表題通りまた、この地球上で誰もその事を必要としない類の『ヒストリエ』の解説を書いていく…つもりだったのだけれども、色々あって今回は、普通に『ヒストリエ』作中に描かれる要素の由来についての話が多くなって、誰も必要としないという話ではなくなってしまった。
それについては順番に今回のカリステネスの解説にあたって、どのような経緯で今この文章が書かれているかの話をしていくので、それを読めばどうしてそうなったかは分かると思う。
まず、カリステネスと言って直ぐに彼を想起できる人を対象にして書いているとはいえ、まぁここで彼の顔を用意した方が色々分かりやすいだろうと思う。
(岩明均『ヒストリエ』1巻pp.45-46 以下は簡略な表記とする)
ここでアリストテレスに付き添っている男性がカリステネスと呼ばれていて、そこから彼の名前がカリステネスであるということが分かる。
…普通に読む程度だと、こんな些細な名前紹介はスルーされるから、殆どの読者は彼の名前とか知らないと思う。
けれども、名前は把握出来ていなかったとしても、彼は結構印象的であったと思う。
『ヒストリエ』に登場するカリステネスは酷い差別主義者で、ギリシアの自由市民以外を強く見下している様子が描かれている。
(1巻p.20)
(1巻pp.39-40)
このことについてなのだけれど、これから『ヒストリエ』という古代ギリシアを舞台にした漫画を読者に提供するにあたって、この時代の人々の価値観を読者に知らしめるという意味合いで、そのように差別的な人物として描写されているという部分はあると思う。
けれども、それはそれとして、そもそもとしてカリステネスという人物は実在の人物で、種々の歴史書に彼についての記述があって、その記述を見るに、『ヒストリエ』の彼のようなことを平然と言ってもおかしくない人物で、彼の性格はそのような史書の記述に由来がある様子がある。
史料に見られるカリステネスという人物は、ギリシア人至上主義の思想を持つような人物で、彼はアレクサンドロスに処刑されているけれども、基本的にその処刑の理由はアレクのペルシアとの融和政策に反対したということが理由になっている。
ギリシアがペルシアよりも上だと考えていて、それ故にペルシア文化を導入することを反対して殺されている。
史料においてカリステネスはアレクにギリシアを尊重するよう意見を述べていて、その時に見られるカリステネスという哲学者の人物像がテキストごとに微妙に違っていて、当初の予定ではその史料によって異なるカリステネス像を見ていくことによって、『ヒストリエ』のカリステネスはどのテキストにそのベースがあるのかの話をして行くつもりだった。
…まぁメムノンの時に普通にその話はしていて、既に結論だけは出しているのだけれど。
今月はそういう記事を書いて色々お茶を濁そうとしていたけれども、実はカリステネスという人物が書いたとされる著作が現在まで残っていて、その本は普通に日本語訳が出版されている。
僕は彼についての解説記事の構成を考えるにあたって、先に説明した青写真の話をする前に、カリステネスのその著書についての話を軽くするつもりで、そのような著作を残しているという"設定"になっている話を余話程度に触れるつもりでいた。
そして、その下準備としてカリステネスが書いたという、『アレクサンドロス大王物語』について軽く調べたところ、この本ではアレクとフィリッポスに血の繋がりがないと記述されているということを知ることになった。
『ヒストリエ』のアレクとフィリッポスの二人も血縁関係がない。
一方で『アレクサンドロス大王物語』で血縁関係がないとなると、『ヒストリエ』のあの描写の由来が『アレクサンドロス大王物語』であるという可能性が出てきてしまった。
こうなってくると話が色々変わってくるから、取り合えず、近所の図書館で内容を確かめようとして、けれども、近隣の市区町村に置いてある場所はなくて、置いてある所だと電車賃だけで大王物語が買えるくらいかかる遠いところにしかないと分かったので、ネットで一番安いところを探して、ともかくメルカリで購入して中身を確かめることにした。
『アレクサンドロス大王物語』の話をするにあたって、岩明先生がこれを読んでいる可能性が生じた以上、適当な紹介だけでは済ませられないので…。
つまりこの記事は漫画の解説を書いてアフィリエイト収入を得るとかではなくて、逆に金払って書いているということになる。
…たまげたなあ。
ともかく、確かめた結果として、どうやら岩明先生はこの本を読んでいて、『ヒストリエ』作中の描写の材料に用いているらしいということが分かってしまった。
このカリステネスの記事のコンセプトはもう、ここんとこ漫画の解説を書く作業が辛すぎるから、比較的楽な題材を選ぼうということが根底にあって、作業量が少ない題材を選ぼうという動機でカリステネスの解説を選んでいる。
