書いていくことにする。

 

なんか2025年の8月30日に、鬼頭先生がイベントをやるらしい。

 

 

これについては鬼頭先生自身も宣伝している。

 

 

話としてはそれだけで、このイベントは今埋め込んだポストにあるリンクを読むに、以下の内容であるらしい。

 

「■イベント詳細
漫画家、イラストレーターの鬼頭莫宏によるイベント「もひろのついばみ」を開催します。
当日は2部構成となります。各部内容が異なりますのでご希望の部へお申し込みください。
 
1部は漫画のキャラクター、ストーリー、構成の作り方等、技術寄りのトークがメインとなります。
2部は漫画、アニメやその他、メディアミックス等、エンタメ寄りのトークがメインとなります。
 
・コミックコメンタリー(作品を読みながら解説やトーク)
鬼頭莫宏作品の中から参加者の皆様より事前に作品名と話数のアンケートをお取りします。(例:ぼくらの 1話)
その中からイベント当日に先生がお話しする作品、話数を選びます。
作品の裏話やここでしか聞けない、業界の危険なお話なんかも…
 
・質問コーナー
参加者の皆様より事前にいただいたご質問に先生がお答えします。
作品アンケート・質問はチケット申込時に表示されるアンケート欄にご記入ください。
 
・サイン会
各部終了後に希望者全員、先生よりサコッシュへのサイン会がございます。
 
■開催日
2025年8月30日(土)(参考)」

 

ただ、こういう風に告知の記事を今になって作っているけれど、このイベントの申し込み自体は実際、昨日までだったりする。

 

 

昨日までで募集は打ち切りであった様子はあるけれど、このイベントをやっているところのXの情報を読む限り、もしかしたら追加で募集とかもあったりするのかもしれない。

 

 

結局の所、この言及がどういう意味かは判然としなくて、最初想定していた"箱"があって、けれどもその想定していた人数より多くの応募があったから大きな箱を再調整で用意するという話だったらもう応募はないのだろうと思う。

 

一方で、反響を見てもう少し人を呼べそうだと思ったから、大きな箱をまた調整しているという話だったならば、また募集があったりするのかもしれないけれど、実際の所はよくわからない。

 

ちなみに、鬼頭先生はこのイベント会社?で過去に行われた講習会にゲストで参加していて、どうやらその時の縁で今回こういう話が鬼頭先生に舞い込んできたらしい。

 

前回のゲストとして参加した講習会については僕の方から敢えて言うことはないけれども、ゲストとして呼ばれて会場入りして、そこでイベント会社の人と挨拶することがあって、そこで鬼頭先生と縁が出来て、今回の企画をイベント会社の方から持ち寄って、鬼頭先生が同意したという流れだろうと僕は考えている。

 

まぁ鬼頭先生、同人即売会に出たり、漫画教室をやったりはしたとはいえ、こういうイベントを自主的に開催してきたという過去はないのだから、そういう流れと考えるのが無難なのかなと思う部分はある。

 

ちなみに、「もひろのついばみ」というのは、鬼頭先生が以前出した同人誌が『ヴァンデミエールのぐぜり』で、ぐぜりは生まれたばかりで上手くない鳥の鳴き声のことであって、講談社で事実上デビューした作品が『ヴァンデミエールの翼』であって、なんだか鬼頭先生は自身の漫画家人生を鳥になぞらえている部分がある。

 

ついばみというのは、『なるたる』『ぼくらの、』を経て、ぐぜるような声でしか鳴かなかった鳥が今は飛ぶようになって、それがつついているというニュアンスなのだろうと僕は思う。

 

まぁつついているかはさておいて、鳥のイメージが鬼頭先生の中にあったからそういう名前にしたのだろうし、『ぼくらの、』のエンディングテーマである『Little bird』の影響も少なからずあるのかなと思ったりもする。

 

そんな感じのイベントを鬼頭先生は開催するようなのだけれども、僕は鬼頭先生がイベントをやるという話を聞いて、以下のようなことを思ってX上に投稿している。

 

 

ちなみに、僕はこのポストに以下の文章をつなげている。

 

 

『なるたる』にはかつてそれなりに有名だったコピペがあって、なんでも、鬼頭先生が最初に提出したのり夫の死の場面はあまりに残酷すぎて、編集判断で差し止めになったという話が本当にあったかのように語られている。

 

