『ONE PIECE』とルキアノスの『本当の話』について(前編) | 胙豆

胙豆

傲慢さに屠られ、その肉を空虚に捧げられる。

表題通り意味の分からないことを書いていくことにする。

 

当然、『ワンピース』ついて色々書いていくのだけれど、ワンピの考察サイトとか考察動画とかはネット上に無数にあって、この表題の内容で色々検索した結果としてこのサイトに訪れる人なんてまぁ居ないだろうので、このサイトに違う用事で訪れた人がついでで読むことを想定して色々書いていくことにする。

 

まぁ…そういう触れ込みで書いたハンタの解説(参考)とフリーレンの解説(参考)は検索の結果として訪れるような場合が結構あった様子があるけれど。

 

ハンタの場合は「詰んでいたのだ」とかで検索すれば一ページ目で引っかかるし、フリーレンも「フリーレン 元ネタ」で検索すれば同様だし、実際にアメブロと連携したGoogleの機能で履歴を確かめた結果、それなりに検索で来ていた様子があるし、ハンタが連載している今は、毎日そのハンタの記事にはアクセスがある。

 

もっとも、そのせいで特にハンタの場合はアレなコメントがいくつも寄せられて、そのことで強く苦しむことになったけれども。

 

僕のその煩悶の様子は、そのハンタの記事のコメント欄を見れば分かると思う。

 

当然、多くの人が読んでいる漫画はアレな読者が含まれる場合が『ヒストリエ』などに比べれば増すわけで、ワンピの解説を書けばアレな人に見つかる可能性が出てくるわけだけれど、今回のようにルキアノスの『本当の話』との関連性についてを検索する人はまぁ居ないだろうので、この記事がアレな人に見つかって、アレなコメントが来て僕が苦しむという事は起きないだろうと楽観的な未来は見越している。

 

とにかく、『ワンピース』の解説を書いていくことにする。

 

僕は何度もその話をしているけれども、この世界中の全ての創作物は著者が見聞きした情報の組み合わせのみで出来ていると考えている。

 

『ワンピース』には空を飛ぶ島や、船を飲み込むような大きな鯨とそこに住む老人、巨人の海賊、ゾンビという死者があふれた国という、『ワンピース』以外の作品ではちょっと見ないような特徴的な発想を見ることが出来る。
 
もしここで『ワンピース』の成立に先行する作品の中で、空を飛ぶ島、船を飲み込むような大きな鯨とそこに住む老人、巨人の海賊、死者の島が登場する作品があったとしたならば、僕はその作品と『ワンピース』は無関係ではないと考える。
 
当然、この記事の表題にそのように書いたのだから、その作品というのは『本当の話』のことで、『ワンピース』に先行する、古代ギリシア文化園の著作家であるルキアノスという人物の『本当の話』というテキストの中で、それらの要素が登場するという事実がある。
 
なので、この記事では実際にルキアノスの『本当の話』の記述を引用しつつ、『ワンピース』と『本当の話』の情報の重なりについて色々書いていきたいと思う。
 
まずルキアノスの『本当の話』について。
 
これはまぁ、古代ギリシア語で書かれたただの創作小説ですね。
 

 

西暦2世紀くらいの古代ローマの時代を生きたギリシア文化圏の人物が書いたイマジネーション基づく想像力豊かな荒唐無稽な冒険譚で、ルキアノスが本当に経験した大冒険を本にしたという体になっていて、どうも、この時代の地中海世界にはそういう文学のジャンルがあったらしい。

 

この前『ヒストリエ』の解説をした時に『アレクサンドロス大王物語』という荒唐無稽な本の話をした(参考)けれど、ニュアンスとしてはアレの海洋冒険版で、ルキアノスが船旅で色々な奇妙な島や人々と出会ったという設定の物語になる。

 

『ガリバー旅行記』のようなもの、と言っても良いだろうと僕は思うとはいえ、そもそも『ガリバー旅行記』がルキアノスの『本当の話』を下敷きにしてあれを書いているというかなんというか、今現在ある多くの冒険物の創作の古い祖先にあたるような作品になる。

 

だから、後世に与えている影響も多くて、ディズニー映画にもその要素は採用されていたりもする。

 