先々月の、軽い題材として選んだトリバロイ人の記事も1万字を越えているし、先月の『ヒストリエ』の記事も前後編で16000字を越えている。
漫画の記事を初めに書き出した時は一つの記事が3000字~4000字で、滅茶苦茶書いたなって当時思った記事も今確かめたら6000字ちょいで、もう色々辛いんだ…。
そうだというのに『アレクサンドロス大王物語』のせいで作業量が爆上がりすることが分かって、現状強く悶絶をしているところになる。
そういう話だから、とりあえず、大王物語をパラパラとめくったという程度で見つけてしまった、この本と『ヒストリエ』の共通する描写の話をして、その後に最初に想定していた哲学者カリステネスの話をする方向性でやって行きたいと思う。
…。
いやー、キツイッス。(素)
さて。
そういうわけで『アレクサンドロス大王物語』の話をして行くことにする。
僕は今まで『ヒストリエ』の解説を書くに際して、このテキストについては存在を把握していたというのに、一切顧みていなかった。
それには理由があって、この本は今まで僕が解説記事で言及してきたような歴史書でも、研究者によるあの時代の解説書でもなくて、荒唐無稽なヒーロー物語だからになる。
ヨーロッパ世界などでは広大な帝国を作り上げたアレクサンドロスの物語は人々の関心を強く引いたらしくて、歴史書以外で彼についての様々な"物語"が作られたらしい。
この『アレクサンドロス大王物語』もそう言った物語の一つで、伝説の王であるアレクサンドロスについて、ファンタジーのようなやり方で、彼の英雄譚を語る類のテキストになる。
なんというか、実際の文章を読めば分かるのだけれど、もう本当にファンタジーで身長10メートルの巨人とか普通に登場する。
「第三二節
そこから案内人を連れて、大熊座の方向に砂漠のなかへと進んでいきました。だが案内人は、あの地方にはたくさんのけものがいるので出発をしないように勧めてきました。それでもわたしは彼らの言葉には注意を払わず、道を進みました。谷の多い土地へやってきました。そこにはまったく狭くて深い崖の切り立った道が続いていて、その道を八日間にわたって進みました。
あの土地では、いまだ見たこともないような新しい種の動物を目にしました。その地方を通りぬけると、別のもっとみじめな地にやってきました。 アナパンダと呼ばれる木の森がありました。この木には見も知らぬ、おかしな果実がみのっていました。これは巨大なメロンほどの大きさのりんごでした。 その森にはピュトイと呼ばれる人間も住んでいて、背丈二十四ペーキュス、首の長さ一ペーキュス半、同じように長い足をしています。その手と、肘までの腕はまるでのこぎりのようでした。われわれのすがたを見ると軍に向かって攻めてきたときには、正気を失うほどでした。彼らのひとりをつかまえるように命じましたが、われわれのほうから大声をあげラッパを吹き鳴らすと、逃げていきました。そのうち三十二人を殺害しましたが、われわれの側は百人の者の命を失いました。木々の果実を食べながら、そこに滞在しました。(伝カリステネス 『アレクサンドロス大王物語』 橋本隆夫訳 筑摩書房 2020年 pp.149-150 下線引用者)」
ここで巨人のデカさを示すために使われているペーキュスはギリシアではキュービットと呼ばれる単位で、聖書だとこのペーキュス45cmくらいを言うらしい。
まぁ目安として先のテキストのペーキュスもそれくらいと考えて45cmとして、巨人の身長が24ペーキュスなのだから、単純に45をかけて45cm×24で、大体10メートルくらいの人間が登場するという話になる。
『アレクサンドロス大王物語』はこういう感じの本で、他には人間の顔を持って喋る鳥とか、太陽も月も存在しない暗黒の世界とかが登場したりする。
この本は設定としてはこの記事の冒頭で触れたカリステネスが書いたという話になっている。
とはいえ、先の引用文の著者の所が「伝カリステネス」となっている所から分かるように、カリステネスに仮託された本になる。
"伝"ってのはカリステネスのものと伝えられているというニュアンスで、他の人の書いたものが著名人のものとされて、後の研究で偽書と判断されたという話は結構あって、擬プルタルコスとか偽ディオニシオス・アレオパギテスとかそういう名称の人が書いた著作物が残っている。
"擬"ってのはその著作者に擬態しているって話で、"偽"も似たような話で、その辺りの術語の使い分けの法則とかは良く分からない。
ちなみに、伝カリステネスってのは日本での扱いで、英語版Wikipediaの記述を見る限り、英語圏だと偽カリステネス扱いみたいっすよ?