そのコピペは以下の内容になる。

 

「鬼頭氏のネームには、のり夫が何をされていたのか実際細かく設定されていたそうです。 針金で縛って強制的に止血しながら、関節ごとに、末端から人形をバラバラにするように 皮を剥いで解体していく内容。いわく大出血する部位を避けて綺麗に部品を外して、 中身を見るように壊していくとのこと。ことに足首や膝の解体方法については、聞いた話をそのまま 言うのが気持ち悪くなるくらい常軌を逸したような細かな順序設定がありました。 その上で肛門に刃物を差込み、陰茎の皮を剥ぎ、亀頭を削ぎ、陰嚢を切開して 睾丸を切り 割り、ついで腕部も同じく解体したのち腹部を切開して内臓を取り出す・・・。 部内でも不快感を露わにした反応が大きかったが、絵的描写を行わないことでGOとなったらしい。 」

 

僕はこのコピペについて知ってはいたのだけれども、このサイトでこの話については一切触れることがなかった。

 

まぁ…まず出典が2chの時点で論外だし、普通に考えてガセネタでしょうから…。

 

とはいえ、このことについてはコメントで質問されたことがかつてある。

 

「 acdc-20220711 

細かい描写の意味まで納得が行きました。

そういえばネット上で鬼頭氏はのり夫の拷問シーンをネームに細かく書かれていたという噂がまことしやかに囁かれていますが何か知りませんかなるたる博士」

 

…。

 

最初にこのコメントを読んだときに思ったのは、「馬鹿にしてんのか?(KN)」だったんだよなぁ…。

 

この人…既に記事で僕が十分に説明した内容を読みもせずに矢継ぎ早に何回も何回もコメントで質問してきて、挙句に「なるたる博士」とか…。

 

しかも既に書いてあるから読んでからコメントしてくださいと何度伝えても、変わらず読まずに質問を繰り返してきて、最終的に僕がストレスに耐え切れなくなってこの人のことはブロックすることになった。

 

読んでからコメントしろと言っているのに、読んでたら絶対しない質問をしてきたり、他の記事に答えが書かれていることを何度も何度も質問してきてたような人で、人の話を聞く気がない人の相手をするのはあまりに辛すぎた。

 

僕が漫画の解説を書いてきて一番辛い瞬間は罵声を浴びせられた時ではなくて、内容を理解しないコメントが飛んできた時で、僕が読んでからコメントしてくれって言っているのに、その僕が書いたものを読んでからコメントしろという内容を理解できない人の相手はもう本当に…。

 

それはさておき、先のコメントに僕は次のように返している。

 

「 まず僕はなるたる博士ではありませんので、専門的な知識を持っているわけでもなければ、把握している範囲の事しか答えることが出来ないということを初めに伝達したいと思います。
次に、くだんののり夫のコピペですが、出典が不明瞭であるというところが一番の問題で、あのようなものは誰でも創作できる類のものになります。
例えば僕が似たような文章を今から5chに書き込むことは可能で、そのような出典の定かではない情報は正しいものとして話を進めることは出来ません。
加えて、のり夫の最後はアフタヌーン掲載時には「蝕む闇 その5」という一回分のページ数で全てが描かれたのですが、もし、コピペの内容が事実であった場合、あの内容を42ページで描き切るのは紙幅が足りないのではないかと思います。
単行本に収録されたバージョンでも1話で"あのこと"を描くとしたら過不足なく描写されているというのに、コピペにあるように事細かな手順が描写された場合、倍以上のページが必要なわけで、そんな描写を延々と続けたならば、それこそ「必要性の薄い陰鬱な描写」になりますし、ボツを食らった後に練り直した原稿でのり夫のあの最後を鬼頭先生がまた描いたとするならば、鬼頭先生が凄すぎるという話にもなってきます。
他には、あのコピペは伝聞調で語られていて、責任逃れをしている印象もあります。
結局、あの書き込みをした人は実際のネームを見てすらいないという設定ですし、事細かに話を聞いていなければ書けない内容だというのに、のり夫の話が雑誌に載るか載らないかの判断が"らしい"という形になっています。
あそこまで事細かに話を聞いたならば、雑誌に載るか載らないかの判断の話も詳しく聞いたはずで、正確に話を把握していなければおかしい所だというのに、その話についても推定になっているのは変な話です。
まぁその辺りは創作するに際して細かい所に気を配り損ねたというのが実際の所かなと思います。
ともかく、僕としては何より、初出がおそらく2chの情報なので、そのような情報は信頼するに値しないというのが一番ですね…。 」

