こんにちは
奈美です(プロフィール)




子供のことは全て母親の責任だ
なんて意識して、四六時中時中そう思っていたら…
もうガッチガチで大変
気が休まらないですね。



子供がこうなってしまったのは自分の責任だ
という罪悪感も感じたことがある人はいるけれども 
それを感じ続けてたらもうガッチガチで大変
本当 気が休まらない。




だから、 罪悪感はいらない
自分を責めることはもうやめよう
そうしないとやっていけないもん 
罪悪感感じられてる側だって実は迷惑だよね…
とわかり
罪悪感で自分を責めるより
ゆったりした心で過ごしたり
子供は自分とは別の人間 
子供は子供の道を行く 
その子の道を信じよう
と元気を取り戻して過ごしていく…




そうしていくと
子供のことは全て母親の責任だ
なんて思っていない感じ…
私もそうでした
ですが、ある時気づくと
あれ?子供のことは 母親の責任だなんて思ってないつもりが
実はまだ あった、それがしっかり 残ってたー
と気づいたことがありました。




いやー 怖いですね
そんなことないのにそう思ってるなんてね
責任感強すぎない?
そしてそして
自分は責任感が強い人って、人に思われたいと思っている
なんていう自分をみつけました。




いやーなんてこったー
罪悪感なんかいらないな とか子供のことが全部母親の責任じゃないよ 
って気持ちがラクになったのに
いつの間にか そこにまた戻ってきている
ということがあるのです。




まあまあ そこに気づいてあげると
いらないよね そんなのー
にも気づけますね。




そして
たしかに親子関係ではあるし 親である、子であるということは事実だけど
でも たまたま 親子関係であるというだけであって
ただの人とただの人!





そう
ただの人とただの人という関係
でもあるから
親だからこう、子だからこうっていう概念さえ、本当はいらないのでは?





親である、子である
親子関係である
って考えないで 
人対人
一つの人格と一つの人格
そう思うと相手を尊重できる!
まだ小さな子だとなかなか 一人でできることも少なくて
そう思えないかもしれませんが
だいぶ大きくなってきた子はもう一人で何かを選べる
いろんな力を持っている
初めは母親としてこうできなかった
こうしていきたい
ということに取り組むけれども 
大人として認めたい
一人の人として認めたい 
そして 対等な関係がいい
という時
もう親子関係という意識から→
ただの人とただ人の関係へ。




(小さな子だって
人と人との関係だ
そういう視点でみるとみえ方が変わります!)






人は皆、自分の人生で何をやるか決めてきて、その道を進んでいる
まあ 魂の決めてきた道というか
だから魂仲間なだけ
それが先で
親子であるという関係はそこにくっついているだけ
かといって応援しないわけでもないし
困った時助ける
むしろ 親だったらこれを言っちゃうと 過干渉かなと思うことも
仲間関係だったら さらっと言っちゃう時もある
言った内容がどうこうよりもその言っている時のエネルギーが大事
コントロールしようとか
この子は 何もできない
と思っているエネルギーがくっついている言葉はいらないけれども
仲間って
コントロールしようとかっていうよりも
助け合おうとか
大好きな友達って大切にしちゃうし
過干渉のエネルギーとは違っていて…
仲間と思った方がかけやすい言葉もあるでしょう。



親子関係という風にみると
こういう親子関係が望ましいとか
こういう関係であった方がいい
とがんばろうとしてしまうけれども…
人と人との関係としてみると
親子関係だったらこれが必要みたいなものがいらなかったりする
人と人との関係なんて本当に 人それぞれでなんでもいいし。

それだけで ちょっと心が軽くなって
関係性にも軽さが生まれ
軽いということは
いろんな変化の可能性が膨らむでしょう
重くて縛られている時は
重いからそこにとどまってしまう
自分も、関係性も
「軽い」「軽やか」なのがいいですね!