まぁ…カリステネス本人は種々の歴史書だと大王のインド進入より前に処刑されているというのに、この本はアレクの死まで記述されている以上、書いたのは別人としか考えられないから、そういう風な扱いになっている様子がある。
話としてはアレクの冒険譚をローマ人辺りが創作して、その著者が誰なのかが分からなくなった後に、カリステネスが書いたものだという伝承が生じて、今現在まで伝えられているという感じなのだろうと思う。
加えて、あんなファンタジーを遠征に実際に帯同した人物が書いたなんて道理に適った判断ではないから、その辺りも踏まえてそういう見解なんだろうと思う。
結局、この本はファンタジーであって、一方で『ヒストリエ』はそのようなファンタジー要素が皆無の現実的な物語で、超自然的な要素と言えば、アレクの予知能力程度になる。
(10巻pp.23-24,p.28)
このアレクの予知能力にしたところで、こんなものは滅茶苦茶勘が鋭いという話で済ませられるレベルであって、このことを言って『ヒストリエ』がファンタジーだとは普通は言わない。
僕はそのようにファンタジーである大王物語と、あくまで現実と歴史を下地にしている『ヒストリエ』では差異が甚だしいから、岩明先生はこのテキストを『ヒストリエ』の材料として使っていないだろうと決めつけていた。
元々…そのようなアレクの伝説的なテキストは読んだことがあって、『西洋中世奇譚集成 東方の驚異』に収録されているそれを大学生の時に何故か読んでいる。
その時に、こういう類のテキストはあまりにファンタジーで、ただの妄想物語で取るに足らないものであるという認識が、僕の中で生じてしまっていた。
ちなみに、この本には双頭のヘビについての記述があって、秘境に居るという話だったと思うから、おそらくハンタの五大厄災の双頭の蛇ヘルベルはこのテキストが由来かはさておいて、"このような情報源"を元に描いているのではないかと思う。
それはともかく、そういう経験から大王物語も敢えて読む必要はないだろうと思っていたということに加えて、そもそも、この大王物語は2020年にやっと文庫版が出たけれども、それ以前はAmazonで買おうとすると1万円を超えるような値段になっていて、調べたら2016年から2018年までだと最低価格が16100円とかだった。
そんな本を買うわけがないわけで、そして先週までの僕はこの本を開く用事が一切なかったから内容とか知らなかったという理由で、僕はこの本の存在を知っておきながら顧みることは一度もなかった。
けれど先に書いた経緯でこの本を実際買って手元に届いて、パラパラと中身を確かめた結果、どうやら岩明先生はこの本を読んでいるらしいと分かった。
よって、以下では『アレクサンドロス大王物語』と『ヒストリエ』の描写の比較をして行くことにする。
まず、『ヒストリエ』のオリュンピアスは姦淫していて、その結果として生まれたのがアレクサンドロスで、『ヒストリエ』作中でもフィリッポスはアレクが自分の子ではないということを理解している描写がある。
(12巻p.126-127)
そして、大王物語でもフィリッポスとアレクサンドロスとの間に血縁関係はない。
「第一節
マケドニアの王アレクサンドロスはこの世でもっとも優秀で、立派な人間であったと思われる。先見の明を働かせることによってつねに驚嘆すべき業績をあげることができたので、どのようなことをおこなうにも彼独自のやり方を用いた。遠征では連戦に連戦を重ね、そのためにそれぞれの民族のもとに滞在できる期間はまったく短かった。だから、これらの国々を正確に調査するには、これをしようと思う者にも時間が十分ではなかった。これから、アレクサンドロスの業績、彼の肉体面と精神面のすぐれた特徴、そしてその行動にみられる好運と勇敢さとを述べるにあたって、まず、その出生の点、父親はだれであるかということから始めたい。
というのは、ピリッポス王の子であると大半の人が語っているが、それは正しくはない。たしかにこれは真実ではない。 ピリッポスの息子ではないのである。エジプトの賢人たちの語るところでは、エジプトの王位を失ったあとのネクテナボンの産んだ子であった。(同上『アレクサンドロス大王物語』 pp.33-34)」