この『本当の話』では、空に島があってそこに人が住んでいるし、船を飲み込むような大きな鯨が出てくるし、その内側には人が住んでいるという話があって、まぁ普通に『ワンピース』のそのような描写の大元としてこの本があるという様子がある。

 

そういう話だから実際に『本当の話』の記述を見て行って、『ワンピース』の描写との類似点を色々指摘していきたいと思う。

 

『ワンピース』には空島が登場する。

 

(尾田栄一郎『ONE PIECE』24巻p.25 以下は簡略な表記とする)

 

空に島があるような作品は…まぁないとは言えない程度にはあって、けれども、古代ローマの時代の時点で存在するというのだから、このような空想物語の歴史は古いのだなと思う所がある。

 

その話は当然『本当の話』にあって、今から引用する文章の場面は、一つ目の島で人を葡萄に変える巨大な植物に出会って死にそうになって命からがら海に逃げ出した話の続きからです。

 

「 われわれはそのままにかれらをおきざりにして、船へと逃げて帰った、そして残っていた者ともにむかってさまざまな物語りのうちにも、とりわけて例の仲間の者どもがぶどうに変えられた話などをして聞かせた。そして今度はいくつかの水瓶を持ち出して水を汲み入れ、それといっしょに例の河からも酒を汲んで来て、その夜はそのまま近所の浜辺に野営をし、つぎの朝早くまずおだやかな風に乗って船を走らせていった。とちょうど正午頃島影もはや見えなくなったじぶん、とつぜんにひどいつむじ風がおこって船をぐるぐると巻きかえし、およそ百四十里あまりも空高く引き上げてしまった。ところがそのまま船は海上へも落ちずに天へぶら下がっていたところを、風が帆へ吹き込んで帆布いっぱいにふくらませ、高く空中へかかったまま運んでゆくのであった。
 こうして七日七晩空をかけって行くうち、八日目になってやっと空中にちょうど島のような大きな陸地が見えだした、それは輝いた円い形をして、また強い光に照らされていた。そこへわれわれは船を寄せつけて錨を下ろしてから上陸したが、土地を偵察してみると人が住まっているうえ、田畑もあることがわかった。ところで昼のあいだはそこからなにも見えないのだが、夜になってくると近所にほかにもたくさんの島の形が現われ、それがまた大きいのや小さいのや、火のような色をしているのがあり、またそのほか下のほうになにか壁が見えて、そこにはいくつも市だの何だの、海や森や山などがたくさんあるようであった。さてそこでわれわれはそれがつまり自分らの住んでいる地球だろうと推論したのであった。(呉茂一他訳 『世界文学大系 6 古代文学』 『本当の話』 筑摩書房 1986年 p.89)」

 

この文章を読んでいる人の中で、冒険の末に空に浮かんでいる島に船で辿り着く物語に、ワンピと今引用した文章以外で出会ったことがある人はそんなにいないのではないかと思う。

 

この空の島での冒険の後に下界に戻って、その時に鯨に飲まれてそこで老人と会うし、その後に巨人が出てくるのだから、ワンピと『本当の話』が一切無関係だと考えるのは道理に適った判断ではないと思う。

 

もっとも、『ワンピース』の場合だと、もちろん大元を辿れば『本当の話』の影響があるだろうというのはそうだけれども、空にある島が実在するかどうかなどという話は、ジブリの映画の『天空の城ラピュタ』の影響の方が強いだろうとは思う。

 

考えるに、何らかの本で空にある島に辿り着く冒険譚を読んで、『ワンピース』でもその話を採用しようと考えて、それに際してラピュタが好きだから、ラピュタ的な要素もジャヤ辺りでは用いているのだと僕は考えている。

 

ラピュタで天空の城があるような場所は、パズーの父親が雷雨の中でそれを見たという話になっていて、ワンピにしても雷雨の中でノップアップストリームに乗って空島に行ったのだから、その辺りはラピュタ由来だとは思う。

 

実際、ラピュタでは賊で屈強の男どもが厳ついおばさんにつき従って慕って彼女の事を「ママ」と呼んでいる集団が出てきていて、ワンピでもビッグマム海賊団は屈強な男たちが厳ついおばさんの事をママと呼んでいるという事情があって、そんな風に海賊や空賊のおっさん連中がクソ強おばさんの事をママと呼んでいるのような作品は、ラピュタとワンピ以外で出会ったことは僕はない。

