『ヴァンデミエールの翼』の解説の続きをやっていく。

明日って今さ!

前回すっ飛ばした「フリュクティドールの胞衣」から。
 

 

(1巻p.121)


この話は、森で怪しい男に襲われている女の子を貴族の若者が助けたら、その娘は人間じゃなくて、襲っていたのもただの人間ではなくて、というお話。

木のヴァンデミエールを助けた貴族であるミルトンは戦わない貴族。

戦わない貴族というか、年齢的にはもう大人だけれど、精神的にはまだ大人に成りきていないが故に戦えない。

原因は、乳母が優しすぎたから。

その彼が成人するお話。

乳母であるフリュクティドールもまたコンプレックスを抱えていて、自分に依存するミルトンに依存していた。

まぁよくは分からないけれど、なんとなくは分かる。

でもそんなんじゃいつまで経っても愛するミルトンが成人になれないから、フリュクティドールは出て行ってしまう。

けれども、ミルトンはフリュクティドールから乳離れが出来ず、彼女と一緒に居た小屋で多くの時間を過ごしていた。

そこに木のヴァンデミエールが現われる。

そして、木のヴァンデミエールを連れ戻すために神父然とした男性もその小屋に入ってきた。

男は不思議な本を持っており、その本には何でも書いてある。

そして、ミルトンの弱点であるフリュクティドールの幻影を作り出して、ヴァンデミエールを渡すように促す。

けれども、ヴァンデミエールがミルトンを諭して言う。
 

 

 

(1巻pp.161-162)

その言葉はフリュクティドールが残した言葉だった。

フリュクティドールはミルトンを愛していた。

愛していたが故に、その絆しを、依存を断ち切るために出て行かなければならなかった。

ミルトンもその事は分かっていた。

けれども、受け入れていなかった。

しかし、ヴァンデミエールがミルトンを叱責したことにより、銃を手にする。
 

 

 

 

 

 

 


(1巻pp.162-166)

そうしてミルトンはフリュクティドールの幻影を打ち破り、通過儀礼を乗り越えて成人する。

ついでに、ヴァンデミエールを追ってきた男ごと、フリュクティドールと過ごした小屋を、フリュクティドールの胞衣を燃やした。

これが大体の話の筋。

さて。

このエピソードにおいてヴァンデミエールは出て来るけれど、創造主である団長が出てこないことが分かる。
 


(1巻p.121)


この示唆するところはなにか。

神は存在しない代わりにその代行者が出てくる。

このエピソードより前の話は団長、人間でいうところの神が直接にヴァンデミエールに関わり罰を与えていた。

これはどういうことなのかというと、人間に当てはめればわかりやすい。

基本的にヴァンデではヴァンデミエール達とその支配者との関係が人間と神との関係であると言える。

太古、人間と神はともにあった。

太古といっても、あくまで父権性が成立した後。

神は非常に身近に存在していた。

けれども、時間が経つにつれて神は形骸化していく。

神は具体性を失って、どんどん虚像となっていく。

これはキリスト教で考えるならば、神はどんどん言葉に、そしてその言葉が書かれた聖書になっていく。

だから、このエピソードでは本を持った男が父親を演じる。

即ち、これは教会に於いて人に神を押し付けた教父の暗示であると言える。
 


(1巻p.156)

まぁ要するに手に持っているのは聖書ということ。

聖書には神の言葉による真実が全て書かれている。

よってそれによって判断してそれによって判決を下すのが教父。

ヴァンデの中ではこのあたりに於いて、神そのものはいなくなり、その代行者しか出てこなくなる。

神の代わりに神の言葉を用いる「誰か」が神の言葉を用いて罰している。

その代行者は神の言葉を用いて、ヴァンデの中ではもっと超現実的なものだったのだけれど、束縛しようとする。
 

(1巻pp.155-157)

しかし、その神の言葉は被支配者の抵抗によって、破かれてしまう。
 


(1巻pp.166-167)
 

そして更に、このエピソードでその神聖な言葉は燃えてしまう。
 


(1巻pp.171-173)