ネクテナボンについて調べたら、これは本当に存在したエジプトの王のようで、ネクタネボ2世の話らしい。(参考)
大王物語ではオリュンピアスがそのネクタネボ2世、大王物語の記述に従えばネクテナボンと姦通した結果として、アレクサンドロスが生まれている。
結局、『ヒストリエ』にしても大王物語にしてもオリュンピアスの不義の結果としてアレクが生まれていて、本当の父親が誰であるかはさておいて、同じようにフィリッポスとアレクは血が繋がってなくて、この事は偶然ということはないと思う。
『ヒストリエ』でオリュンピアスと姦通した男は、マケドニア人ではないだろうという話がされている。
(7巻p.54)
大王物語ではエジプト人なのだから、この言及は同じように外国人がオリュンピアスと姦通したという話とも取れる。
ただ、オリュンピアスはここで場を取り繕う必要があるわけで、この男が事実マケドニア人だというのに、様々な追及や疑惑の目を逸らすために外国人だという設定にしてしまって、何人かも分からない外国人に襲われたという話にして、知らぬ存ぜぬで済ませたという描写とも読み取ることが出来る。
だから、この言及を以って彼の出自についてどうこうは言えないのだけれども、この男はマケドニア王室を軽んじる発言をしている。
(7巻p.43)
勿論、嘯いてマケドニア王家を軽んじただけという可能性はある一方で、このような発言が出来る程にこの男が高貴な生まれであるという設定という可能性がある。
マケドニア王家を軽んじられる出自となると同等以上の家格が必要なわけで、もし、この男が元エジプト王であったなら、普通に嘯かなくても言える内容になっている。
元エジプト王であれば同格の王族となって、歴史が長く大国であったエジプトの王族である彼が、辺境の王国であるマケドニアの王室を軽く見るのは道理に適っている。
だからもしかしたらこの男は設定上、ネクテナボンであるという可能性がある。
ネクテナボンは大王物語で呪術師で、変身したり魔法めいたものを使っている人物で、一方で『ヒストリエ』のアレクサンドロスは超能力というほどではないけれど、予知能力があると描写されている所を考えると、設定上、あの能力は父親譲りという可能性はないではない。
とはいえ、アレクサンドロス大王の人生を辿る類の書籍があった時に、軽く触れる形でアレクの父親が元エジプト王の血筋だという伝説があると記述されることはあり得るわけで、その事だけだと岩明先生が直接『アレクサンドロス大王物語』を読んでいるという話は導き出せない。
まぁ解説書の類にその話があったとしても、元は大王物語の記述なんだから無関係とは言えないけれど、だからって岩明先生がこの本を読んだって話にはならない。
ただ、それ以外にこの本を岩明先生が読んでいるのではと思わせる要素は普通にあって、『ヒストリエ』ではあの出来事は事実起こったことである一方で、アレクサンドロスにとっては夢の中の出来事という話になっている。
(7巻pp.25-26)
アレクにとってあの出来事は夢であって、アレクは自分がフィリッポスの子でない不義の子だということを把握していない。
ともかく、こういう風にオリュンピアスの姦通は夢と関連付けられているということが分かる。
大王物語ではネクテナボンはオリュンピアスと交わろうと企てて、それに際して夢でアンモン神と会うと彼はオリュンピアスに予言して、魔術でその夢を見せて自分を信じさせた後に、オリュンピアスがアンモン神にまた会いたいと言ったことを受けて、アンモン神に変装して寝所に忍び込んで姦通を行っている。
その姦通の結果としてアレクサンドロスを身籠ることになっている。
この場面でオリュンピアスはまた夢で見たアンモン神に会いたいと言っていて、記述的にもう一度夢で逢うことを所望していて、けれどもネクテナボンは夢であると偽って、アンモン神に扮してオリュンピアスと性交したという感じの話になっている。
要するに、これは夢なのか、現実なのか、というシチュエーションで、ネクテナボンはマケドニア王国の妃であるオリュンピアスと姦通するという危険な領域へと突入しているという話になる。
