これから、恐ろしくめんどくさい作業を行わなければならないのだけれど、自分の発言には責任を持たなければならない。

なので、前回の日記の話、


(三巻p.78-79)

の、のり夫が作ったハイヌウェレの理由について。

なんだけれど、ちょっと長くなりそうなので、その説明の為の前提としてのなるたるの解説を行う事にする。

検索で直接この記事についた人は、前回の日記も読んどいてください。

あ、話の本筋には関係ないけれど、何気なく読み飛ばしていた八巻に収録されている「枯れゆく遺恨」と言うサブタイトルの意味が今わかった。

これ、枯れゆくって要するにさとみのことを花に喩えて、彼女の燃えるような遺恨が、自我の崩壊と共に枯れゆく様に消えてゆくさまのことを言っているんですね。

(八巻p.3)

あと、どうでも良いんだけれど、「警告はありふれた事件」ってどう考えてもありふれてないと思うんだけどなぁ。


(七巻p.103)

だって、これ理不尽に一般人の不良を射殺する話だし。


(七巻pp.108-109) 

これでサブタイトルが「警告はありふれた事件」だったらわかるんだけど。

さて、話を戻す。

結局、なんで鶴丸ハウスにハイヌウェレ人形があるのかと言う話。

これを説明するのは非常に大変。

めんどくさい。

なにより、説明したところでそれが確実と言うわけでもないし、説明には前提の共有が必要不可欠。

怠すぎ。

もう、めんどくさいことが目に見えたので、宮子、のり夫、涅見子などと言った変換できないようなものは予め辞書に登録してからこれ書いてるくらいめんどくさいことになる。

でも、やらねばならない。

以下、ドクサに基づく僕の見解。

詳しくはひとつ前の日記を読んでください。



まず、なんであそこにハイヌウェレが居たかを説明するには、明らかにしておかなければならないことがある。

それは、この『なるたる』という物語について。

結局、なんで全体としてこんなに分かり辛いのかと言えば、物語の作り方に問題がある。

普通は主人公が居て、もしくは主人公の団体があって、それが挑む冒険だったり事件があったりして物語は進むけれど、なるたるはそうじゃない。

なるたるは、勢力ごとどころか、登場人物ごとに主軸があって、それぞれやりたいことをやっていく話。

それぞれやりたいことがあって、成し遂げたいことがあって、それ故にぶつかり合って、その目的が達成される前に死んだりするから物語が分かり辛い。

これどうやって説明しようかなと思ったけれど、国際関係史みたいに捉えればわかりやすいかもしれない。

要するに、それぞれ好き勝手に動くことで歴史、なるたるの場合は物語だけれど、がどんどん進んでいくという具合。

だから、なるたるをしっかり理解するためにはそれぞれの目的を理解しなければならない。

一人ずつ見ていくことにする。

シイナと涅見子についてははっきり言って目的なんてない。

シイナは本当にその場その場でやりたいことやってるだけ。

涅見子は、見てるだけ。

そりゃあなぁ、涅(やみ)を見る子って名前だしなぁ。

シイナは、たまいしいな、略してたましいです。

つまり、魂が地球に宿る物語って事ですね。

で、次に須藤直角について言えば、全てを破壊することが目的。

結局描写はされていないけれど、「そして虚言」のエピソードを読む限り、よっぽど人間が嫌いになった、のだと思う。

友達と笑いながら歩いている扉絵のエピソードから、人類の無反省ぶりをひたすら批判する話だから、嫌いに「なった」のではないかと。


(七巻p.17)

色々須藤は意味深な事を言っているけれど、何がしたいかって言ったら破壊すること。

虚無へと収斂する破壊をすることしか目的はない。

どんな人類が生き残ろうとかまわないけれど、とりあえず、今生きている人間全員が嫌い。

だから壊す。

理由は描写されていないけれど、とにかく嫌いなことは多々描写されている。

そして、一番嫌いなのはそんな人間の一人である自分。

そんな自分が星の記憶になるのなんて願い下げ、っていう話。

 
(十二巻p.134)

次に、さとみ。

これは分かりやすい。

もう本当に、「枯れゆく遺恨」の最期の話を見ればいいだけ。

要するに、文吾なしでも強く生きたいだけ。

けれど強く生きるってどういう生き方だろうか、ってのが問題で、黒の子供の会に所属することになった経緯は不明だけれど、とにかく竜に願って「力」を手に入れて行使する。

結局、自我は崩壊してしまったけれど、竜には成れたみたいだし万々歳?