 

最近でもラピュタのロボットみたいに随分前から鎮座していて、主人公たちが来た途端に動き出して敵を撃退してくれた古代文明のロボットがエッグヘッドで出てきていたし、尾田先生はだいぶラピュタに脳を焼かれている様子がある。

 

それはともかく、『本当の話』にはこのように空にある島が出てくるわけだけれども、その住民は月の民らしい。

 

次に引用するのは空島に来たルキアノスらが空島の王と謁見する場面です。

 

「さて国王はわれわれを見ると、(ようすだの)服装から推察して「到来の人々よ、おん身らはおおよそギリシア人であろうな」といわれた。われわれがさようだというと、また「ではいったいいかようにしてこのはるかな空をわたり、 この所へたどり着いたか」ときかれるので、われわれが一部始終を語ってお聞かせすると、王もまた先に立って自分の物語をわれわれにしてくださった。 それによると王自身ももとは人間で、 エンデュミオンといわれたのを、いつか眠っているあいだにわれわれの地球から連れ去られて、この国へ来着しその王となったのだ、ということで、またこの所は、下のわれわれの国で見て月といっているものだ、と話してくれた。(同上p.90)」

 

『ワンピース』ではなんらか月が重要視されていて、月に人が住んでいた形跡があって彼らは地球に行った様子がある。

(49巻p.29)
 
月に人が住んでいるような作品はそれほど多くないと僕は思うし、『ワンピース』のこのエネルの扉絵の話に関しても、『本当の話』の情報が影響を少なからず与えているのではないかと僕は思う。
 
とはいえ、尾田先生は実際に『本当の話』を読んだとかはないだろうから、先生が参考にした本に何と書かれていたのかが問題で、その本に僕は辿り着けていないし、今後辿り着けるとも思えない以上、ルキアノスの情報がどのような形で尾田先生に届いたのかは分からない。
 
それ故に『本当の話』の記述を持ってきて、あれやこれや考えても、ワンピのまだ明かされてない設定には辿り着くことはないと思う。
 
ただ、ワンピにはルナーリア族という、かつて世界を制した民族がいて、名前から言って月とは無関係ではないだろうし、『本当の話』では先の引用の後に月の住民は太陽の民と戦争をしていて、ワンピにしても太陽神ニカが重要な概念としてぽっと出てきたのだから、色々匂うところはある。
 
そうと言えどもその辺りに関しては、ワンピの方で読者が詳しい設定を理解できるほどに描写がされているとは思えないから、掘り下げても妄想の域を出ないと思うので、それ以上何も考えないでおくことにする。
 
そういう話だから空島の話はそれくらいにしておいて、色々あって空島から降りた後の話に移る。
 
ルキアノスらは空から降りてきた直後に、鯨に飲み込まれている。
 
「 (長く滞在した空島にはなかったものだから、)水というものに手を触れたときのわれわれのうれしがりよう楽しがりようといったら、もうたいへんなもので、 一同みな現在の仕合せに十二分にご満悦ならぬはなく、はては船を下って泳ぎまわるというありさまであった。というのはおりしもの日和に海もすっかり凪いで鎮まっていたからである。しかし少々工合がよくなったとも見える風向きの変りが、本当はいっそうひどい災禍の始まりであるようなことは、あまりにもしばしば世間に見る事柄である。さればわれわれが天候に恵まれて航海をしてゆけたのはほんのたった二日ばかり、三日目の朝まだき陽が上りもきらぬ頃突如として目の前に鯨なんとという海の怪獣の大群が現われ出でた。なかにもとりわけて一番に大きいやつは長さがおよそ七十里ほどもあろうか、大口をあけて突き進み、はるか行く手の海を波立たせて、身のまわり一面には白い泡沫を寄せ、口から見える歯といえばわが国のディオニュソス祭の山鉾よりもずっと背が高く、どれもみな杭のように鋭くとがってまた象牙みたいに白い色をしていた。そこでわれわれは今を最後と別れのあいさつを交わし、互みに抱きあって最後の時を待ち構えた。このとき遅し巨鯨は目前に迫り来て、がっぷりと船もろともにわれわれをのみ込んでしまった。しかし鯨が歯でもって噛み砕きもあえないうちに、その隙をくぐって船は腹のなかへとすべり落ちていった。(同上『本当の話』pp.94-95 冒頭()は引用者補足)」
 