 

この返信の中で「必要性の薄い陰鬱な描写」という文言があるけれど、この人は最初、『なるたる』は「必要性の薄い陰鬱な描写」が多いとか意味の分からないことをコメントで言ってきたという過去があってそれを踏まえての話で、僕は「必要性の薄い陰鬱な描写」という言葉に対して、仰っている意味がよくわからないと返したことは覚えている。

 

まぁともかく、コピペ通りだとどう考えても紙幅が足りないし、あそこまで鬼頭先生の元の原稿の話を事細かに聞いておいて、雑誌に載るか載らないかの協議の話は詳しく聞いておらず「らしい」という推量の形になる状況が良く分からない。

 

どういう状況なら「らしい」というそれに至るかを考えたときに、のり夫のネームは陰惨だったという話を創作したに際して、話の整合性として「らしい」という言葉はおかしいと判断できず、創作だからこそ存在する後ろめたさを誤魔化すために曖昧な表現を用いてしまったという理解が最も妥当だろうと僕は思う。

 

なんでネームの内容はあれだけ詳しく聞いていて、雑誌に掲載するかどうかの会議の話だけはちゃんと聞いていないのかという話であって、普通に考えたらネームの中身の話を聞いたなら、それに関連する編集部での会議についても話す以外の流れは考えられないというのに、その辺りが「らしい」となっている時点で、まぁ普通に創作なのだろうという話であって、結局、2ch(当時)なんて誰でも書き込めるところでしかないのだから、どっかの誰かが創作したに過ぎない内容でしかないのだろうと僕は思う。

 

あとちなみに、ニコニコ大百科の掲示板で読んだと思うのだけれど、鬼頭先生はその のり夫のコピペについて、自身のサイトの掲示板でそんな事実はないと否定していたという話を読んだことがある。

 

その書き込みものり夫のコピペと同様に誰でも書ける信頼の置けない内容であるということには変わりはないのだけれども、鬼頭先生が自身のサイトに掲示板を設けていたのはもう本当に昔の話であって、最近はもう更新していない、鬼頭先生のブログサイトである「パズルピースはこんなとこ」より前の、今は閉鎖された鬼頭先生のブログサイトである「パズルピースは紛失中」の"更に"前のサイトの話であって、本当に昔の時点での話になる。

 

今はサイトが消えていて、ウェイバックマシンにも残っていないから確かめようもないけれども、そういう掲示板を鬼頭先生が設けていたという過去はある。

 

僕もその掲示板の存在は昔確認していて、そういう掲示板があったのは確かになる。

 

そして、そんな掲示板の存在を知っている時点でその人は"よっぽど"の人であって、その"よっぽど"の人がそうと言っているのだから、そういうことが、鬼頭先生が直々にコピペの内容を否定したということがかつてあったのだろうと僕は思う。

 

ちなみに、この のり夫のコピペについての話に関しては、僕が過去に一つの記事で触れていた内容だったのだけれど、その記事を非公開にしてしまったので、あのコピペについての僕の見解は改めて書かないとネット上の何処にもなかったという理由から、今回また書くことにした。

 

どういう理由で非公開にしたかとかはあんまり覚えていないけれども、過去の僕が非公開にすることを選んだなら、相応の理由があるのだろうし、古い記事は視界に入れたくないという事情があるので、どういう判断があって非公開になっているのかとかは確認しようがない。

 

万が一その記事を読みたいと思うような人が居たら、別に僕としてはその人のために場所を設けて公開してもいいと思っているので、僕のXの本アカにダイレクトメール送って交渉してください。

 

そういう感じの鬼頭先生の「もひろのついばみ」について。

 

こういう記事を書くならば、それこそまだ募集が終わってない段階でやれよという話だけれども、募集が終わったのが昨日だったとしたところで、この記事を作ろうと思いついたのが今朝ァ!?だったのでどうしようもない。

 

ただまぁ、先に埋め込んだポストに書かれていたように、もしかしたら追加募集とかがあるかもしれないのであって、気になる人はそのイベント会社のXのアカウントをチェックしてみるといいかもしれない。

 