聖書が燃えてしまうことにより、聖書と同じように神によって作られたであろうこの聖書の言葉を扱う男も燃えてしまう。

まぁ、これは当然ヴァンデミエールにとっての神の焼失(消失)ではあるのだけれど、おそらくは人間にとっての神の焼失にもあたると思う。

この時点において、神も神が残した言葉も消えてなくなってしまう。

この後に出てくるのは猿臂男しかいないのだけれど、神という権力が力を失ってしまっているのだと思う。

これ以降、団長の男は一切出てこないし、それに準ずる存在は猿臂男しか出てこない。

この時点で神はほぼ失われてしまっていると言える。
 

次は時系列的に「ヴァンデミエールの火葬」。

このエピソードは地母神への回帰と、けれど叶わないそれというエピソードになる。

ここでヴァンデのテキストから離れるのだけれど、鬼頭先生は『神話・伝承事典』というタイトルまんまの内容の本によっぽど影響を受けたらしい。

なんでかと言えば、この事典にはあまりに鬼頭ワールドの構成物が多く収録されすぎている。

「柱」と調べれば、柱に血を捧げる儀式についての記述があって、一方でなるたるでは「柱に血を捧げて」というエピソードがあって、「ニンフ」と調べればニンフォマニアの記述がある。

他にもいろいろな場面で、「あ…(察し)」な部分が多い。

種々の可能性を考えても、この本を読んだと考えるのが最も不備がないというのが実際のところで、この本にはヴァギナ・デンタータの記述と前に言及した無花果のことがあるのだから、よっぽど読んだと考えた方が無理がない。

要するに鬼頭先生はこの本を読んでいる可能性が非常に高い。

ていうか、もう読んでる。

疑わしいのなら図書館に行けばいい。

この本は全体的な風潮として、キリスト教的な神にその前の「神々」、それらは男神なのだけれど、その前に存在していた女神が人類の根幹だという論調を取る。

そこについてはめんどくさいから僕の意見は書かないけれど、とにかくその女神が重要になる。

その女神は地母神だったらしい。

で、なるたるにしろヴァンデにしろ、その地母神のエッセンスが見え隠れする。

なるたるでも、結局シイナと涅見子が地球の母になるのだから、要するに太母だし。

そういう風に地母神の要素が色々あって、それがヴァンデで見えるのがこの「ヴァンデミエールの火葬」になる。

そもそも、本編で地母神という言葉自体出てきてるしな。
 

(p.107)
 

このエピソードは石造りの古い建造物で成されるわけだけれど、この石造りの建造物が問題になる。
 

(p.96)

見た感じストーンヘンジっぽい。

ストーンヘンジって何のために作られたんだろうね。

調べても分かんなかった。

まぁ原理的に分かるわけがないのだけれど。

今の学説だと天文台らしいのだけれど、そう言うのを調べる理由は昔は宗教的な理由だった。

占星術で調べれば分かると思う。

だから神殿とかそういうものであるという解釈でいいんじゃないですかね。

もしくは墓石か何かか。

とりあえずそう言うものだということは分かる。

で、ここで『神話・伝承事典』の「子宮」の項を読んでもらいたい。

Womb 子宮
 寺院または至聖所を表すサンスクリット語は garbha-grha(「子宮」)であった。
 アルゴスの年中行事であるアフロディテ例大祭は、ヒュステア Hysteria(「子宮」)祭と呼ばれた。
 大地・海・空を支配する太母に捧げられた最古の神託所は、デルポイ Delph という名前であったが、この言葉は delphos(「子宮」)に由来する。
 巨大墳墓や塚は、死者を再生させるための「子宮」に見立てられ造られていた。その膣の如き墓道を見ると、新石器時代の人々は大変な苦労をして、土や石で子宮に似た構造物を作り出したことが分かる。tomb(「墓」)とwomb(「子宮」)とは言語学的に関連がある。ギリシア語  tumbos とラテン語の tumulus は、「膨れる、受胎している」という意味のラテン語 tumere と同語源であった。tummy(「ぽんぽん(引用者注:幼児言葉でお腹)」)という言葉は同じ語源に由来すると考えられている。
 子宮-神殿や子宮-墓という連想から、遠い過去の母権性時代が思い起こされるが、この時代には、女性による生命-魔術だけが効き目があると考えられていた。極東の円蓋のある埋葬用の仏舎利塔の意味するものは、子宮-墓からの再生であった。極東では聖者の遺骸は、 garbha (「子宮」)と呼ばれる建物の中に安置された。塚、ミケーネのトロス(「穹窿墓」)、洞穴神殿や他のよく似たような構造物との類似点は、現在でも良く知られている。キリスト教の大聖堂も、身廊外陣 nave (元来、「腹部」の意)と呼ばれる空間を中心に据えた。洞穴や玄室は大地、すなわち大地母神の「胎」に掘られたものと言われた。「誕生」を表す聖書表現は「大地の胎からの分離」である。(後略) (バーバラ・ウォーカー 『神話・伝承事典』 大修館書店 1988年 「子宮」)」