こういう風に『本当の話』では鯨に飲み込まれた話があるということが分かる。
 
『ワンピース』知っててその話を知らないという場合とかはないとは思うけれど、ワンピにも同様の話はある。
 
(12巻p.78)
 
こういう風にワンピでも船は鯨に飲み込まれていて、その飲み込まれた先には老人が居る。
 
(12巻p.73)
 
『本当の話』でも鯨に船が飲み込まれた後に老人と出会っていている。
 
「 なかへはいってはじめのうちはまっ暗で、何一つ目に見えなかったが、のちほど鯨が口を開けてみると大きな空洞がありありと目にうつり、そこがまたどこも一様に平らで高さも高く、一万人が住む都を容れることもできようかと思われるほどであった。(中略)そこでわれわれはいっそう足を早めてゆくうちに、 一人の老人と若い男がせっせといくらかの菜圃を耕して、それへ泉から穏で水を汲み入れているところへ出くわした。そのさまを見てわれわれは喜びと同時に恐れを感じて立ちどまったが、その男らもかならずやわれわれと同様な感銘をいだいたのであろう、ものもいわずに立ちつくしていた。(同上『本当の話』p.95)」
 
『本当の話』にはこのように、鯨の中に老人が居て、同時に若者もいるけれども、話は老人とルキアノスの船員とで続けられていて、特に若者の台詞とかはない。
 
ワンピも『本当の話』も船を飲み込む大きな鯨が居て、その中で人が暮らしているという描写が存在している。
 
もっとも、『ワンピース』の場合だと、『本当の話』の影響もあるのは確実とはいえ、どちらかと言うとイメージはディズニーの『ピノキオ』の方が強いだろうとは思う。
 
アニメの『ピノキオ』だと、ピノキオを作ったゼペット爺さんが鯨に飲み込まれる場面があって、『ワンピース』のウソップは嘘吐きで鼻が長いのだから、どう考えても『ピノキオ』を尾田先生は知っているのであって、そうと考えるとあの鯨の話にしても、『ピノキオ』の影響は必ずあると思う。
 
だからと言って、冒険の末に出会った船ごと飲み込む大きな鯨は『本当の話』が元だろうし、そもそも『ピノキオ』の鯨の件自体が大元は『本当の話』に由来しているのであって、どういうルートであったにせよ、『ワンピース』には『本当の話』の情報が用いられている。
 
そういう風に鯨に飲み込まれるような話は『本当の話』に由来しているだろうけれども、その鯨の中で色々と行われる冒険については、ワンピに関係するような話は基本的に見出せない。
 
ただ、鯨の中に住む人々の中に、蟹手族が出てきたりしている。
 
「 「ではまだこの鯨の腹のなかにはほかにも人がいるのですか」と私がきくと、

 「たんといますとも」というのだ。 「人心も持たぬしかも異様な恰好をしたやつどもがな。まずこの森の西のほう、つまり尻尾のところには、鹹魚族といって、うなぎみたいな目つきに川えびの顔をした種族の喧嘩好きで胆が太く生肉を啖(くら)うやつらが住んでおりますじゃ。また横腹になる右側の壁のほうには、トリトーノメンデテスという、上体は人間みたいなようでからだの下はいたちに似ておるやつどもが住もうとるが、こいつはしかしほかの者らにくらべると無法ではないといえるじゃろう。左側にいるのは蟹手族と鮪頭族というて、おたがいに同盟を結んで仲をよくしとるやつらで、まんなかの土地にはまたざりがに族と鮃足族とて、これは喧嘩に強いとても足の早い種族が拠っとります。だが東側のつまり鯨の口もとに寄ったところは、たいがいは人のおらぬ荒地になっておる、海の水が打ち寄せては洗うてゆきますでな。ともかく私かきは鮃足族に毎年五百疋の牡蠣を貢ぎ物に納めて、このところを借りておりますのじゃ」(同上『本当の話』p.96 下線引用者)」

 

蟹手の人物は『ワンピース』に登場している。

 

(62巻p.141)

 

