時折、「なるたるは深い作品だ」というような意見を聞くけれど、僕はなるたるは深いとは思えない。

大体、「深い」ってのは具体的にどのような状態を指しているのかがイマイチ分からない。

恐らく、自分が理解できなかったり形容できなかったりするような巨大なものに対して、当座、意味深な言葉を付与して自身を納得させようとしているに過ぎないのだろうと思う。

けれど、なるたるは恐ろしく緻密なつくりをしているので、その部分を指して深いと言っているのかもしれない。

なので、なるたるの何回も読まなければ分からないような細かい話をしていく。

まぁ、一回読んでわかるようなことや、読めばすぐに分かるだろ、って話もあるだろうけれど、とりあえず列挙することにする、

まず、実生について。

結構ね、伏線が貼られている。

第一話からコツコツと伏線が。
 


(一巻p.21)

一応、実生はこの俊二さんの絵を見てイカツチを作ったのだから、プロローグに出てくるイカツチの姿とこの絵の類似性が伏線なんだろうけれど、一回目では分かりようがない。
 

 

 


(一巻pp.4-5)

 


あと、存在の仄めかしは結構行われている。

 

 


(一巻p.37)

玉依さんちの前回の不幸は言うまでもなく実生のことなのだけれど、二週目しないでこれに気付ける人っているのだろうか。

作りは細かいけれど、一回で分からなければ意味がない気もする。

でも、漫画は何回も読めるからこれで良いのかもしれない。

あと、万朶の前回の特待生は実生です。
 

 

 


(七巻p.114)

実生と秕は13歳差だし、回想でちゃんと万朶の制服着ています。
 


(十二巻p.83)

竜の保持者になる条件は高い知能が必要だし、これで実生が関係ないのだったら、わざわざ14年前って言う必要がない。

シイナが生まれたのは実生が中学に入学した後なのだから、14年前で正しい。

まぁ、そうはっきり書いてあるわけじゃないので、そうである蓋然性が高いだけなんですが。

あと、竜の保持者の条件の話で「知能の高さだけが条件ではない」という話があったけれど、おそらく保持者になるには高い知能+何かを変えたいor何かを守りたい思いが必要なんだと思う。

詳しくは「なるたるの竜」の記事参照のこと。

実生についてで気づき辛いのはこれくらいかな?

あと、気づいているだろうけれど「私の可愛いペキン鍋」の話。
 

 

 

 

 


(一巻p.105-106)

この時点で「私のかわいいおとしブタ」の話が出ている。
 

 

 

 

 

(十巻pp.5-7)

このエピソードは秕の成長と、彼女が恋をしたことを表すエピソードなんだけれど、注目すべきは、三話の時点で「私のかわいいおとしブタ」の話が出ている以上、三話の時点で秕が誰かに恋をするという事が決まっていたという事。

ていうか、鶴丸しか相手なんかいないので、鶴丸に恋をするという事が決まっていたという事。

そして、鶴丸に恋をすることで地球とリンクすることに成功する話なので、最後のひとつ前までもう既定路線という事。

それにそもそも、

 

 

(一巻pp.18-19)
 

 

 

 

 


(十二巻pp.230-232)

これ見たらわかるように、そもそもなるたるは秕が地球を使って大きなお絵かきをする話だったりする。

あまりに唐突な最終話に、打ちきりエンドだったんじゃないかと思っている人も居るみたいだけれど、第一話からこの終わりは決まっていたという事です。

これが深いか浅いかなんてわからないけれど、とにかく作りこみは凄い。

あと、涅見子が作っているおにぎりは、「二人の長い旅の前の、二人の短い旅の前の」で秕が作ったおにぎりです。

次。

小森もさとみも同じようにイカツチの攻撃を食らっているけれど、小森は平然としていてさとみは再起不能なのはなんでだろうという話。
 

 


(一巻p.96)
 

 

 

 

 

 

 


(八巻p.111-113)

別にこんなこと説明する必要はないんだけれど、早い話がリンク度の問題です。

リンクの具合によって、本体の被ダメージの具合が変わります。
 

 

 


(四巻pp.54-55)

八巻で、さとみが気を失っているのに竜の子を動かせたのは何故だ!って思っている人もいるみたいですが、要するにあれは本体の意識を放棄して百パーセント竜の子にリンクしている状態です。

だから、竜の子が致命傷レベルのダメージを負ったあの場合、本体もそれ相応のダメージを食らったって話です。

あと、これは解釈がどうこうの話じゃないんですが、
 

 

 


(八巻p.69)

って言っているのだけれど、良く見ると、
 

 

 


(八巻p.75)

見て分かるようにカメラを作って濃霧の中を見れるように工夫している。

そういう種類の兵器なのだと思う。

それと、気づかなかったけれど、さとみって成竜になってる。

僕は飛び降り自殺したモンだと思ってたけれど、あの時捨てたのは文吾の肉体だけだった模様。
 


(十二巻p.125)

僕はこれ、心中したモンだとずっと思ってたけれど、良く見てみるとハイヌウェレとアマポーラの合いの子のような見た目の竜がいる。
 

 

 


(十二巻pp.234-235)

脳にダメージを負ったら竜になれないからさとみも竜になれなかったと思ってたけれど、幼児退行を起こす程度だったら竜になれるらしい。

 


次。

昔さ、僕はなるたるのWikipediaの記事を編集したことがある。

書いたやつがまた馬鹿な奴でさ、ちゃんと読めば書いてあるのに良く読まないで書くもんだから頭の悪いことが書いてあった。

Wikipediaは全ての編集履歴を参照することが出来るから、僕が変更する前の奴を引っ張ってこれる。

「また、ホシ丸、エン・ソフ、トリックスターなど、星形をした竜の子が多く登場するが高野が4巻にてホシ丸を「未発達の竜の子」と称していたり、5巻にて京児の竜の子が最初は星形をしていたりとすることから、全ての竜の子の基本形は星形であることが窺える。」