こんな事が書いてある。

これを前提にヴァンデミエールの火葬のエピソードを見ると、すんなりと意味が分かる。

あの石の建造物は結局子宮なんですね。

その子宮の中で行われる諸事がヴァンデミエールの火葬。

描かれるのは誕生と死。

そして、『神話・伝承事典』には神殿=子宮=墓は死と再生を意味すると書いてある。

そうである以上、他の色々な可能性を考慮しても、やはり『神話・伝承事典』の記述が前提としてあると考えた方が遥かにすんなりいく。

こんなの読者が分かるわけないんだよなぁ。

こっちの事情も考えてよ。

結局ヴァンデミエールは火葬して地母神へと回帰するから、あそこは神殿であり墓であるわけです。

詳しいあらすじとかは別に必要ないとは思うのだけれど、このエピソードは木のヴァンデが赤ん坊を拾ってその母親になるという話。

しかしその木の体では赤ん坊のぬくもりを感じることは出来ない。

雪に降られて、石の屋根に逃げ込んで、そこで一人の男性と一緒になってその男性に自らの体を犠牲にして赤ん坊を託す話。

木のヴァンデは母親というキーワードが重要になる。

フリュクティドールの火葬のエピソードでも、成人としてのミルトンの誕生に立ち会っている。
 


(1巻p.163)

このヴァンデミエール自身も母性に溢れた女性として描かれている。

けれども、与えられた体は木の体。

感じる部位を削られて、自分を慰めることを、子を育むことを禁じられた罰としての体。
 

(pp.115-117)

のり夫にしろこのヴァンデにしろ、とにかく悲しみしかそこにない。

彼女たちがどんな罪を犯したというのだろうか。

したいことは一つであって、その為に彼女たちは何にも悪くないというのに、その権利と能力を与えられなかった。

子供を育むことが出来ないからだ。

僕は男だし、その願望もないのだけれど、酷く彼女たちに思うものがある。

その木の体を持ったヴァンデは、雪が降り続ける中で我が子を守るためにその身を燃やすことを決意する。

血も繋がらない我が子の為に。

そのヴァンデに、最初はレイプしようとした男は感じ入るものがあったらしい。

自分の身の上について話していく。
 


(pp.121-122)

この辺りはヴァンデの物語としての神批判になる。

つーても鬼頭先生の思想という面も大きい。

鬼頭先生は多分なんだけれど、『神話・伝承事典』を読んで神なんて!と思ったんだと思うよ。

基本的にキリスト教的神disのことばっか書いてあるしね。

その後、53はヴァンデに自分が何か欠けているという。
 

(pp.124-125)

母に抱かれる子のメタファー。

木のヴァンデは母親になりたかった。
 

(p.123)

それは叶うことがないのだけれど、少し別のあり方で実現する。

そしてここは子宮という隠喩を込められた母屋の中。

育みのメタファー。

しかしその子宮は死を同時に意味する。

そうやって時間は過ぎていくけれど、雪は止むことを知ろうとはしない。

次の薪木が必要になる。

ヴァンデミエールはそうやって死ぬ。
 


(p.127)

所々に登場する記号が如き抽象的な模様なのだけれど、何かしらの意味はあるんだと思う。

けれども、どの資料にその事について書いてあるか、皆目見当がつかない。

もしかしたら『神話・伝承事典』に載ってるのかもしれないけれど、僕は記述を見つけられてない。

800頁以上あるからね、しょうがないね。

…たった今自分が書いたものを読み返していて気付いたのだけれど、少なくとも直上の画像の模様は、卵子に向かう精子ですね…。

やっぱりここは子宮なんですね…。

分かるか!

こうして木のヴァンデミエールは燃え尽きて灰になるわけだけれど、ここは同時に墓であるわけであって、その墓は太母の子宮でもある。

天空神によって作られたヴァンデミエールは太母の元に還ってゆく。

そして、この子宮でヴァンデミエールは63を産む。
 

(p.131)

そこから産まれ、そこに還る云々言ってるけど、本編からはどうやっても意味するところは汲み取れない。

けれど、『神話・伝承事典』を前提にするとあら不思議、意味が分からないところに意味が表れる。

他に理解の仕方があるなら是非教えてもらいたい。

その後、彼は死んだ彼女の事を想って、一つ作品を作り上げる。
 


(p.132)

彼女の翼。

それも、天空神が抑圧のために作った翼ではなくて、飛ぶために作った黒い翼。
 

(p.78)

それは悪魔のヴァンデに引き継がれ、その飛ぶという意思はエイバリー、そして人類そのものへ受け継がれる。

ヴァンデミエールは太母へと帰って行く。

けれども、人間はそこに還らない。

向かうのは空で、行うのは父親の克服。

しかし、最終話で内なる世界への指向性が示され、いずれは内の底にある太母へと帰っていくのかもしれない。

そんな感じ。

あと、あの石室の模様の傾向性が分かったから分かる範囲で解説していく。
 


(p.105)

