ウェルニッケ‐コルサコフ症候群
サイアミン (ビタミンB1)の欠乏によって発症する疾患で、急性症状をウェルニッケ脳症 (アルコール性脳症)、慢性状態をコルサコフ症候群 という。ウェルニッケ脳症は可逆的で数週間以内に自然に消失することがあるが、コルサコフ症候群に進展すれば8割が回復しないが、生命の危険は少ない。意識障害、外眼筋麻痺、記憶力障害、小脳失調、失見当識(場所や時間が分からなくなる)の症状がでる。コルサコフ症候群では記憶障害の結果として、記憶の不確かな部分を作話で補おうとすることが知られる。サイアミン 投与が有効である。
アルコール幻覚症
被害的内容の幻聴 を主とする幻覚 が、飲酒中止時や大量飲酒時に急性・亜急性に出現する。飲酒を中止することで、数週間以内に消失する。
アルコール性妄想状態
アルコール依存症でみられ、了解可能な嫉妬妄想が主。断酒によって次第に消失する。
ニコチン酸欠乏脳症(ペラグラ)
ニコチン酸(ナイアシン )の欠乏によって発症する。幻覚妄想やせん妄の症状がでる。
小脳変性症
文字どおり小脳 がアルコールの影響で変性することで発症する。歩行障害など下肢の失調 が起こる。
アルコール性痴呆
アルコール自体が痴呆 の原因となりうるのかは今のところ不明。ただし、臨床的にはアルコール摂取が背景になっていると見られる痴呆が確かに存在する。画像検査では、脳室系の拡大と大脳皮質 の萎縮が見られる。
アルコール性多発神経炎(末梢神経炎)
アルコールが原因の栄養障害(ビタミンB群とニコチン酸の欠乏)により発症する。四肢の異常感覚や痛み、感覚鈍麻や疼痛、手足の筋肉の脱力、転びやすい、走りにくいなどの症状。コルサコフ症候群に合併すれば、「アルコール性多発神経炎性精神病」と呼ばれる。

アルコール依存症の治療でまず大事なのが、「本人の認識」である。多くのケースでは、アルコール依存症の患者は自分がアルコール依存症であることを認めたがらない。認めてしまうと飲酒ができなくなってしまうからである。何よりもまず、本人に疾患の自覚と治療の意思を持たせることが大切である。

アルコール依存症の人の過剰な飲酒は、意志が弱いから・道徳感が低いからと言われたり、不幸な心理的・社会的問題が原因であると考えられがちだが実際はそうではなく、多くの場合この病気の結果であることが多い。つまり、アルコールによって病的な変化が身体や精神に生じ、そのために過剰な飲酒行動が起こるということである。このことをまず本人や周囲の者が理解し、認めることが、この病気から回復する上での欠かせない第一歩となる。

ただ、一度アルコール依存症になってしまうと治療は難しく、根本的な治療法といえるものは現在のところ、断酒しかない。しかし本人の意志だけでは解決することが難しい為、周囲の理解や協力が求められる。重度の場合は入院治療が必要な場合もある。但しそれでも完治する事はなく、断酒をして何年・十何年と長期間経過した後でも、たった一口酒を飲んだだけでも早かれ遅かれ、また以前の状態に逆戻りしてしまう。そのため、治療によって回復した場合であっても、アルコール依存症者が一生涯断酒を続ける事は大変な困難を要する。