…そもそもの問題として、鬼頭先生が開催するこういう風なイベントに参加するほどの鬼頭先生のファンは既に鬼頭先生のXアカウントをフォローしているはずで、僕があれこれ言う前に情報は手にしている可能性が非常に高い。

 

だから、あんまりこういう記事を作っても意味があるということはなくて、ただ、自分がこのイベントに関連するポストを投稿していて、それをふと思い出したときに、そういや、のり夫のコピペの話は何処にも載ってないなと思って、脳内で記事の文章の量をはかった時に、一つの記事分くらいになるなと思ったので、記事を作ろうと思ったというだけの経緯でこの文章は書かれている。

 

未だにこのサイト、訪問者数が毎日100人を超えているし、あとから読んだときに鬼頭先生はそういうことをやっていたと知れるのは無駄ではないと思うから、まぁ良いんじゃないかと個人的には考えている。

 

あと何処で『なるたる』がバズったのかは知らないけれど、先月とか一日の訪問者数が1800人の日とかあったみたいだし、その日の前後はそれぞれの日に1300人以上がアクセスしてたみたいで、未だに訪れる人は居るっぽくて、そういう風に後になってからこのサイトを読むような場合は、こういう記事は必ずしも無駄ではないのではないかとは思ったりもする。

 

そんな感じです。

 

では。

 

・追記

なんだか鬼頭先生が自身の口からあのコピペは都市伝説だと言及した。らしい。

 

 

(同上)

 

結局、鬼頭先生があのコピペマジやでって言ったなら、この記事は非公開にしなければならなかったのだから、まぁそういう意味では一旦セーフか、と僕は思った。

 

一方で、病んでいた云々については、僕の口からは鬼頭先生がそう言っているのならそうなんじゃない?としか言いようがない。

 

そもそも、このサイト以外でネット上で鬼頭先生が病んでいた云々の話の元になっているインタビューは、そのやり取りを見たらそれは冗談で言っていると分かる感じのそれになる。

 

「――『なるたる』までの作品と比べて、『ぼくらの』は、ずいぶん優しくなったというか、救いがあるような印象をうけるのですが、そのあたり、なにか心境の変化があったりしたのでしょうか?

鬼頭:どうなんですかね? あまり「変わった」つもりはありませんね。
実際、今、頭の中にある企画のうちの1つを出したら「あ、やっぱり鬼頭は鬼頭だ。全然変わってない」って思われますよ、絶対。
それと短編集を見ていただけると分かると思うんですが、僕はべつに残酷な作品を描きたいと思って描いているわけではないんですよ。ただ、展開としてそうするしかなかったので、そうなっただけなんです。
まあ......『なるたる』の頃は、いろいろなことがあって病んでいたので、その精神状態が反映されたのかもしれませんけど(笑)。
『ぼくらの』が変わったように見えるのは、『なるたる』でやったことはやらないようにしているからじゃないでしょうか。『なるたる』のテイストを『ぼくらの』に盛り込めと言われたら盛り込めるんですけど、今回はあえてやらないことにしています。(参考 下線引用者)」

 

この言及から鬼頭先生が当時病んでいたという話を導き出すことは出来ないわけで、僕はそれゆえに病んでいる云々の話の時にこのインタビューのやり取りを持ち出すということはしなかった。

 

じゃあ、当時の鬼頭先生がどのような状態であったかについていえば、本人が病んでなかったというのだから、病んでなかったんじゃない?としかこちらとしては言いようがない。

 

なんつーか、鬼頭先生自身がこの頃自分が病んでいたと言明して得があるのかという話であって、一切得はない。

 

更には未だに日本だとメンタルをアレしていた時期があるという話については、その人についての"査定"を下げる要因であり続けるような話で、その認識は昔に比べたならば緩和してきているのだろうけれど、鬼頭先生の世代だと、普通口に出せないようなレベルの話になる。

 

鬼頭先生が実際に当時病んでいたか病んでいなかったかは一先ず置いておいて、鬼頭先生の世代だと、そういう"アレ"な状態については、それを表に出すことはまず出来なかったような概念で、病院に行くという選択肢がほぼほぼ存在していないという場合もあったような話になる。

 

多少メンタルがアレでも病院には行かないのが昔のスタンダードで、昔は今程の理解は確実に存在していなかった。

 

