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今日は 2019年11月2日(土)です。
 
僕のブログはヤフーブログから
引っ越しをしてきました。
ヤフーの時は
ハッシュタグの機能が有りませんでした。
それと・・・お友達限定だったので 
ヤフー時代は 
数人のお友達しか公開していませんでした。
 
アメバに引越しをしたのを機会に
ハッシュタグを入れる作業しています。 
同時に・・・
過去記事として 改めて記事を
総ての方々に公開する事にしました。
過去記事です。
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2008年2月17日の出来事です。
奈良県・明日香村を散策しました。

飛鳥歴史公園 甘樫丘公園
 

明日香村のほぼ中央に位置する標高148mの小高い丘で、現在は国営飛鳥歴史公園として整備されています。頂上からは明日香村内はもちろん、遠くは大和三山(畝傍・香具山・耳成)や葛城・金剛・二上・信貴山も展望できます。
飛鳥時代には飛ぶ鳥を落とす勢いだった蘇我蝦夷・入鹿が、大化の改新で中大兄皇子や中臣鎌足に敗れるまで、その権勢を誇示するかのごとく大邸宅を構えていたとされています。

写真は
 甘樫公園展望台から見ました。
 万葉集に歌われている大和三山
 畝傍山 香具山 耳成山が見えます。

続いて飛鳥寺によりました。

ここからは、雪が降り始めました。
 明日香村飛鳥にあるこのお寺は、蘇我馬子が建てたわが国最初の本格的寺院で、「法(ほう)興寺(こうじ)・元興寺(がんこうじ)」と呼ばれていました。また大官大寺・薬師寺・川原寺とともに「飛鳥の四大寺」とも呼ばれていたそうです。
崇仏派の蘇我氏がそれに反対する物部氏を滅ぼし、最先端の技術を持って造営したとされ、当時は東西210m、南北320メートルにも及ぶ伽藍配置をもつ大寺院だったことが分かっています。本尊は金銅釈迦如来坐像(重要文化財)で飛鳥大仏として親しまれています。
後の大化の改新の主役、中大兄皇子と中臣鎌足が知り合ったのも、飛鳥寺で行なわれた蹴鞠の会であったそうです。また蘇我入鹿を倒した後もこの飛鳥寺に立てこもり、蘇我氏の反撃に備えたということです。