そして更には、その姦通に際して、蛇が寝所に現れるという記述ある。
「 するとネクテナボンが妃に話しかけた。
「お妃さまに知っていただきたいことがございます。神が部屋にはいって来る前にしるしがあらわれます。夕方、ご寝所ですわっているときにご自分のほうに蛇がはい寄ってくるのをご覧になれば、まわりの者たちに立ちさるようにお命じください。だが、ランプの明かりは消さないでください。ランプは、わたしの知るところに従って作ったものですが、神の顕彰のために火をともすものです。これをさしあげておきましょう。お妃さまはベッドにあがり、支度を整えておいてください。お顔は隠したままにして、お妃のもとにやってくるときに見た夢のなかのあの神をこっそりご覧になってください。」
ネクテナボンはこういうと立ちさった。翌日に、オリュンピアスは自分の寝室の近くに彼の寝所を与えてやった。(同上『アレクサンドロス大王物語』 p.42 下線部引用者)」
『ヒストリエ』のオリュンピアスの姦通の場にも蛇がいる。
(7巻p.75)
『ヒストリエ』と大王物語では、両者ともにオリュンピアスの姦通は夢のような状況でその場に蛇が居るという、普通だったら起きないだろう重なりがそこにあるということが分かる。
もっとも、オリュンピアスが蛇と関連付けられるのは『英雄伝』でも同じで、確か『王妃オリュンピアス』でもその話はあったから、蛇と王妃は大王物語に限られたキーワードということも無いのだけれども…。
ただ大王物語と『ヒストリエ』とではオリュンピアスの姦通についての描写が重なっているというのは確かだと思う。
そして、重なっているのはこのことだけではない。
『ヒストリエ』ではオリュンピアスとパウサニアスは性的な関係を持っている。
(12巻pp.20-22)
…。
最後のページ、三コマ目でオリュンピアスの舌が蛇のそれになっていて、パウサニアスはその事に気が付いていて、オリュンピアスが蛇のようにあるということに察しつつも、それを承知で肉体関係を持つことを選んでると描写されてるの、たった今、画像引用するまで気付いてなかったよ…。
ここでオリュンピアスが蛇として描かれることが何の暗喩かは分からないけどね…。
紀元後のキリスト教圏の話だったら、知恵の実を食べることを唆す蛇としての暗喩と短絡的に判断しても良いのだけれど、古代ギリシア世界で蛇がどのようなシンボルであるのかについての十分な知識を僕が持っていないので、この場面がどんな意味なのかは説明できない。
まぁ地中海周縁では昔っから蛇は扱いが悪いから良い意味ではないだろうけれども。
それはさておき、こういう風にパウサニアスとオリュンピアスが何らか性愛の関係にあるというような話は、『英雄伝』にも『アレクサンドロス大王東征記』にも『地中海世界史』にも『歴史叢書』にもない。
今言及した本では『地中海世界史』ではオリュンピアスがフィリッポスを殺すようにパウサニアスを唆した話はあるとはいえ、このような性愛の関係性の話は特になくて、オリュンピアスがエウリュディケの嫁入りで不遇な現状に追いやられたことの復讐のために利用したという話があるだけになる。
けれども、『アレクサンドロス大王物語』ではパウサニアスのオリュンピアスに対する情愛の話がある。
「 第二四節
さて、当地には、パウサニアスという名前の人物がいた。彼は、テッサロニケの市民の指導者で、なかなかの権力をもっており、また富力もそなわっていた。この男がアレクサンドロスの母オリュンピアスへの恋情にとらえられていた。彼女のところへ数人の弁の達者な者を派遣して、多量の金品を贈ったうえ、夫ピリッポスを捨てて自分と結婚するように説得させようとした。オリュンピアスが同意しなかったし、アレクサンドロスが戦争に出かけていることを知っていたので、ピリッポスのいる場所へ出かけた。そこでは、ちょうど演劇の競演がおこなわれているところであった。ピリッポス主催のもとにゼウス・オリュンピオスの劇場で演劇が上演されていたときに、パウサニアスが勇敢な部下もいっしょに引きつれ、抜き身の剣をさげて、劇場になだれ込んだ。 オリュンピアスを奪いとるために、ピリッポスを殺害しようとした。彼に攻めかかり、その脇腹に剣の一撃を加えたが、息の根を止めることはできなかった。劇場のなかはたいへんな騒ぎとなった。(同上 『アレクサンドロス大王物語』 p.71)」