だから、今基準ではアウトなそれでも病院に行かないことはあったし、それは今でもだろうし、昔はそれどころではなく"その事で"病院に行くのはハードルが高かったのだから、もしかしたら鬼頭先生は行かなかったのかもしれない。

 

そして、この講演会で自身が事実そうであったと言明して鬼頭先生がどのような利益を得るのかという話を考えたときに、鬼頭先生が別に病んでいなかったと言うのなら僕は、鬼頭先生がそう言っているのなら、そうだったのだろうとしか言いようがない。

 

今じゃ「あんまり触れない方が良い話題かな?」程度だけれども、昔はまぁ…うん。

 

それでも僕が10台だった頃よりは扱いは良くなっていて、僕の世代でそれなら、鬼頭先生の世代、飲酒運転が当然の権利のように行われていて、パワハラセクハラ当たり前、教師や親が子供を殴って教育していて、部活中に水を飲んではいけないという指導を行っていたという、今と価値観がかけ離れていた世代だと、まぁ色々違いはあるのだろうと僕は思う。

 

この話については、鬼頭先生の言葉が正しいと思えば鬼頭先生の言葉を信じればいいし、僕が以前書いた内容や、今ここで書いた内容について、それが正しいと思えばそちらを正しいと思えば良い…としか僕からは言えませんね…。

 

それに加えてこのサイトの古い記事はもう、一切弄らないと決めているから現状のまま押し通すしかないですし。

 

 

…はい。

 

このポストを引用した時点で、これを読んでいる人と僕とでこの出来事についての知識は殆ど同じになってしまうので、これ以上僕の方から言うことはない。

 

一応、細かい話を補足していくと、テヴリルというのは神奈川県秦野市に存在する喫茶店で、なんか英国っぽい雰囲気をコンセプトとしたそれであるらしい。

 

そこで鬼頭先生の個展をやるらしい。

 

このテヴリルという喫茶店について言えば、鬼頭先生が開いている漫画教室が行われている場所になる。

 

この投稿にはデヴリルの話はないけれども、デブリルのXアカウントの方でそこでやるというポストがされている。

 

 

鬼頭先生の漫画教室は募集自体が今年の6月で、実施は8月に行われて、既に第一期は終わっている。

 

かなり多くの応募があったらしくて、その中から鬼頭先生が抽選した6人が鬼頭先生から何らか教えてもらっていたらしい。

 

実際、鬼頭先生はその漫画教室の開催の話をする前に、(自称)売れている漫画家が行っている如何にも怪しげなセミナーに参加していて、あのセミナーへの参加は漫画教室の為の情報収集のためのそれだったらしい。

 

…あんまり深掘りすると藪蛇になりかねないからあまりこちらとしても多くは言わないけれど、そのセミナーが実に…なんというか…あれで、こんなのに参加して大丈夫か…?って感じだったけれど、鬼頭先生的には漫画教室を開くにあたって、雰囲気を掴むための参加であったらしい。

 

そのセミナーについては僕の方からは多くを語らないので、鬼頭先生のXのアカウントの2024年の2月頃のそれを確かめてください。

 

余計なこと書いて名誉棄損とかで訴えられたら馬鹿みたいだからね、しょうがないね。

 

ともかく、その漫画教室は個展と同じくテヴリルで行われたらしい。

 

鬼頭先生はその漫画教室の為だけのXのアカウントを持っていて、形式として、このアカウントでフォローしている人物がイコールで次の漫画教室の参加者になっていて、そこからどんな人が漫画教室に参加したのかを第三者が知れるような形になっていた。

 

そこで一回目の参加者を僕は見ているのだけれど、漫画版の『薬屋のひとりごと』のスクエニの方で漫画の構成をやっている七緒一綺先生とかも参加していた。

 

…まぁスクエニ版の『薬屋のひとりごと』は作画がねこくらげ先生で、構成が七緒一綺先生になっていて、どんな感じで作業が行われてるのか良く分かんないっすけどね。(素)

 

七緒一綺先生については下手したら鬼頭先生より絵が上手いのでは…?と思う部分もあって、ただ絵が上手いことと漫画が上手いことは別なのだから、それでもやはり、鬼頭先生から学びたいことがあったのだろうと思う。

 

まぁなんにせよ、鬼頭先生とテヴリルにはそういう関係性があって、その延長線上に今回の個展の話があるらしい。

 