一コマ目の螺旋は、まぁDNAの二重螺旋をモチーフにしてるだろうね。

なんというか既に二重螺旋だしな。

子宮だから、二重螺旋がそこにあるのも分かる。

同じページの二コマ目のアレは精子が泳ぎ回っているから子宮そのもので、また胎盤らしい。


 


(p.120)

このページの二コマ目で、卵子のようなものがそれに管を伸ばしているから。

まぁ、受精卵なんだろうね。

加えて、ニヴォセに名前を託した次のコマがこれだから、ニヴォゼは二人の子供なんでしょうね。

名付けることで受精したようです。

次に、
 

(p.110)

この4~5コマ目は、子宮と卵巣ですね。

形的にそうだし、周りに卵子がいくつかあるし。

最期に、
 

(p.97)

この最期のコマのグルグルは何なのかが分からない。

トグロまいていて、先端部が膨れているから多分蛇の隠喩で、男根のことだとは思うのだけれど。

まぁ、配置的に63の近くにあるし子宮や精子の文様から離れたところにあるから、多分男根なんじゃないですかね?

で、その男根に寄り添う形でDNAの二重螺旋があると。

一方でヴァンデの方の二重螺旋には周りには何もない。
 


(p.102)

恐らくは彼女の性的不能を語っているんでしょうね…。

あと精子がヴァンデの方へ向かってますね…。

たまげたなぁ。

こんなの読んでて分かるわけないんだよなぁ。

だって、僕も今理解したもの。

恐らくグルグルは男根って事でいいでしょう。

このページで、
 

(p.124)

二コマ目のセリフ、男性性と性欲の強い63のセリフだけれど、その背景があのグルグルなのだから。

ちなみに、上記の子宮とか卵子とかっぽい図柄が本当に子宮とかを意味しているということを支持する事柄が存在する。

まず、この扉絵。
 


 

良くこのイラストを見ると、シイナの尻尾に変なマークがある。

いや、変なマークというか、ヴァンデミエールの火葬に出てきた記号がある。
 


なんでこの子、子宮のマークを尻尾につけてるんだろう…。

と思って、画像投稿用のアカウントにこの発見…ていうか随分前に気付いていたのだけれど、書き忘れてたから画像投稿用のtwitterのアカウントにその事をつぶやく。

で、その作業してたら、そもそもなるたるのタイトルロゴがこのモチーフで作られていることに気付く。
 


で、その事にも気づいたから、それを伝えるためにこのロゴがある手持ちの画像を上げるために探るのだけれど、どうせだからアフタヌーンに掲載された単行本未収録のカラー表紙にしてみた。
 


で、この扉絵は無作為に選んだわけだけれど、良く見るとシイナの腹部に気付くものがあった。

あのモチーフがある。

適当に選んだらこれだった。

まぁ、なんというか、シイナの下腹部にあるので普通に子宮のモチーフであると考えて良いみたい。

これまでは、デザインとその用いられ方が子宮を連想できる程度の根拠だったけれど、今回、鬼頭先生が実際に母なる地球の珠たるシイナの下腹部にこのデザインを用いていると分かった以上、やはりこれは子宮のイメージということで良いらしい。

まぁいいや。

あと、気づいたことが一つある。
 


この二コマ目、当然子宮のイメージであることはそうなんだけれど、よくよくその図柄を見ると四元論というか、火、水、地、風というエレメントについての図柄と酷似している。

(『ぼくらの』6巻p.142)

鬼頭先生はヴァンデも『なるたる』も『ぼくらの』も同じ世界観だと言っているけれど、まぁこういうところが同じなのだと思う。

鬼頭先生のつくる世界観では四つの根源、それもかつて現実世界でもあった世界観である世界の根源的な四つの構成要素がこの世界を構成していている。

ヴァンデの頃からその設定はあったみたいで、上記の図柄になるほど、それが見いだせる。

この図柄は『なるたる』でもある。
 

(『なるたる』2巻p.119)

なるたるに於いては竜は万物の始原であってこの世界の根幹で、地球そのものを言う。

それが四元論の図柄で表現されている。

まぁ、同じようにこの世界の根源であるということなのだと思う。

また、ヴァンデでは人間の生まれてくるところである子宮および太母は、この記事に多く書いたけれど、原初的で根源的な概念になる。

それが四元論の図柄で表現されているということは、同じように根源的で原初的な概念なんだと考えて設定されていると読み取れる。

そういうことは言わなきゃ分かんないんだけれど、まぁ、良く分かんないけれど実際はそこに意味があるというところが魅力かどうかを考えればそれは魅力だから、これで良かったと思う。

そんな感じです。