こういう風に、大王物語ではパウサニアスがフィリッポスを殺した理由が、パウサニアスがオリュンピアスを求めたからという話になっている。
パウサニアスとオリュンピアスは他の史料では基本的に関わりはなくて、唯一『地中海世界史』では唆してフィリッポスを殺させたという話が他の説と併記されているけれども、それにしたって二人の間に情愛や肉体関係があったとは記述されていない。
パウサニアスとオリュンピアスが男女の関係であるのはこの大王物語と、『ヒストリエ』だけに限られた話になる。
となると、『ヒストリエ』で二人が男女の関係なのは、大王物語の記述が由来なのでは?という推論が成り立ってしまう。
更には『ヒストリエ』で描写されるパウサニアスの死は、大王物語に似通っている所があって、両者ともアレク本人がパウサニアスに直接手を下している。
フィリッポス暗殺のくだりは種々の史料に言及があるとはいえ、『英雄伝』や『地中海世界史』では暗殺の話はあっても、パウサニアスがどういう始末を受けたのかは記述されていない。
『歴史叢書』ではパウサニアスの始末についての記述があってレオンナトスらによって殺害されている。
「彼(引用者注:パウサニアス)は王が一人になったのを見計らって彼に突進してあばらを突き刺し、死に至らしめた。次いで逃亡のために準備していた門の馬へと走った。すぐに側近護衛官の一団が王の遺体へと駆け寄った一方で残りの者は暗殺者を追いかけた。その最後の者はレオンナトスとペルディッカスとアッタロス(引用者注:『ヒストリエ』のアッタロスとは別人)であった。当初は上手くいっていたものの、彼らが追いつく前に馬に乗るつもりだったパウサニアスは葡萄の蔓に足を取られてしまった。彼が足を絡ませたためにペルディッカスと残りの者たちは彼のところまでやってきて槍で突き刺して殺した。(参考)」
『歴史叢書』ではレオンナトスらがパウサニアスを始末していて、『ヒストリエ』でレオンナトスがパウサニアスを殺そうとしているのもこの記述が由来になると思う。
もっとも、『王妃オリュンピアス』でこの場面について『歴史叢書』の記述を踏まえた解説があって、『ヒストリエ』の場合は『王妃オリュンピアス』の記述を元にレオンナトスが始末しようと動いていたのだろうけれども。
一方で『アレクサンドロス大王物語』では、アレクは騒ぎを聞きつけてパウサニアスの元に駆けつけて、パウサニアスを自らの手で槍で刺して、その後にフィリッポスの前に突き立てて、フィリッポスに剣を渡して止めを刺させている。
止めを刺したのがアレクか先王かの差異はあるけれど、アレク自身がパウサニアスの始末に関わっているのは『ヒストリエ』と大王物語だけで、そうとすると、『ヒストリエ』のあの劇場での出来事は、大王物語の要素も採用されているという可能性がある。
加えて、『ヒストリエ』のオリュンピアスは非常に多淫であって、作中で4人もの人間と姦通していて、ネオプトレモスの対応的に普段から他にも色々な男を寝所に引き入れている様子がある。
(6巻pp.210-211)
今回が初めてであったらネオプトレモスのこの冷静な対応はあり得ないわけで、作中で描かれた4回の姦通以外にも何度もこのようなことを繰り返していると判断して良いと思う。
こういうオリュンピアスの人間性については、種々の史書に言及されるところではない。
オリュンピアスは普通にエウリュディケを縊り殺したり焼き殺したり、ヘファイスティオンとアレクの仲に嫉妬して、ヘファイスティオンに非難の手紙を送っていたり、大王の死後、軍を率いてマケドニアに侵攻して、アリダイオスとその妻を殺したり、マケドニアで反乱分子を粛清したりしているから、穏やかな人物ではなかった様子はあるとはいえ、別にフィリッポス以外の男と情事に耽っていたなどという話は僕が把握している限りではない。
毒婦ではあるけれど淫婦ではなくて、別に姦通しているという話が出てくるような人物ではない。
