北原怜子(さとこ)さん。1929年に杉並区で生まれ、1958年1月23日、浅草のアリの街で亡くなりました。28歳の若さでした。怜子さんは21歳頃から亡くなるまで、アリの街(蟻の町)で社会奉仕家として活動し、世間では「蟻の町のマリア(ありのまちのマリア)」と呼ばれていました。


アリの街と関わりをもつ一年前、20歳の時、メルセス会で洗礼を受けた彼女は、カトリックの教えを忠実に守る、とても真面目な方だったそうです。

妹のちょう子さん曰く、「まっすぐ突き進むタイプだったが、時にはジョークもとばす、明るい人柄だった。何か思うことがあっても、ぐっと一人耐え忍ぶタイプでもあった」そうです。



怜子さんの運命を変えた人物、それこそが、ポーランド人のゼノ・ゼブロフスキー修道士です。

ゼノさんは1928年に、コルベ神父らと来日、主に長崎で布教活動を行い、布教誌「聖母の騎士」の出版と普及に力を入れていました。


ゼノさんを突き動かしたもの。それは第二次世界大戦の経験が大きく関わっています。

師匠のコルベ神父は、ポーランドに呼び戻された後、アウシュビッツで身代わりとなって亡くなり、ゼノさん自身も、1945年8月9日、長崎で被爆しました。



これらの経験から、ゼノさんは全国行脚し、戦災孤児や浮浪者を救う活動を本格的に始めることとなります。



そんなゼノさんの目にとまったのが、「アリの街」でした。浮浪者の自力更生を目指し、元ヤクザの小沢求会長と、法律事務所に勤めていた松居桃楼さんが中心となって、隅田川、言問橋のたもとに作った二百人ほどの小さな町です。



住民の生活安定のため、バタヤ(現在の廃品回収業者)として働く事を基盤とし、共同風呂や食堂、蟻の町銀行を作り、立派な自力更生の道標を作っていました。これは当時、非常に前衛的な活動でした。



ゼノさんに導かれ、アリの街に出会った怜子さん。

時に広告塔の役割を果たしつつ、小沢さん、松居さんと3人で、これからのアリの街の為に何度も話し合いを重ねていました。



怜子さんは、ゼノさんを心から信頼していたそうです。それは彼女の行動にもよく現れていたそう。



今回の公演で、まず実在の人物がどのような人生を選び、人に道標を与えていたのか、についてご覧頂ければと思います。また、オリジナルキャラクターによって紡がれる物語にもご注目下さい。

その中で、アリの街について知って頂いたり、怜子さん、ゼノさんについて、もっと知りたい! と思って頂けるきっかけになるのなら、と思っています。



ダンスを取り入れたり、現代風にアレンジしている一面はございますが、根本的な実在の人物のリアリティはとても追求しています。



この公演が、歴史を繋げる第一歩となりますように。



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