ただまぁルキアノスの記述している所の蟹手族の話と、この蟹手のジャイロだと話がだいぶ違っていて、そういう種族が鯨の中に住んでいるという話でしかない。

 

蟹手の男というのは『ワンピース』に限定されている訳もなく、普通に『マテリアル・パズル』とかにも出てくるのだから、『本当の話』に由来があって、『ワンピース』の蟹手のジャイロが居るという話にはなりはしない。

 

ここで蟹手の話をしたのは『本当の話』を頭から見て行って、順番にワンピとの関連性について色々書いているからであって、蟹手云々は話の流れ的にここに入れずに余話程度に最後の方で触れた方が良かったのだけれど、物語の流れとしてはこのタイミングで蟹手族が出てきてしまったので、とにかく今ここで蟹手の無法者の話をすることにした。

 

蟹手のジャイロが『本当の話』から来ていたら面白いけれども、先の引用の記述と蟹手のジャイロは特に関係性はなくて、ただ海洋の冒険で蟹手の無法者が出てくる作品はそれほど多くないので、完全に無関係と言える話でもない。

 

…よくよく考えると鯨の中にいる種族、魚人族だよな…と思った。

 

これは記事を作り始めた時には一切気付いていなくて、先の引用文を読み直していて気付いたことなんだけど、もしかしたらワンピの魚人族も『本当の話』由来なのかもしれない。

 
それはともかく、そういう風に鯨の中で色々あって、話が進んで鯨から出る寸前になって、ルキアノスたちは巨人の船団と遭遇している。
 
「 さて九ヵ月目のはじめの五日に、およそ第二の口開きのじぶん――というのは鯨の口が一ときに約一回の割で開かれるもので、われわれはこの口開きによって時刻をはかるということにしていたというわけなのだが――、つまりその今いったような第二の口開き頃に、とつぜんあたかも掛け声や櫂の音みたいな、たいへんな叫びや物音が聞こえてきた。そこでわれわれは仰天して鯨の口のまもとまで這い出してゆき、歯ならびの内側に立って眺めやると、こはそもいかに、今までにいろいろ私も物を見てきたが、それにもかつてないほど奇怪至極の光景で、丈の高さがおおよそ五十間もあろうという大男どもが、大きな島をいくつも三段櫂の千石船みたように漕いでくるのであった。これからの話はほとんど本当のことと思われぬほどなのはよくわきまえているけれども、かまわずにともかく話をつづけてゆくことにしよう。(同上『本当の話』p.97 下線引用者)」
 
こういう風に『本当の話』には巨人が船に乗ってやってくる場面があるということが分かる。
 
この後に巨人の船団は二つの勢力で海戦をしていて、航海の末に出会った巨人の海賊が殺し合いをするという、『ワンピース』で見た場面が存在しているということが分かる。
 
『ワンピース』のリトルガーデンで出てきたドリーとブロギーに関しても、大元はこの『本当の話』の記述が由来なのではないかと僕は思う。
 
(14巻p.146)
 
もっとも、ドリーとブロギーは船団同士で戦いはしていないし、ワンピでは巨人とはあくまで島の中で出会っているのだから、その辺りには差異はある。
 
ただ、同じように空に島があって鯨が出てきて巨人が出てくるという二つの物語があって、片方が片方の物語に先行しているという事実があるのだから、結局の所、『ワンピース』のそれらの描写は『本当の話』に由来を持っていると判断して僕は問題ないと考えている。
 
と言ったところで、文字数が8000字に届きそうなので前半はこのくらいにしておくことにする。
 
一応、メモにはこの後に行く死者の国の話とかそういった話が残されているのだけれども、この記事で見たように「これもうそうだろ…」と思えるような話題は特にない。
 
ただけれども、最初の方に『本当の話』と『ワンピース』は関係性があると認識できるような話がなければ、荒唐無稽なこじ付けとして処理されて途中で読むのをやめられかねないので、最初の方にインパクトの大きな空島や鯨の話があった方がよいという事情がある。
 
色々記事の構成は悩んだけれども、やはり、『本当の話』の前半にそのように『ワンピース』と関連付けられるような話題が多くて、読んだ人が僕の言いたいところにある、ワンピと『本当の話』は関係性があるという話を理解するためにそういう話を先にやった方が良いと思って、『本当の話』の時系列順に話を書いていくということを選んでいる。
 