次に文吾。

これはもう、「足首のないお人形」のエピソードそのままで、「足首を削ぎ落してでも」さとみを自分のものにしてしまいたいという事。

さとみが、須藤の思想に惹かれたから、それを手助けすることが目的。

結果、さとみは発狂することになったけれど、文吾なしでは生きられなくなったから、足首を切り落とす言うことに成功したという事で、大満足。

だからここまでされているのに、シイナに一切の報復を行わない。

次に、アニメ版でオミットされたけれど、なるたるの超重要な役割である日本政府。

もとい、宮子巽の思想は、「日本独立」「米軍追放」、そして最終的には「世界征服」。

マジかよ、って思うかもしれないけれど、日乃レポートはそういうレポート。

(七巻p.189)



(『ぼくらの』四巻p.180)

ぼくらのの方でも言及がある通り、日本軍と米軍の軍事衝突に関係ある話なんだけれど、わざわざこんなぼくらのの話をしなくても、なるたるを単品で読んだところで読み取れる内容でしかない。

でも、読み取り辛いのは、その宮子による日乃レポートの実行は須藤の行動によって途中でとん挫しているから。

分かり辛いんですよ。

本来、須藤が地球を滅ぼさなかったら日乃レポートは着実に進んで、日本の反米感情は高められて日本軍による基地奪還作戦が行われるはずだった。

そしてその後は、日本人以外をジェノサイドして世界統一です。




(七巻pp.34-36)

つまり、宮子巽は日本民族以外皆殺しにするつもりという事が目的らしい。

これはあくまでさとみと文吾が如何に人類の淘汰による洗練を目指すべきかを話したシーンだけれど、この後黒の子供の会は日本政府に接近するのだから、日本政府がこれをすると予測して、それに追随する形で彼らは日本政府に協力したと考えられる。

随分乱暴な議論だと思うかもしれないけれど、


(十二巻p.28)

本来的に八紘一宇という言葉は、天皇の下に全ての人民が同じ宇を持つという言葉で、旧日本軍の用いた標語なんだけれど、なるたるに天皇は影すら見えない。

そしてそのような意味だったなら、下の解説に天皇について言及されるはずだけれど、されていない。

つまり、宮子巽は何らかの方法で、地球に住むすべての人民の宇を一つにしようとしていたという事。

ちなみに、宇は家族って意味で、八紘は国の隅々までって意味。

つまり国の隅々まで同じ名前同じ一族にしよう、と言う意味の言葉。

なんで、日本からの米軍追放の日乃レポートの話から、八紘一宇の話が出て来るかと言えば、当然、八紘一宇にしようとしたから。

竜の子の力を使って、世界中を滅ぼすつもりで、その手始めに米軍を…

って思って、ここまで書いていたけれど、違うわこれ。

八紘は日本のことか。

つまり、日本を日本人だけの国にしようという事か。

こんな、解説と銘打って記事書いているのに、いまさら誤謬を見つけるとか困るなぁ。

なんでこんな勘違いを僕がしたかと言うと、八紘一宇と言う言葉を用いた日本軍は、世界中を八紘一宇しようとしていたから。

彼らにとっての八紘は地球だった。

だから、その用語を使う宮子も地球規模で考えていると勘違いしたけれど、普通に日本の隅々まで日本の国にしたかっただけだろうと思う。

まぁ、全て直したら台無しだから、このままにしておくけれど。

・2015年5月12日追記
間違いです。考え直した結果、宮子の目的は日本民族による世界統一でした。詳しくはここに書いてありますが、長いので今はこの記事だけ読んでください。

そんな宮子の野望だったけれど、それは完遂されずに物語が終わる。消化不良が否めないけれど、このどうしようもない虚無感こそがなるたるなのだから、これが正解。

須藤直角は結局、一人でも多く人が死ねばいいから、軍事力を行使できる宮子に近づいたけれど、涅見子がシェオルを掌握した結果、核爆弾の発射サイロの場所が分かるようになったから、とっとと地球を滅ぼすために核をそこらじゅうに打ちまくった。