って書いてあった。

 

ちゃんと読めよ。と思う。

しっかり、竜の子のデザインについては美園が解説している。
 

 

 

 

 


(八巻pp.131-132)

書いてあるんだからしっかり読みましょうよ。

竜の子に決まった形はない。

大体、京児の竜の子は鏃型だ。

鬼頭先生は世界中に点在する神話に出てくる異形の存在について、なるたるという作品の中ではそのように実在したモノと設定している。

そうである以上、発達したところで形が変わるものでもない。

だとすると、今度は「あの未発達の竜の子」という言葉が問題になってくる。
 


(四巻pp.100-101)

なるたるの竜の子の描写で成長と呼べるものは空間スキャン能力の向上がある。

東富士の時のさとみは、まぁ酷い武器しか持っていなかった。
 


(四巻pp.64-65)

 


要するに空間スキャン能力が向上することが竜の子の成長の一つと言える。

この能力は、『ぼくらの』で説明されている通りのデータの移り変わりへの干渉の能力。

この話はまた後で詳しくします。

結局、セル内の情報の移動と変化に過ぎないのだけれど、その情報の把握には訓練が必要な模様。

空を飛ぶこともその応用に過ぎないのだから、訓練が足りないと空を飛ぶことが出来ない。

エン・ソフと鬼が飛べないのはそのせい。

飛べないことは未発達と言える。

その力の延長戦に武器の複製の能力がある。

東富士ではホシマルは碌な兵装を持っていなかった。

この空間スキャンの能力は成長するものであって、戦うのにあたってその能力を用いた武器を使っていない=物体を複製できるほどに成長していない→未発達、という解釈が一番筋が通る。

ていうか、そういう風に説明しない限り、「未発達」という言葉に意味を与えることは出来ない。

他に可能性が考えられるならぜひ教えてもらいたいけれど、コメント誰もしないんだよなぁ…

仕方ないね。

最期に、いや、まだ書けることはいくつかあるんだけれど、『ぼくらの』と『なるたる』のつながりについて。
 

 

 

 

 

鬼頭先生本人が明言しているように、ぼくらのもなるたるも繋がりがある物語だったりする。

なるたるに名前だけでてきて終ぞ達成されなかった日乃レポートがぼくらのの世界では達成されて、米軍の追い出しに成功している。

けれど、ぼくらのの世界はなるたるの世界の延長線にはない。

なるたるだと、人類は滅んでいるから。

一応、ぼくらのの世界観だと多重世界線の話なのだけれど、その無数にある世界線の中になるたるの世界線が存在するかは不明。

ぼくらのの世界に竜と竜の子は存在しないからね。

ただ、物理法則は一緒。

ていうか、むしろ物理法則と日乃レポートくらいしか、なるたるとぼくらのの世界には繋がりはない。

ここでぼくらのの画像を引用しようとしたけれど、いくらなんでも多すぎる。

詳しくは『ぼくらの』の八巻、178頁から187頁までを読んでください。

ここで説明されている物理法則を用いて、竜の子は複製したり移動したりしている。

セルの中の情報を、魂を使って書き換えている。

結局、鬼頭先生は「魂」という概念に意味を付与したいらしい。

まだ、魂の意味は鬼頭先生の作品群の中でどういう概念なのかは明らかになってないけれど、強大な力を持ち、再現性のないものだという事が分かる。

そして、それぞれには価値がない。

ただの巨大なデータを持ったエネルギーの塊のような描写が多い。

何でも作り出したり複製したりする能力、500mの化け物を意のままに操る能力。

そしてそれを実現するエネルギー。

しかもそれは消耗するものらしい。

作りすぎると竜になるし、二昼夜の戦闘しかロボットは動かせない。

更に、ロボットは竜と違って誰でも同じような力を発揮できるらしい。

というところまでが鬼頭先生の魂観で分かっていること。

あと、年齢が小さいほど出せる力が強いっていうぼくらのの設定は、魂そのものの性質っていうより、戦闘での年長者のアドバンテージを殺す意味合いがある。

結局、頭の良い大人が乗った方が強いのは決まっているのだけれど、漫画的に子供が乗らないと意味がない。

そこで理由付けが必要なんだけれど、その理由が「年齢が低けれが低いほど、ロボットの出せる力が強くなる」ということ。

『辰奈1905―トミコローツ戦記』にも、兵器に子供が乗らなければならない理由の話があるのだけれど、あれは正直どうかと思ったから、どうかと思われない理由が必要。

ちなみに、「操縦席が狭いから」が理由だった。

で、ぼくらのは理由として子供の方が強い力を発揮できるという理由付けがされている。

むしろそういう理由があるからこそ、この描写が鬼頭先生の作品群に通底する魂の原理というのは早計であると思う。

確かに、なるたるもぼくらのも子供の魂がより有用であるっぽいんだけれど、説明がいかんせん足りないから答えを出すにはまだ早すぎる。

これから先、鬼頭先生が似たような作品、要するに自転車じゃない作品を描けばまた分かってくるんだろうけれど…これはね。

次のなるたるの記事あたりで詳しく書くけれど、もう、なるたるみたいな作品は鬼頭先生には作れない。

というより、自転車に乗っている限り作れない。

僕はなるたるが好きなんだけれど。

ではまたいつか。

・追記
なるたるにいやらしくない女児の裸体がよく出てきますが、運営さんは気に入らないようで、消されます。
消えてる画像が気になったら、頁を参照してなんて書いてあるか確かめてください。