そうとすると後半がちょっと微妙な話が多くなってしまうのだけれども、まあ後半は後半で、今10代の人とかでは絶対に分からないワンピの元ネタの話とかを入れていくつもりであって、そっちがメインなので、まぁこの構成で良いだろうとは考えている。
 
最後に、尾田先生がこの『本当の話』を読んでいないだろうという話をして行くことにする。
 
この記事で先に言及した通りに、要所要所のエッセンスはまず間違いなくその大元は『本当の話』にあると思う。
 
ただ、もし尾田先生が『本当の話』を読んでいたならば採用されているだろう要素が見逃されていて、話を要約した時に取りこぼされることがないような空の島や大きな鯨とそこに住む人々と言った要素のみしか『ワンピース』の作中から見出せない。
 
そもそも、どんな時に古代ローマの時代の文筆家であるルキアノスの『本当の話』を読む場合があるのかと言えば、多くの場合は古代ローマギリシアあたりの文学を探究した結果として至るのであって、普通に生きていたらまず手に取ることはない。
 
『ワンピース』は様々な時代文化を持った島々が登場していて、古代エジプトもマヤ文明というかアステカ文明とかその辺りも、カリブ海を思わせるような酒場がある島も、遊牧民が住むような島も、コロシアムがあるスペイン的な場所もあるというのに、古代ローマ的、古代ギリシア的な文化は登場しない。
 
もし、尾田先生がルキアノスを読むほどに古代地中海世界についての知識を持っていたならば、ローマ的な島や人々、ポリス的な国家が出てきてもおかしくないというのに、そういう島は少なくとも主題的に扱われてはいない。
 
…大事件が起きると世界中の色々な島がちょっとだけ出てきていて、その中にポリス的な島がないという確かな記憶とかはないからはっきりとは言えないけど、多分出てきてないと思う。
 
だから、尾田先生はその辺りの時代やテキストに造詣はないだろうという推論がまずある。
 
加えて、『本当の話』に登場する空島の月の民の兵装とかは、そのままワンピに登場してもおかしくない感じのものになる。
 
「 エンデュミオン王の軍勢はまずこんなものであった。その武装はみな一様で、兜というのは蚕豆でできていたが、この国の蚕豆がまた頑丈で大きなやつなのだ。胸甲はみなうろこ形に重なった羽団扇豆で、つまり羽団扇豆の殻を縫い合わせてつくられていた。 かなたでは羽団扇豆の皮がまるで角のように固く割れがたいというわけである。楯や剣はまずギリシアのものと同様であった。(同上『本当の話』p.90)」
 
このように記述される空島の軍隊の兵装は、そのままワンピに登場してもおかしくないくらいワンピの世界観と親和性がある。
 
だというのにワンピの空島の人々の装備は中世の騎士のようだったり軍隊のグリーンベレーのようであったりで、『本当の話』の記述は採用されていない。
 
なんというか、未知の文明の人々の服装を考えるのなんて大変なのは分かりきったことで、『本当の話』では空に住んでいる人々の装備が記述されているというのに『ワンピース』では空島要素はあってもそのような細かい記述に由来する描写は見られない。
 
もし、僕が尾田先生だったとしたならば、この空島の人々の兵装をアイディアとして採用しない理由はない。
 
もし読んでいたとしたならば、そのまま用いないにしても少なくとも何らかヒントとしてその要素を取り入れるだろうと思っていて、けれども、『ワンピース』では『本当の話』でこの後も詳細に記述される奇妙な人々の奇妙な服装については、一切その要素を見出すことが出来ない。
 
尾田先生が読んだテキストが『本当の話』の原典訳であったなら、その辺りの話が『ワンピース』で見られないわけがないと思えるような記述が『本当の話』にはある。
 
だから、そのような要素についての記述が省かれた何らか『本当の話』の内容を紹介する本に、尾田先生の空島や鯨の体内での冒険、巨人の海賊との出会いという情報は由来を持っていると僕は考えている。
 
結局、尾田先生が参考にしたのは世界中で見られる冒険物語や海洋冒険についての話がまとめられた本だろうという推論があって、その本が実際に何という本なのかは僕には分からない。
 