こんな風にそれぞれの思惑がぶつかり合うから、物語に一本の線がなくて極めて分かり辛い。

次に、小森については要するに母親を殺したかった。

これね、最初わかんなかったんですよ、僕も。

いや、最初わかんなかったのはなるたるの全てに言えることなんですが、小森については結構彼の発言は矛盾しているようにとれる。

それが矛盾ではないと分かったのは最近のこと。

彼の思想は、不健康な人間が生き残っているこの世界を健康にしよう、その為に生き残るであろう人間は体力がある人間だけにしよう、そこには知恵は要らない。大学を出ているだけで殺してしまおう。

って思想なんですが、反面日頃は非常に母親思い人当たりも良い。

非常に矛盾している。


(三巻pp.108-111)


と最初は思ってたんですが、結局、彼の思想は不健康な人間は死ぬべきだ、って思想なんですよ。

でも、彼は母親を介護しなければいけない。

なんで介護しなければいけないかと言えば、この世界が健康ではないから。

でも、この世界がこの世界である以上、母親の介護は続けなければならない。

ならどうするか。


(二巻pp.10-11)

世界の形を削るしかない。

ま、世界を削る前に、ビタミン削られて脳みそ壊されちゃあ世話ないですが。

次にのり夫。

単純に、「鶴丸の子供が欲しい」.

悲しすぎる。

鶴丸に愛して欲しいのではなくて、鶴丸の子供が欲しいんですよね。

人を好きになることと生殖は違うことだって言っていたけれど、結局鶴丸の子供が欲しいんですよ彼は。


(九巻pp.168-169)

こういうこと言っていますけれど、日ごろ人形を作って自分を慰めていますし、


(七巻p.46)

赤ん坊の顔をこんな風に見つめていたりする。


(七巻p.47)

なんで、そんなふりをしているかと言えば、男だから。

男のくせに鶴丸が好きで、男のくせに鶴丸との子供が欲しい。

「好き」って所までは普通に読んでいても分かるだろうけれど、子供が欲しいって所は、

(十巻p.201)

死ぬ直前に「作った」ものが子宮を模したところに胎児居る「形」で、最後の言葉が「言いたいこと、言えなかったなぁ…」なのだから、「鶴丸のことが好き」そして「鶴丸の子供が欲しい」と言いたかったと考えるのが妥当。

更にその妥当性を高めるのが、シイナが「やっと言えた」セリフが「鶴丸 好き」であって、その直後に生殖、セックスをしていると言う事実。


(十二巻pp.191-192)

この直前、シイナは地球とチャネリングして地球の記憶を得て、その中の走馬灯で実生のことに加えて生首ののり夫のことも見ており、おそらくそこでのり夫の気持ちと言いたかったことも知った。

だから、ここでやっと言えたことは、のり夫が言えなかったことでもある。

のり夫はこんなことを考えて行動していたけれど、急に出てきたヤクザ達のせいで彼の物語が侵犯されたために非常に分かり辛くなっている。

最期に、これが超重要であって、もうこれがなくてはなるたるが成立しないのだけれど、鶴丸がしたかったことについて。

要するに、鶴丸のしたかったことは「世界の存続」。

だけどこれがどういう事かを説明するのもまた怠い。

地球のリンク者は他の竜と違って、記憶の為の媒体ではなくてこれから地球をどうしていくかという事を考えなければならないから、二つの正反対の思考が選ばれる。

なんでシイナと涅見子なのかは不明。

とりあえず、第一話でリンクするけれど、シイナは拒否する。

拒否する理由は「シイナ」という名前が、ひいては母親が嫌いだから。

この後にホシマルが出てくることになるけれど、なんで出てくるのかが問題。

これ読んでいる人に、ホシ丸のリンク者が鶴丸であるという事を知らない人はいないという前提で書くけれど、鶴丸が何をしたかったのか、っていう事がまた問題。

でも、鶴丸が世界を存続させたかった、っていう前提で話を一つ一つ見て行けば、少しづつ全体が見えてくる。

そもそも、なんで鶴丸が世界を存続させたかったと断言するかと言えば、このページの記述に依る。



(十二巻pp.133-134)

