子供が不登校になって
いろんな情報を集めていくと
あー 自分がなんて今まで 過干渉な親だったんだろう
と気づくとことがあります
でも それは 子供のことをとってもとっても愛しているから
なんか心配だし
できるだけのことをしたい
っていう気持ちからだと思うんですね。



ですから
悪いことをしたわけではないのです
でも
やっぱり全部見張られて
心配のエネルギーを浴びせられて
自分が決めて自分が進んでいく っていうことを信用されていなかった子供は
力を奪われてしまうのだと思います。



そして
なぜ過干渉になってしまったのかというと
いくつかの理由があると思いますが
その1つに
自分のお母さんから自分も干渉されまくっていた
という場合があります。



自分のお母さんはなぜ過干渉 だったのか…
それは、自分が自分自身に安心できていなかったからですね
安心していないから子供に対して
失敗していいよ
 恥かいていいよ
なんて どんと構えていられなかったのでしょうね。


うん?あー その姿 自分でもある?…
うわ やだ、 自分のお母さんと同じこと 自分やってたんだなーなんて 感じる場合もあるでしょう。



そしてお母さんも母親としてみとめられたかったんですね
もちろん そこに大きな愛があったのですがね…




それからね 
そのお母さんって、目がいつも子供のことにいっていて自分の方をみていなかった
自分自身には集中していなかった
自分がこういうことやってみたいとか
こうなりたい自分がいるとかそういうことは諦めてしまっていたり、考えたりしなかったから
自分が自分に対して自分のことをやる時間をとらなかったから
目がいつも子供に向いていたのかもしれません
時間があるから
人のことに集中しちゃう
ってことありますよね。



でも自分が
自分はこう生きていきたいんだとか
自分はこうなりたい
自分はこれが好き
自分はこれをやっている時が最高に楽しいよね とか
自分に集中している時は時間が足りないので、人のことに干渉はできないです。




昔のお母さんって、忙しく家事はしていたかもしれないけれども、自分のことには集中していなかったかも
時代的にも、家事、人に尽くす、自分は後回しというのが当たり前で
だけど今はそれを繰り返さなくてもいい時代です
ずっとずっと
何か悩んでいる時や困っている時、問題ごとがあった時
その悩み、対象の相手、出来事に対してどうしたらいいのかという答えを求めるし
そこへのアドバイス、やり方を教えてくれるところに申し込むというのがあったかもしれないけれども
自分の内側が外側に投影されている
ってもうわかってきた
だからその対象を見続けるより、内側を癒す
その方が変わった時にまた戻らないのだ!



自分に目を向ける
自分に集中する
は、子供から逃げるとか子供をみない、というわけではないです。



子供の行動、態度そのものをみ続け、ぐるぐると苦しいよりも
その子供をみて
自分がどんな感情を感じているのか
その感情はどこから来たものなのか
今の現実は自分の中の何を表しているのかな
そうやって自分の方に目を向ける…



そうしていき 
自分の内側が癒され安心していくと→
幸せを感じることができて→
本当、この子供であってよかった
自分にはこの子供だよね
本当に可愛くみえるよね 
この子であるというだけで感謝がやってきて
その時、その子は光り輝いてるようにみえます
誰かに光り輝いてるようにみられる子は
他の人からも光り輝いてるようにみられるでしょう
ですがこれは無理やりにそうみるのではなくて
なんだよこの子、この子のせいで自分が大変
っていう正直な本音を、蓋をせずにしっかり扱って
本当に自分の内側が癒された時に、自然とそうみえていきます。








カウンセラー奈美