先月のアクセス履歴を調べていたら、本当に予想外の結果が分かった。

一番アクセスのあった記事はある程度想像通りだったのだけれど、二番目が想定外で予想外の記事だった。

どの記事かと言えば、http://ameblo.jp/ziro-shimoi/entry-11867809520.htmlで、タイトルは『なるたるの竜』。

まぁアクセスがあるという事はそれだけ読まれているという事だから、次の日記は僕の性癖について書く予定だったけれど、予定を変更してなるたるのことについて。

上のなるたるの竜の記事は魂を込めて書いたわけじゃないのになんでこんなにアクセスがあるのだろうかと思ったけれど、要するにタイトルがあまりにも検索に引っかかりやすい仕様だったからだろうと推測している。

以前、それと同じように『夜回り先生』というタイトルで日記を書いたけれど、その記事に夜回り先生というワードで来ている人はほとんどいなかった。

つまり、検索された所で、他に代替になるようなサイトが、他に引っかかるようなサイトがあったなら引っかからないという事なのだと思う。

なるたるなんてほとんど読んでいる人居ないわけだし、それについてwebに何か書く人も多くないみたい。

だからこの日記にアクセスがあったのだろうけれど、なるたるのことについて知りたければ、『「なるたる」のわからない所を解説するサイト』が存在するのだからそこを読んだ方が早い。

けれども、このサイトは入門者向けと言うか、かゆい所には手は届かないし、明らかなところが曖昧に描かれてたりする。

シイナが機銃で撃たれてバラバラになった後に再生したのはどう考えても涅見子だし、アキラは他殺。http://sasasa.s206.xrea.com/narutaru/que.html

人間同士の争いに竜は一切関与できないのだから、実生はシイナが死んだところで助けられない。(六巻p.128 十巻p.210)

死ぬ人間を生き返らせるという干渉が出来るのだったら、そもそもピンチになった時に助けに来れる。

けれど、竜は助けに来ない。

結局、竜はただの記憶媒体でしかないのだから、観察者効果じゃないけれど記録の中に竜が紛れ込んではいけないからだと思う。

アキラが他殺かどうかについて言えば、これを自殺と考える人の読解力について疑いを禁じ得ない。

物語を俯瞰してみれば、アキラが自殺する理由が何処にもない。

結局、アキラのやりたいことと言えばセックスだけだけれど、最後のセリフが「一回も飛べなかったなぁ」で、その直後に背中を負傷したとはいえ、セックスする機能を失ったわけじゃない。

怪我が治ったらこれから毎日セックスすればいいだけの話であって、死ぬ理由は特にない。

ちなみに、この「飛ぶ」という言葉は、フロイトの文脈でセックスと言う意味らしい。

まぁ、そう明言されたわけじゃないけれど、その解釈で正しいと思う。

そして何より、アキラが他殺であるという理由は、その死ぬ直前のコマを見れば明白。
 


(十二巻p.206)

何の為に直前にこのコマがあるかをちょっとでも考えればアキラが少なくとも身動きできないという事が分かる。

人工呼吸器が何故つけれられるかを考えれば、それは自発呼吸が困難であると判断されたからに他ならない。

緊急搬送の場合はさておいて、アキラは入院患者なのだから、恒常的に自発呼吸が困難であるほどの重症という事になる。

この状態だと意識があるかどうかも怪しい。

それなのに自殺ってどうやるのだろう。

竜の子を使ったとか書いてあったけれど、そもそもアキラのシンクロ度は鉛筆で字を書くことすら困難なレベルで、エン・ソフが走っただけでアキラは息切れしている。

それなのにどうやってアキラの体を運べるのだろうか。

答えは運べない。

そしてそもそも、罪もないアキラが暴徒に襲撃されて無残にも殺されたからシイナの絶望がより深まるのであって、アキラがあのタイミングで自殺したならば、その死がシイナのこの世界が「なくなってもいい」と言う感情に寄与することはない。

この世界にシイナの全てが破滅させられた、と言う前提なしに最後の地球大掃除はありえないのだから、そうではなくアキラが自殺したとなると、そのアキラの自殺だけが本当にあの最終話の中で浮いてしまう。