ただ、そのような沢山の情報がまとめられた本だろうとは思っていて、もしかしたら『本当の話』と並列して、『アレクサンドロス大王物語』の話も紹介されている本なのではないかと僕は思う。
 
『アレクサンドロス大王物語』では、アレクサンドロス大王がガラスで出来た船?に乗って深海へ旅する話がある。
 
深海に関する本を読んでいてその話が紹介されていたから知っているだけで、別に大王物語で実際に出会ったわけではないから、大王物語の何処にその記述があるのかとかは把握してなくて、引用とかは出来ないのだけれども。
 
一方で『ワンピース』も海底に向かう話はある。
 
(24巻p.57)
 
それ以外にも魚人島は海底にあってそこへ冒険しているのであって、もしかしたらそういった要素は古代ローマの『アレクサンドロス大王物語』を紹介する類の本にあったりするのかもしれない。
という、『ワンピース』とルキアノスの『本当の話』についての話の前編。
 
後編は先に言ったように、死者の島に向かった後にちょいちょい細かい話があるからそれを回収して、その後にこの記事のために用意した、世代の問題で若い読者が絶対に分からないようなワンピの描写の元ネタの話をして行きたいと思う。
 
それと…一応、このように主題的に『ワンピース』とルキアノスの『本当の話』を一つの記事でまとめているのは日本語のページだとここだけだと思う。
 
ただ、記事を書く前に色々調べた結果、数か月前に英語で『本当の話』とワンピの関係性を色々書いている人は居た。
 
僕はその文章は別に読まなかったのだけれど、僕より先にワンピと『本当の話』のことに言及している人を見て、少し出遅れたなとは思いはした。
 
元々…『ヒストリエ』の解説を書くにあたって古代ギリシアあたりの著述家のことを調べるということがあって、それに際して少しルキアノスについて調べている。
 
その時に、彼の『本当の話』のWikipediaの記事を読んだということがあった。
 
それを読んで、「これワンピじゃん」と思ったということに、この記事を作った動機がある。
 
数か月前に外国人の『ワンピース』ファンのお友達が色々書いていたわけだけれども、僕自身がこの記事を思いついたのは2021年の段階で、その事は記録に残っている。
 
なんつーか、Yahoo!メールを確かめたけれども、どうも僕は2021年の4月に『本当の話』が収録された『世界文学大系6』を落札していたらしい。
 
 
ここで落札したと書かれている本に『本当の話』が収録されていて、この記事はこの本の『本当の話』の文章を元に書いている。
 
この画像はいくらでも偽装工作は出来て証拠にはならないけれど、2021年の段階で僕はこの記事を脳内では構想してはいる。
 
ただ、本が届いたところで漫画の解説のために興味のない本を読むのは苦痛であるのであって、読むのが面倒だったという理由で今になって『本当の話』とワンピの記事を書いているだけの話になる。
 
そういう事情だから、数か月前に何処かの外国人が『本当の話』とワンピースの類似点を指摘したところで、僕の方が先だと思うし、別に脳内にはずっとこの話題はあって、その外国人の人の話をパクっているわけではないし、そもそもワンピ知ってて『本当の話』を読んだ人は大体気付く内容でしかないと思うから、あまり気にせずに普通にこういう風に記事にまとめることにした。
 
尾田先生が直接『本当の話』を読んでおらず、間接的な在り方で『本当の話』の要素が『ワンピース』にあるのだろうという話は外国人兄貴もしてないだろうし、予定ではワンピと衣類用洗剤や乳酸菌飲料との関係性の話もするつもりで、その辺りは絶対に外国人は知らないから被りやパクリにはならないだろうという確信があった。
 
その話は後半の記事でします。
 
ただそれでも先を越されたのは事実で、記事を書こうと思いついた段階でもワンピと『本当の話』についてはグーグルで調べていて、その時は何も検出されなかったのだから、その時点で書いていれば僕が一番乗りで、ただそれでも『本当の話』を読むのがめんどかったから仕方ないね。
 
そんな風にめんどくさかったけれども、今月はそれ以上にどうしても『ヒストリエ』の解説を書きたくなかったから、この話題で記事を作ることにした。
 
まぁ多少はね?
 
疲れたのでこの記事の諸々の点検は明日以降の僕に任せましょうね。
 
そんな感じです。
 
では。