子供が二人共不登校になった時・・・


もうどうすることもできませんでした

まだできることがあると、人は

がんばってしまうものですね

でも、底まで落ちた時には観念する

がんばることを、やっとやめることが

できるものです。

 



そして

もうそのままの自分でいい

ありのままの子供をみとめる

自分も、いいお母さんなんかできない

そのままの自分でいいや・・・

となっていきました。

 

 


そして

そのままの自分というのは

努力して何かを掴むのではなく

そのままの自分でいるだけで

なにか掴めたり、もらえたりします。



それは

どんな自分でも価値があるからです

何かができたら価値がある のではなくて

なにもできなくても、ただそこにいるだけ

で価値があります。



(これはなんとも

昔ながらの考え方からしたら

なかなか受け入れられないかも

しれませんね。)




 

例えば

宝クジに当たった人は

運がいいといいますね

ただラッキーなんですね

いろいろリサーチして当てた人は

努力があったかもしれませんが

ポーンと買ったら、ポーンと当たった人は

ただラッキーです。

 


そのままの自分って

そんな風に、ただラッキーでいいのです

古くからの教育では、目標、努力、継続

ということが大事でしたが・・・


そのままの自分は

ラッキーなんですよ


そしてラッキーはラッキーを呼びます

「苦あれば楽あり」という言葉がありますが

自分は苦しまなければいけない

頑張らなければいけない

と、そのままの自分をみとめていないと

できない自分にならないように、ずっと

苦労し続けます

苦あれば苦ありになってしまう・・・




でも、そのままの自分でいいと

そのままの自分をみとめていると

何かができなくても、ラッキーで

何か得ることもできる

そしてそのまま、そのままの自分で

いるから、またラッキーなことが

やってきたり、ラッキーな贈り物が

もらえたりします。




だから

そのままの自分というのは

ラッキーでいい ということ!

そしてラッキーが続くから

ラッキーはラッキーを呼ぶ。




そして

楽あれば・・・ラクというか

「楽しい」があれば・・・

楽しいから何かに取り組む

そうすると

もっと楽しくなるとか、楽しそうに

していると周りからもみとめられたり

していきますから・・・

楽しいは楽しいを呼びます。




本当に、そのままの自分を

みとめた時は

じゃあなにもやらなくていいや

にならないです!

そのままの自分をみとめた時

このままの自分で素敵だ

その素敵な自分・・・

なんだかこれやってみたい

あれやってみたい、楽しんでみたい

と思うのです

そのままの自分が

みとめられた時

パワーが出てきます

やらなければではなく

やりたい・やってみたい

になります。


 

 


楽あれば楽あり

苦あれば苦あり

 

ラッキーあればラッキーあり

で・・・

そのまま自分でいい

自分はいつも

ラッキーでいい

ラッキーであることか許されています。




・・・と最初は、なかなかそうは

思えないかもしれませんが

どん底まできて・・・

もうどうにもならない  まで来た時は

実はチャンス

「逆の発想を受け入れていく」の始まりが

やってくるのですからビックリマーク




伏見奈美

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