 なお、現在では、精神科において断酒会の参加を奨励するとともに、シアナマイド経口薬により、アルコール摂取を制限し治療を進める病院もある。

自分の意志で飲酒のコントロールが出来なくなる。
アルコール依存症の人も、何とかして適量のアルコールで済ませておこうとか、あるいは今日は飲まずにいようかと考えていることが多い。過剰な飲酒がもたらすさまざまな有害な結果を知っているにもかかわらず、飲み始めると自分の意志では止まらなくなって酩酊するまで飲んでしまう。このような飲酒状態を「強迫的飲酒」という。
目が覚めている間、常にアルコール に対する強い渇望感が生じる。
強迫的飲酒が進んでくると常にアルコールに酔った状態・体内にアルコールがある状態にならないと気がすまなくなったり、調子が出ないと思うようになったりして、目が覚めている間は飲んではいけない時(勤務中や医者から止められている時など)であろうとずっと飲酒を続けるという「連続飲酒発作」がしばしば起こることがある。さらに症状が進むと身体的限界が来るまで常に「連続飲酒」を続けるようになり、体がアルコールを受け付けなくなるとしばらく断酒し、回復するとまた連続飲酒を続けるというパターンを繰り返す「山型飲酒サイクル」に移行することがある。ここまで症状が進むとかなりの重度である。
飲酒で様々なトラブルを起こし後で激しく後悔するも、それを忘れようとまた飲酒を続ける。
飲酒量が極端に増えると、やがて自分の体を壊したり(内臓疾患など)、社会的・経済的問題を引き起こしたり、家族とのトラブルを起こすようになったりする。それでさらにストレスを感じたり、激しく後悔したりするものの、その精神的苦痛を和らげようとまたさらに飲酒を繰り返す。このように自分にとってマイナス(負)な面が強くなっているにもかかわらずアルコールを摂取し続ける飲酒行動を「負の強化への抵抗」と呼ぶ。
退薬・禁断症状が出る。
アルコール摂取を中断した際、様々な症状が生じる。軽いものであれば、頭痛、不眠、イライラ感、発汗、手指や全身のふるえ(振戦)、めまい、吐き気などがあるが、重度になってくると「誰かに狙われている」といった妄想や幻覚・幻聴を伴った振戦せん妄、けいれん発作なども起こるようになる。患者にとってこれらは苦痛である為、それから逃れる為に飲酒をすることになる。
耐性の増大。
同じ酩酊感を感じるのに要する飲酒量が増大する。または、同じ飲酒量での酩酊感が減弱する。

通常は飲酒行動を、主にアルコールによって得られる肉体的・精神的変容に求めることが多いが、初めの頃は毎日飲むわけではなく、何かの機会に時々飲むだけという機会飲酒から始まる。しかし、何らかの原因で毎日飲む習慣性飲酒に移行することも多く、習慣性飲酒となると同じ量の飲酒では同じように酔うことが出来なくなり、次第に飲酒量が増えていくことになる(耐性の形成)。つまり、アルコール依存症になることはこの「習慣性飲酒」と深い関係があるということになる。

もちろん、習慣性飲酒をする人全てがアルコール依存症患者であるとは言えないが、何等かのきっかけがあればさらに飲酒量が増え、いつの間にか依存症に陥ってしまうという危険性は十分孕んでいると言える。

さらに、アルコール依存症患者の症状及びその周囲を取り巻く社会への影響から、この病気は次の特徴を持っている。

進行性疾患
自分が依存的に飲酒していると気付かずにそれを続けるとさらに飲酒量が増えて症状が悪化し、悪循環に陥る。
慢性疾患
一度依存に陥ると回復が極めて困難である。いわゆる「上手に酒を飲む」ということが出来なくなる。
人格変化を引き起こす疾患
依存に陥ったことを周囲のせいにしたりして攻撃的・他罰的・自己中心的な性格になる。或いは逆に自分のせいにして自虐的になり、後悔・不安・孤独に苛まれるようになる。
不治の疾患
一般に、一旦アルコール依存症になったものが元の機会飲酒者に戻ることはほとんど不可能であるとされている。
死に至る疾患
適切な対処をしなければ、内臓疾患あるいは極度の精神ストレスなどによる自殺・事故死など、何等かの形で死に至る。
家族にも何等かの悪影響を及ぼす疾患
飲酒による問題行動により、その家族は常にストレスに苛まれることになる。家族は常に飲酒をやめさせることばかり考えるようになり、家族まで精神疾患 を罹患してしまうケースも少なくない。家族との信頼関係の亀裂に始まり、別居や離婚へと発展して家族が崩壊する原因となったりする。

一見すると本人が自分の判断で好んで飲酒している様にみえ、患者自身も好きで飲酒していると錯誤 している場合が多い。その為、患者にアルコール依存症のことを告げると「自分は違う」などと激しく拒絶をされることも多々ある。しかし、依存が重度になると断酒によって肉体的・精神的に禁断症状が出るため、楽しむためではなく禁断症状を避ける目的で飲酒を繰り返すことになる。ゆえに、このような状態に陥ってしまうともはや自分の意志だけで酒を断つことが極めて困難となる。