これだけ読むとただ意味深なだけで何言ってるのか訳が分からないけれど、理解しようという姿勢が大切。

「僕は実行者であって、判断するの役割じゃない」って言っている以上、判断する役割の人が居るという事。

そして、これらの実行したことは全て玉依さんのため、正確には涅さんと玉依さんの為、と言っているのだから、判断するのはこの二人という事が普通に読んでいればわかる。

でも、何を判断するのだろうか、ってのが問題であって、須藤が何を実行したのか、がその答えになる。

須藤が実行したのは「虚無へと収斂する破壊」。

なんなの?って事だけれど、要するに破滅する地球の未来。

それを実行してみて、シイナと涅見子に何かを判断させようとしている。

そして、須藤が対極に鶴丸のことをあげて「混沌へと拡散する創造」をあげている。

じゃあ、ここまで鶴丸が何をしてきたか、って言ったら子供を「つくる」こと。

それも混沌とひたすらに誰構わず女なら孕ませる。

まぁ、ここまで丁寧に説明すればわかるだろうけれど、要するに、次の地球のあり方の決定権、判断する権利を持つ二人が居て、その二人に対して、どんな地球が望ましいかを判断させなければならない。

その為に、対極のあり方を、須藤が人類が滅亡するという事はこういうい事だというあり方を、鶴丸が人類がこのまま拡散し続けるという事はどういうことかというあり方をそれぞれ見せるという役割があった。

なんでそんな役割があるのかは不明。

ただ、そのような役割がないとしたならば、須藤と鶴丸の行動の説明がつかない。

須藤は人間が嫌いだから、涅見子のそばにいて破滅の道を突き進んで、鶴丸は子供を100人作ると言ってセックスしまくって、それでもシイナのそばにいてホシマルでシイナを守り続ける。

その役割について、より上の記述の明証性を高めるページがある。


(九巻p.171)

これね、もう何の話だかさっぱり分かんないんだけれど、ここまで僕が記述した内容を前提に読めばわかってくる。

シイナは母親との関係が最悪で、自分が母親になることはあり得ないと考えている。

これについて、僕は説明が絶望的に足りないとは思うのだけれど、一応描写はされている。

めんどくさいから頁と巻数は調べないけれど、貝塚ひろ子に「絶対に母親にならない」と言っているし、「1/365の憂鬱」で、父親と母親との接し方の違いが描かれているし、水嶋君に好意を示されそうになった瞬間、凄い顔してるし、

(六巻pp.38-39)

母親になれる=セックスして子供が作れる証である生理が来たとき、顔面がぐしゃぐしゃになる程に泣いている。


(十一巻p.51)

こういう風に、分かったうえで読むとなるほど、ちゃんと描写されているのだけれど、普通に読んでたら分からないと思うから、なるたるは欠陥作品だと思う。

とにかく、シイナは母親が嫌いなのです。

なんで嫌いかって言えば、首絞められたり、育児放棄されてたりするからなんですが、これも説明が足りない。


(八巻p.181)


(十二巻p.146)

なんでこんなことになっているかと言えば、上の画像に書いてあるそのままなんだけれど、実生を取り戻すことに美園が手いっぱいで、シイナに愛情を注ぐことが実生に対する裏切りになると考えたから。

けれど、一応美園はシイナのことを愛しているらしい。

シイナの名前も、実生なんて名前付けたから実が生って竜なんかになっちゃったけれど、秕、すなわち実が生ることがない実の名前を付けることで手元に置いておきたいという気持ちを込めての名前だったりする。

ただ、そんなゆがんだ愛情小学生のシイナに伝わるわけはないので、シイナは普通に母親を恨む。

そこから、シイナは「私は母親になんかならない!」と心に誓っちゃったからさあ大変。

鶴丸の苦労がここに始まる。

鶴丸はこの地球の存続、子供を作って世界を拡散させて混沌を作り上げることを目的としているけれど、その作り手であるシイナが子供作らない宣言をしている。

これは困った。

混沌の住人としては何とかしなければならない。


(三巻p.38)

シイナにはこの世界が続く様に世界は楽しいものであると刷り込む必要がある。

その為にホシ丸を送り込む。

ホシ丸のデザインがメルヘンなのはそのせい。

竜の子のデザインは個々人で選べる。

ホウキがその証左。

そして、これがただの憶測ではないという根拠がこのページ。



(一巻p.68-69)

正直、この「人の努力を一発でナシにした」って言葉の意味が分からな過ぎて非常に悩んだ。

けれど、今は分かる。

結局、ここまでに鶴丸がしたことはホシ丸をシイナと邂逅させたことしかなくて、それがのり夫の「ブス」という一言でナシになる理由を考えると、やはり、世界を楽しいものとしてシイナ認識させたいのに、のり夫が「ブス」という事でそれが崩れてしまったと考えると筋が通る。