諸々の描写もそうだけれど、なるたるの物語を考える上で、アレが他殺じゃなかったと考える人は、多分なるたるを流し読み程度にしか読んでいないのだと思う。

こんな風に『「なるたる」のわからない所を解説するサイト』には不備があるけれど、まぁ軽く読む程度だったらこのサイトで十分であるとは思う。

けれど、webにだって十分な説明はある。

『滑走キ』と言うサイトなのだけれど、「鬼頭莫宏作品ファンサイト」と名乗るだけあって、なるほどレベルが違う。

特に、「なるたる評価委員会2003」のページについては、あまりの考察力に僕は恐怖すら覚えた。

どうやったら、アキラが父親を刺した時点で「父親とセックスしようとしたけれど拒まれたから」という事まで理解できるのだろうか。

怖いわ。

あと、鬼頭先生から貰った年賀状の話とかも出てきて、もうとにかくこのサイトの管理人の事がよく分からない。

何者だよ、って思う。

ただ、『ぼくらの』について言えば、結構間違ってたりしたので、彼も人間なのかと思ったり思わなかったり。

正直、このサイトを読めばなるたるの分からない所なんてほとんどなくなるのだけれど、僕はここに書いていない一つのなるたるのよく分からない所について書きたいと思う。

具体的には、
 

 

 


(三巻pp.78-79)

このページについて。

ごく普通のページのように思えるかもしれないけれど、よくよく読んでみると、これを作ったのり夫はこの人形のモデルであるハイヌウェレにこの時点では一度も会っていない。

少なくともその描写は一度もされていない。

これがどういう事なのか。

偶然にも同じデザインを思いついただけ、っていう可能性もあるのだろうけれど、
 

 

 


(七巻p.202)

このページで否定される。

つまり、のり夫は確実にハイヌウェレと邂逅してその目で見ているのだけれど、それはいつなのか、ってのが問題。

僕はこの事について「おそらく」の、または「蓋然性の高い」答えを持っている。

ただ、それを説明するのがそりゃ大変。

大体、この記事のタイトルはなるたるのサブタイトル「二人の長い旅の前の、二人の短い旅の前の」インスパイヤの「なるたるの長い話の前の、なるたるの短い話」 なんだけれど、その短い話、でこの分量なのだから、長い話、がどれ程長くなるのかわからない。
 


(11巻p.165)

 


一応次の日記はそれについて書くつもりだけれど、そんな気力があるかなぁ。

結構、この短いって銘打っているこの記事の時点で疲れているし、もう既に一時間くらいこれ書いているわけなのだから。

でもまぁ、アクセスが多いのならばそれが期待されているという事なので、一応書くつもりではいます。

でも、なんていうか、これを読んだ人が各々いつ、のり夫がハイヌウェレを見たかを考えていただくと、僕も幸いですし、それをコメントとかに残していただくと、僕が無駄な努力をしなくて済みます。

あの、ですから、コメント…お願いします。

もし、僕がいつのり夫がハイヌウェレを見たかについての日記を書いたなら、この記事に追記で書きましたと書くので、追記がない限り、その事については書かれていないということなので、もう誰でも良いのでコメントください。

本当に。

 

・追記

コメントは諸般の事情で打ち切りました。

あと、カテゴリーで「なるたる」を作りたかったりするのだけれど、以前書いたなるたるについての記事は、他の関係ない話題の中になるたるの話を挿入しているという形で、なるたるだけを独立して扱った記事は二つしか存在しない。

だからカテゴリーを作ったところで、この記事を含め三つの記事しか登録できない。

本当は全部の記事を洗いざらいして、なるたるのことについて触れられていたらなるたるのカテゴリーにいれたいのだけれど、藁の中から針を探すような途方もない話。

もう誰でも良いから、なるたるの記事を読んだら報告してほしいレベル。

ただ、現状だと「俺が垂れたクソからピーナッツを探して食え」というハートマン軍曹もビックリなレベルだからどうにかしなければならない。

まぁ、とりあえず、タイトルになるたるとついている記事だけでカテゴリー「なるたる」を作ることにして、あとから追加すればいいか。

僕も一応努力はしますが、助力をお願いしたいレベルです。

そして作業を始めたら、http://ameblo.jp/ziro-shimoi/entry-11491945263.htmlこの記事のカテゴリーがかえられない。

「漫画『なるたる』における人間理解」の記事だけれど、古い記事は4000字以内に収めなければ更新できないようだった。

ていうか、元々4000字を越えている記事のカテゴリーを変えるだけの更新が出来ないってどういう事なんだろうか。

死ね。おっ死ね。



いや、どうにかなった。

うん。

そんな感じです。

ではまたいつか。




・追記
途中までですが書きました。