また、アルコール依存症の形成を助長するものとして、アルコール依存症になる人の周囲には、しばしば、酒代になりうる小遣いを提供する家族や、しばしば過度の飲酒で生じる社会上の数々の不始末(他人に迷惑をかける、物品を壊す、等)に対して本人になり代わり謝罪する妻、といったように、その人の尻ぬぐいをすることで、かえって当人の反省を必要とさせず、延々と過度の飲酒を可能にしてしまうイネーブラー (Enabler)と呼ばれる存在があるとされる。(このため、いっさいのイネーブラーがいなくなると、本人が「底つき体験」(「どん底体験」とも。“このままでは大変なことになる”という意識の発生)をし、[[またEnabling と helping ははっきりと区別され Enabling はアルコール依存症及び習慣的慢性飲酒者が自力更生する慢性飲酒用の代替改善環境(うそも方便、恐怖心からの飲酒、他人からの飲酒での金融ローン依存行為、さらなる飲酒への期待感が増大、仕事上の不始末環境等)を意味する事がある。[1] また、それをきっかけにアルコール依存症から立ち直るという現象も経験的に知られている。)

アルコール依存症の患者は、アルコールによって自らの身体を壊してしまうのを始め、家族に迷惑をかけたり、様々な事件や事故・問題を引き起こしたりして社会的・人間的信用を失ったりすることがある。症状が進行すると身体とともに精神にも異常を来たす深刻な疾患である。

以前は慢性アルコール中毒 、略してアル中とも呼ばれていたこともあるが、現在では通常患者を侮蔑したり患者自身が自己卑下してつかう差別的表現であるとみなされており、ほとんど使われることはない。かつては、このような状態になってしまうのは本人の意志が弱く、道徳観念や人間性が欠けているからだと考えられてきたが、最近では医学的見地から精神疾患の一つとして考えられるようになっている。飲酒が自分の意志でコントロールできなくなる症状を精神的依存、震顫妄想などの退薬症状(離脱症状、リバウンドともいう)を身体的依存と言い、アルコール依存に限らず他の様々な薬物依存症も同じような特徴を持っている。

日本の飲酒人口は6,000万人程度と言われているが、このうちアルコール依存症の患者は230万人程度であると言われている。飲酒者の26人に1人がアルコール依存症という計算になり、精神疾患の中でも罹患率が高く、各人の性格や意志にかかわらず誰でもかかる可能性がある病気であるとも言える。(なお、この230万人という人数はWHO の算出方法により割り出されたものである。)

日本では統計的にほぼ毎日純アルコール量で150ml(日本酒 約5合半、ビール 大瓶約6本、ウイスキー ではダブルで約6杯)以上飲む習慣のある人を「大量飲酒者」と呼んでおり、厚生労働省 でもこの大量飲酒者をアルコール依存症とみなしているようである。一方で、厚生労働省では健康日本21 で掲げる適正飲酒 という概念があり、これは1日平均純アルコールで約20g程度である。中年男性の3割以上が適正外飲酒に相当し、その多くはほぼ毎日常習しているので、アルコール摂取のコントロールが失われており、問題視されてきている。

《焼酎 熱を加えて手をかけた酒》
朝日新聞・2005年1月23日(日)/10面/ことばの交差点

 朝日新聞の10ページ目、読者からの投稿が載っているページの下に、「ことばの交差点」というコーナーがある。そこに「焼酎」の文字が…。読んでみると、「焼酎」という文字の語源についてであった。
 記事によると…焼酎の「焼」は、「高く火をかざすこと。あぶったり炊いたり、広く熱を加える。」ことを意味している。また、「酎」の文字は、「濃い酒、三度重ねて手を加えた酒」といったことを意味している。そして、「寸」は「肘」のことで、人為的に蒸留されたことを表すそうである。つまり、「焼酎」とは、「火を使い、アルコール度数の高い酒を蒸留する」ことを表しており、まさしく執筆者が言う通り、「蒸留酒の製造法を的確に象徴した言葉」であると言える。
 しかし、「焼酎」という文字表記においては「焼酒」や「消酎」と表記されていたとの記録も残っているようで、一定しなかったようである。有名な、鹿児島県大口市の郡山八幡神社の落書きには、永禄2年(1559年)の年号と「焼酎」の文字が書かれている。ということは、もともとは「焼酎」という文字表記であったはず。なぜ、「焼酒」「消酎」などという表記が登場したのだろうか?