焼失しましたが、昭和30年から3年かけて復元されたものです。好文亭三階の楽寿楼(らくじゅろう)からの千波湖や田鶴鳴梅林の四季折々の眺望は見事です。
二層三階の好文亭と北側の奥御殿からなり、一般に全体を総称して好文亭と呼んでいます。
昭和20年の水戸空襲により焼失しましたが、昭和30年から3年かけて復元されたものです。好文亭三階の楽寿楼(らくじゅろう)からの千波湖や田鶴鳴梅林の四季折々の眺望は見事です。

好文亭は水戸藩第九代藩主徳川斉昭(とくがわなりあき)の別墅(べっしょ)であるが、そこは己一人が楽しむ所ではなく、民と 偕(とも)に楽しむ所であった。


私が今回観光してみて思ったことは、襖絵がすばらしいと感じました。
菊の間
桃の間

つつじの間

松の間

紅葉の間

竹の間

梅の間

これ不明?忘れました。

萩の間

桜の間


太鼓廊下

東塗縁広間

千波湖が眼科に見えます。

畳まで葵のご紋だらけです。

亭内が寒かったので、温かいおしるこを偕楽園内のお店で食べました。
美味しかったよん!!
