こんにちは。西林あかねです。
40歳を前にして、人生最大の転換期がきました。
それは、今まで考えたこともなかった、起業をするという道です。
何故、今私が起業しようと思ったのか『今の私に至るまで』の
ストーリーを紹介していきたと思います。


1982年愛媛県松山市で生まれ育ちで
会社員の父と保育士の母のもとに長女として生まれ、妹がひとりいます。
子供の頃から「 いつもニコニコしているね」と言われ
誰とでも話せる子供でした。

 



幼少期は『オカンみたいやね』って
幼なじみや友達から言われることが多く
まだ子供なのに
『おかん』って言葉が褒められているのか
よくわからなかったけれど
人から頼られることも多かったように思います。
それはきっと、自分が話すより相手の話の聞き役になっていたからだと思います。


両親は共働きで
父は営業の仕事で夜中に帰って来て話すことはほとんどないし
母は県職員で保育園の先生をしていて
保育園の子供たちのためにプレゼントを作ることが多くて
私の物はついでに作っているのだと思い、「私は、お母さんの子供じゃないんだ。」と
やきもちを焼いたり、母のいないところで泣いていました。
ですが、一生懸命夜遅くまで働く母の前では泣くことはできませんでした。
私が泣くことで迷惑がかかる、わがままになる、泣くことは悪いことみたいな気持ちが
あったんだと思います。


こんな忙しい両親のもとで育ち、中学まで祖父母の家を行き来する生活でした。
親戚や姉妹の中でも一番上だったので、
しっかりしなきゃという思いもありつつも、寂しさを感じていまいした。


祖父母との生活の中でお年寄りと話す機会も多く、
中学生の時には将来、介護福祉士になると決めていました。
頑固で意見を曲げないところがあり、
母からは、
「将来の夢を決めてしまうのには、まだ早いんじゃない?これから色々な経験をしていく中で決めてもいいと思うよ。
介護士以外にも看護師や福祉の分野でも他の仕事もあるからね。」と言われたこともありました。


しかし私は、
「看護師は無理だよ。人に注射することなんて出来ないし、怖いし。
勉強も嫌いだし、身体をつかって覚える仕事の方が向いているし。」と、
福祉の分野の他の仕事を調べてみることもせず、介護の道しかないと思い込んでいました。


中学の時には、ボランティア活動が盛んに行われていた時期でした。
ボランティア活動は、
毎週配食サービスをしていて、独居のお年寄りの家にお弁当を届けていました。
「ありがとう、楽しかった!元気になるよ。」と言ってもらえて
私が訪問することで元気になる人がいるんだと、とても嬉しかったことを覚えています。


頑固で意見を曲げない性格を知っている母は、
介護福祉士になりたい私の行動に対して何も言いませんでした。
母の気持ちとしては、ボランティアに参加するのはいいけれど、
介護だけではなく、視野を広く持って、
看護師や社会福祉士の道も私に考えて欲しいと思っていたようです。
介護の仕事は、低収入で肉体労働、しかも夜勤があります。
そんな環境が母親の気持ちとしては、心配だったようです。

 

 

高校時代はエンジェル部という名前のボランティア活動を行う部活に入り
ここでもボランティア活動に没頭していました。
活動内容の1つに、介護施設に訪問する際の一緒に楽しめるレクリエーションを考えたり、
毎週日曜日には障害児の家に行き、リハビリのお手伝いをしたりしていました。

 



高校卒業後、
介護の専門学校に行き、介護の基礎、介護技術、介護実習だけではなく、
レクリエーションや医学、手話や点字なども勉強しました。
介護福祉士としてお仕事をしていくといっても、
在宅、病院、施設や施設の中の老人などたくさんの選択肢がありました。
自分に合った職場環境はどんなところなのかを知るための介護実習がありました。
泊りがけの実習や夜勤実習も体験しました。


二度目の実習先では、一ヶ月も泊りがけで初めて家から離れたので、ホームシックになりました。
顔の知れた実習仲間はいましたが、自分とは雰囲気の違うメンバーで、
その時は上手く仲間に入れず、孤独感を味わっていました。
その上、実習先の職員の方が話す方言がわからず、
語尾や口調がきついと感じることがあり、
毎日「もう家に帰りたい。あー、もう無理。やっていけない。」と思うばかりでした。
そんな気持ちで実習を行っていたせいで、
職員の方からの評価も低くなり、先生も心配するほどでした。
当時はホームシックで、実習自体に身が入らなくなっていたのだと思います。


そんな苦い介護実習の思い出から、その時の私は、これから後輩たちが
自分と同じような気持ちや経験をしないように、
現場で働きだした時に実習生がいたら声をかけてあげよう。
考えていたことを覚えています。


就職活動も本格的に始まり、周りは内定をもらう中、
私が働きたいと思っていた施設の求人はなかなか出ませんでした。

11月まで待ってみても求人は出ることははく、他の施設の求人も少なくなっていき、
気持ちの中で焦りはありましたが、初めてお勤めするのだから、
自分が働きたいと思える施設で働きたいとの思いの方が強く
学校の求人では働きたいと思える施設が見つからなかったので探すことを諦め、
自分で施設見学に行こうと思ったのです。


そんな時に祖父の知人の方から
「新しい介護施設が近くに出来るんだけど、そこで働かない?」と声をかけてもらいました。
まさか声をかけてもらえるとは思ってもいなかったので、
驚きと喜びでいっぱいでした。
新しい施設なら人間関係も一からだろうし、
働きやすいのではないかと思い、すぐに面接に行きました。
後日、内定をもらい、3月から研修に行くことになりました。


そして、介護福祉士の国家試験にも無事合格し、
20歳で介護福祉士になる夢を叶え介護施設に就職することができたのです。


子供の頃からの夢が叶い、
これから介護福祉士の道が始まります。
ボランティアではなく、介護のプロとして、
介護の道を極めて成長しようと決意したのでした。


第2話 『プロ介護士奮闘と旅立ち』へ続きます。