鬼頭先生はかなり地域密着型の漫画家で、秦野市からの仕事を良く受けているし、秦野市で行われた野球大会のポスターを描いていたりする。

 

 

鬼頭先生…女学生…野球…。

 

ナニモイウコトハナイ。

 

鬼頭先生自身もかなり秦野に愛着があるらしくて、身も心も売り渡していると言及している。

 

 

多分、秦野で生まれ育った僕より遥かに、秦野に愛着があると思う。

 

僕とか秦野の事をクソ田舎って普通に言及しているし、北に20スタディオンも行けば、ヘルウェティイ族とか居ると思ってるしな。

 

ともかく、鬼頭先生が多分に地域密着型であるから住んでいる秦野で個展を開くのだろうと僕は思う。

 

…一切関係ないのだけれど、秦野ってチルノ博物館があるんだよな。

 

だから、鬼頭先生の個展にわざわざ遠くから来たというような場合は、チルノ博物館にも行ってみても良いのかもしれない。

 

普通に痛々しくて近寄れないような施設だとは思うし、僕も近づいたことすらないけれども。

 

あとは山以外なんにもないので、普通に帰るだけだと思う。

 

…こういう開催のお知らせの記事は書いたけれど、僕は個展には行かないよなぁと思う。

 

純粋に、僕は絵を見て感動したという経験がなくて、性分として絵を見ても多くの感情を抱かないタイプだから、美術館に行くということはないし、こういう個展にも関心はない。

 

行ったことある個展は、偶然道を歩いてたらやってたからなんとなく入った『孤独のグルメ』とかの久住昌之先生の個展と、桃種先生の個展だけだと思う。

 

…桃種先生の個展については、行かなければよかったと本気で思ったけれども。

 

それはともかく、久住昌之先生の個展についても、入ったは良いけれど、本当に何も思う所はなかった。

 

思ったことは絵が飾られてるな…くらいで。

 

だから、個展などの絵が飾られているような空間に僕の方で御用事がなくて、鬼頭先生に興味があるかないかとかそういうレベルの話ではなくて、絵を見ても多くの事を抱けない脳の構造しか持っていないから、行っても仕方ないという理由で行かないだけになる。

 

一方で美味しいラーメンは食べれば美味しいと普通に思うのであって、鬼頭先生が紹介していたラーメン屋の方には行くかもしれない。

 

最後に、鬼頭先生の個展のポスター用?のイラストにはヴァンデでそのイメージが強い作り物の羽と、子宮のマークが描かれている。

 

(https://x.com/mohiro_kitoh/status/1841119318396014661)
 
僕はこのイラストを見た時に、何故子宮のマークがそこに?と思っていて、そして未だになぜそこに子宮のマークが描かれているのかは良く分かっていない。
 
おそらく、鬼頭先生の中でヴァンデという作品はこの子宮のマークが重要なシンボルで、そのシンボルが用いられているのだろうとは思う。
 
ただ、このマークは『なるたる』でも継続して用いられていて、タイトルロゴにその意匠が使われている。
 
(鬼頭莫宏『なるたる』1巻 表紙)
 
タイトルロゴにも使われているし、それ以外にもこの表紙には2か所そのマークが使われていて、別にこのマークはヴァンデの専売特許でもないということがここから分かる。
 
ただまぁ、表紙以外の作中にあのマークが使われているのはヴァンデだけだから、鬼頭先生的にもヴァンデの印象が強いが故に、今回、あのマークが使われたって感じなのかなと思っている。
 
(鬼頭莫宏『ヴァンデミエールの翼』2巻p.106)
 
…よく考えたら子宮のマークなのか卵子のマークなのか分かんねぇな、これ。
 
一応、単行本未収録の『なるたる』の扉絵で、このマークがシイナと涅見子の腹部に描かれているから、そういうニュアンスだということは分かっていて、ただ、今引用した画像だと、くだんのマークを包む形で何かが描かれていて、そうとするとその部分が子宮で、あのマークは卵子と考えた方が良いのかもしれない。
 
…。
 
卵子って言うと色々直截的過ぎるな…。
 
女性の育みのシンボル程度の言及の方が適切かもしれない。
 
まぁいい。
 
そんな感じの鬼頭先生の個展について。
 
では。

書いていくことにする。

 

なんつーかこう、『終わりと始まりのマイルス』の愛蔵版が発売されるらしい。

 

 

(同上)

 