ちなみに、このシーンののり夫の発言を「嫉妬」という二文字を前提に見ると胸が締め付けられる思いがする。

こんな風に世界を楽しいものだと認識させようといろいろやっているのだけれど、もう何か成功しない。

いきなり小森に襲われるし、父親の飛行機墜落するし、自衛隊は毒ガスで死んでいくし、ひろちゃんは殺しまくった挙句、シイナ自身の手で(貝塚ひろ子が死んだその時は、シイナはホシ丸のことを自分とリンクしていると考えているため)殺してしまうし、中学に上がったかと思えば、腕の骨が折れるほどにボコボコに殴られるし。



(八巻pp.193-194)

これを読んでわかるように、ホシ丸はシイナに楽しい毎日を提供する「はず」だった。

でも、そうなっていないのは、なるたると言う物語が、個々人の思惑が複雑に入り組んで、それぞれのやりたいことを徹底的に妨害するという仕様だからに過ぎない。

こんな風に世界を守るためにシイナに楽しい世界を見せることを失敗した鶴丸だけれど、それでも、鶴丸がしなければならないことは、シイナに世界を創造するという事を選択させること。

その為にはシイナは創造を知らなければならない。

どういう事かと言えば、子供を作ることを知らなけらばならない。

そして、その前段階として、人を好きになるという事を知らなけらばならない。

そうした前提を置いて、この画像に戻ってくると、言葉が急にコンテキストを持ち始める。


(同上)

過剰に達成された目的は、シイナが人を好きになるという事であって、鶴丸が父親であり息子で恋人じゃない、って言葉の意味は、シイナに創造を教えるという意味では鶴丸は父親であり、母なる地球のリンク者であるシイナに対し、その地球の一構成員でしかない鶴丸は息子であるという事。

どれをとっても鶴丸はシイナの恋人ではなく、シイナと子供を残す立場ではないのだから自重しろよ、って所がのり夫の言いたいこと。

過剰に目的は達成されたという言葉は、シイナが人を好きになっただけじゃなくてその相手が鶴丸である言っている。

ここまで読んだなら、鶴丸の目的ははっきりしたと思うけれど、その目的は達成されたかも問題だと思う。

シイナは人を好きになるだけではなく、自分の名前を受け入れて母親を許したけれど、世界は亡びる。

世界は虚無へと収斂された。

だけれど、おそらく鶴丸の努力は決して無駄じゃなかったはず。

と言うのも、シイナが鶴丸の子供を宿しているから。

て言っても、男女二人だけの人類なんて滅びしか待っていない。

まぁ、星の記憶には残るんじゃないんですかね?

そしてこの物語は虚無感に包まれて幸せなキスで終わるのだから、これから世界がどうなったのかは分からない。

このまま虚無に飲み込まれて、生物の何もいない地球になったのかもしれないし、シイナが星の記憶を使って、また新しい世界を作り上げたのかもしれない。

けれど、それは『なるたる』の物語の範疇ではない。

なるたるは裸の幼児がただキスをして、ただ終る。

始めて読んだ時は、唖然として、しばらく呆然としたけれど、これが虚無か混沌かなら判断できる。

読み終わった直後、何も残らなかった。

残ったのは虚無感だけだった。

だから、シイナの選択は虚無に収斂される破壊だったのだと思う。



まだ、ハイヌウェレの人形の話に入っていないけれど、普通に疲れて来たのでここまで。

もう既に書き始めて二時間以上経ってる。

今日はこれ以上頑張る必要はないと判断。

のり夫が作ったハウヌウェレの話は、以上の話を前提とします。

以上の話を前提として、どうしてそこにあるのかと言う話をしますのです。

はい。

では、また遠いいつか。

僕はもう疲れたよ。


・2015年10月17日追記
今日、なるたるが実はハッピーエンドで終わったという理解に苦しむ事実が発覚した。

シイナと涅見子の子供たちは、次の世界を作ったとほぼ断言できる段階に至った。

ただ、その事を書くのはめんど、大変なので当分先に書く。

この記事の調子だとご自身で考えてみてください、って感じだから、このこともそうしたいけれど、こんなの分かるわけがない。

鬼頭先生はもっと読者の事を考えて漫画を描くべきだったと思う。