…この投稿を引用した時点で、僕が把握しているマイルスについて新たに明らかになった情報は全てになる。

 

ただまぁそれだけでは寂しいので、少し細かい話を書き足すことで記事の中の文字数を増やすことによって、お茶を濁していきたいと思う。

 

まず、先々月書いた『完全版 殻都市の夢』の発売についての記事(参考)で、鬼頭先生が何等か描き下ろし漫画を描いているという話をした。

 

 

この話について、僕の方で色々、マイルスが一番可能性が高そうだけれど他の可能性についても言及していて、ただ結局の所はやはりマイルスの話であったらしい。

 

そもそも、先に『殻都市の夢』の完全版の発売があってそれに関連して鬼頭先生は先の投稿をしているわけで、そうとするとこれらの話は一つのまとまった案件であった様子がある。

 

どういうことかと言うと、『殻都市の夢』にしても『終わりと始まりのマイルス』にしても、『マンガエロティクスF』という雑誌に掲載されたもので、この雑誌は太田出版の出していた出版物になって、けれども、『完全版 殻都市の夢』は小学館から発売されている。

 

考えるに、太田出版から『殻都市の夢』の権利を買い取ったり譲渡という形で受け取ったりで小学館が獲得していて、その獲得した権利を元に、『完全版 殻都市の夢』が発売されるという流れであって、その時に『終わりと始まりのマイルス』の権利も同時に獲得していて、それが故に今度また、小学館から愛蔵版の『終わりと始まりのマイルス』が出るという話なのだろうと僕は思う。

 

結局、鬼頭先生はマイルスの描き下ろし漫画について「別作品だけど関係してるようなしてなさそうな」と形容していて、これは同じ雑誌で同じように連載していて、それが故に関係はあるけれど、そうと言えども別作品でしかないからこのような言い方になったのだと思う。

 

そういう風に諸々の権利が小学館にあるから、今月開催される『完全版 殻都市の夢』の関連イベントでも、同じく小学館から出た『ぼくらの』のグッズが発売される様子がある。

 

 

(同上)

 

当然、小学館が主導の話であって、小学館が権利を持っているような作品しかグッズを作れる筈もなくて、ここに講談社の『なるたる』のグッズはない。

 

その話は鬼頭先生自身がしている。

 

 

これについては…X上で『なるたる』グッズを出せよ分かってないなと投稿した人が居て、鬼頭先生がそれを読んだ結果としての投稿らしい。

 

 

鬼頭先生のアカウントや『ぼくらの』とかの担当編集者さんの告知用のアカウントには特にリプライや引用ツイートで『なるたる』の話をしている人は居なくて、X上で今回の件に関連して『なるたる』の話をしているのは先の人だけだったので、鬼頭先生が読んだのはその投稿らしい。

 

結局の所、『殻都市の夢』の関連イベントなのに『ぼくらの』グッズがあるのは、小学館が権利を持っている作品群だからという理由らしい。

 

だから、こういうイベントで今後『なるたる』グッズが発売されるというような場合は、講談社主催で何らかイベントを企画して、例えば『のりりん』や『なにかもちがってますか』という講談社から出ている作品のリバイバルがあってその関連イベントが開催されたというのなら、その時は『なるたる』のグッズが出来る可能性があるという話にはなる。

 

ただ結局、『ぼくらの』関係でグッズが先のような形で出ているのは、小学館の鬼頭先生の担当の編集者の人が、そういう企画を主導的に進めているからなのであって、講談社にそういう意思を持った人が居なければ『なるたる』グッズが発売されるということはないわけで、その辺りはまぁ、期待しても無駄だろうと僕は思う。

 

新装版の『なるたる』を作った時の講談社の編集者の人がそういう企画をするような人だったら話は違うのだけれど…。

 

そもそも『ぼくらの』の完全版ではイベントがあって、『なるたる』の新装版ではなかったのであって、そういう"気風"自体が講談社の鬼頭先生作品からは汲み取れない。

 

もしくは『なるたる』の権利が小学館に移ったならば、今回のような形で『なるたる』グッズが発売されるという可能性はある。

 

ただけれども、講談社が現状、『なるたる』の権利を手放すということはないと思う。

 

太田出版で出ていた『殻都市の夢』などについては、軽く調べたところ過去に印刷した単行本があるだけで、現在この漫画を刷っているという様子はないし、他の形でも販売しているという様子はない。

 

だから、太田出版が権利を持ち続けても持ち腐れで、けれども小学館に権利が移った時に、小学館にその気があれば新たに売れるわけで、実際、『完全版 殻都市の夢』の発売という形になっている。

 

一方で、『なるたる』に関しては今現在でもマガジンポケットなどで商品として扱われていて、様子を見ると普通に売れているらしいということが分かる。

 

 

太田出版にとって『殻都市の夢』やマイルスなどは持っていても価値がない権利だったかもしれないけれども、講談社とっては『なるたる』は価値がある商品なのであって、講談社が『なるたる』の権利を手放す理由が存在していない。

 

結構Xを見ていると未だに『なるたる』を新たに買っている人がチラホラと見れて、そうだというのに講談社が権利を手放したらもう売れないわけで、そのようなことをする動機が講談社の側にない。

 

だから、マイルス発売の時に公式がどんなムーブをするかは分からないけれど、その時に『なるたる』グッズが出ることはないというのは確かだろうと思う。

 

最後に、『終わりと始まりのマイルス』に関しては現在単行本が一冊だけ出ていて、その分以外にも原稿があるのだけれども、連載の途中で『マンガエロティクスF』が休刊になってしまったという事情があって、単行本未収録の話が結構あったりする。

 

その辺りについては鬼頭先生がX上でかつて公開していたりする。

 

 

 

 

 

 

 

こういう風にX上で公開されていて、鬼頭先生もこの原稿を単行本にしたいとは思っていて、今回、なんやかんやあってこの単行本未収録分の『終わりと始まりのマイルス』が愛蔵版に収録されるらしい。

 

…いや別に、収録されるという情報が公表されているとかはないのだけれど、この流れで収録されないという事態は考えられないので、普通に収録されると予想して良い案件だと僕は思う。

 

おそらく、愛蔵版が発売されたら先の鬼頭先生のマイルスの投稿は削除されるのだろうとは個人的に思っていて、ただけれども、マイルスを買うくらいの鬼頭先生のファンならば、こういう風にX上で数話公開されている程度の理由で買い控えなんてしないはずで、描き下ろしの一話が愛蔵版には付随するということも分かっているのだから、投稿を消す必要などないのではないかと思う所がある。

 

マイルスの愛蔵版を買うだなんて場合は"かなりの人"で、その"かなりの人"は描き下ろしの一話のために買うだろうという推論がある。

 

実際、短編集が出たら消す言うてた『彼の殺人計画』もそのままになっていて、そういう形でも良いのではないかと個人的に思う。

 

 

そうと言えどもどのような形になるかは鬼頭先生の匙加減で、ただ個人的に消しても消さなくても売り上げに関係なさそうと思ったという小学生並みの感想を書いているという以上の事はない。

 

そんな感じの『終わりと始まりのマイルス』の愛蔵版について。

 

いつ出るかとかは知らないけれど、今年中に出るだろうし、そうでなくてもどんなに遅くても来年には出るだろうとは思う。

 

知らんけど。(関西人的表現)

 

では。

 

・追記

僕は描き下ろしが1話あるのだろうと予想して、この記事でそういう説明をしたけれど、公式曰く大大大ボリュームの描き下ろしがあるらしい。

 

 

そんないっぱい描き下ろすの?って思うけれども、もしかしたら物語が途中で止まっているマイルスを鬼頭先生が完結させるためにそういう描き下ろしをするのかもしれない。

 

そうとなると今までの描写の総括をしなければならないわけで、そうなってくると鬼頭先生がネームに難航していたという話もなんとなしに文脈が現れてくる。

 

僕の中では一話程度、今までノリでマイルスに一話が追加されると想定していて、それなのにネームに苦しんでいるという状況が良く分からなくて、もしかしたらマイルスじゃないのかも…?と思っていたけれど、マイルスを完結させるために、公式が大ボリュームと形容する描き下ろしが必要になったというのなら、そりゃネームは難航するなと今になって思う部分はある。

 

まぁ実際にどんな感じになるかについては、持っている情報量はこの文章を読んでいる人と僕とで全く同じで、これを読んでいる人物がおそらく、どんな感じになるかふわふわとしたイメージしか持ち得ていないのと同様に、僕の方もそのようなイメージが漠然とある程度なので、実際の所は出版されるまで全く分からない。