一方で大王物語では普通に姦通しているのだから、そうとすると"この"キャラクター性は大王物語由来という見解は捨てきれない。
ちなみに、『ヒストリエ』だとアレクサンドロスはレオニダスという人物を教師としていて、また両目の色がそれぞれ違っているけれども、その話も大王物語にある。
「 アレクサンドロスの成長物語のことでぐずぐずすることのないように、簡単にはしおれば、子供は乳離れし、幼児から少年へと成長した。アレクサンドロスが成人になると、その姿形はピリッポスとも、母親のオリュンピアスとも、本当の父親とも似ているところはなく、人間の格好はしていたが、いかにも彼らしい特徴を見せていた。髪は獅子のたてがみに似て、瞳の色はそれぞれ異なっていた――右目は黒色、左目は灰色であった――歯は蛇のように鋭かった。ライオンのような身のこなしを…彼の乳母はメラスの妹レカネ、養育としつけの係はレオニデス、文法の教師はポリュネイケス、音楽の教師はリムナイ出身のレウキッポス、幾何学の教師はペロポネソス出身のメレムノス、弁論術の教師はアリストクレスの子でランプサコス出身のアナクシメネス、哲学の教師はスタゲイラ出身のニコマコスの子のアリストテレスであった。(同上 『アレクサンドロス大王物語』 p.52)」
(10巻p.96)
(6巻p.115)
…。
今までずっと、アレクの目については史実要素だと思い込んでいたのだけれど、もしかして『アレクサンドロス大王物語』にしか記述がない創作である可能性が微粒子レベルで存在している…?
先の容姿の所には注釈があって、
「 アレクサンドロスの物腰がライオンに似ているとは、共通の伝承であるが、これ以外の点は伝説にすぎない。(同上 『アレクサンドロス大王物語』 p.423)」
とある。
アレクサンドロスがライオン扱いされているのは、プルタルコスの『英雄伝』でも同じだから、注釈で説明されるように他のテキストにも言及がある。
けれども、先の注釈の言いようを見るに、大王物語以外では左右の目の色が違うという話はないようで、そうとするとあの話は大王物語由来で、そうである以上、史実ではないらしい。
アレクのような覇者の目が特殊であるという話は他の地域にもあって、古代中国の伝説上の王である舜と、漢帝国を作った劉邦と鎬を削って、その戦いの中で『史記』に一人で数百人殺したと記述されている項羽は、一つの目に瞳が二つある「重瞳子」であったと聞いていると『史記』の著者である司馬遷は記述している。
その項羽と戦った劉邦は、左股に72のホクロがあるって設定だし、目覚めた人である仏陀は舌がおでこに届くって原始仏典の『スッタニパータ』とかに言及がある。
まぁ昔っから凄い人は凄い身体的特徴を持っていると話を盛られがちなんだろうと思う。
それはさておき、アレクの教師であるレオニダスについて言えば、僕は以前、今引用したレオニダスのアレクの教師だった話の出典が何なのか分からなくて、その出典を調べたけれど、出典が見つけられなかったという経験がある。
レオニダスとレオニデスで微妙に名前が違うけれど、おそらくは同じ人物の話で、そういう風に大王物語に記述されているのだから、もしかしたらレオニダスの話は大王物語が由来なのかもしれない。
さて。
僕はこれまでかなり多くの『ヒストリエ』と『アレクサンドロス大王物語』の類似点を挙げてきた。
ここでもし、このような類似した要素を持つ人物が、アレクやオリュンピアスではなくて、例えばエウメネスであったとしたならば、僕は岩明先生はこの『アレクサンドロス大王物語』を読んでいるときっと断言してしまっていたと思う。
けれども、問題なのは偉大なる大王であるアレクサンドロスについてや、彼のその生まれについての話であるというところであって、彼についての記述がある書籍はいくらでも存在していて、例えば包括的な世界史の教科書があったなら、アレクサンドロスの名前は記述されないわけがないというほどのビッグネームになる。
だから、数えきれないほど多くの媒体に彼についての話があるはずで、そうとすると、『アレクサンドロス大王物語』にそのような話があると分かったところで、岩明先生がその情報に接触したルートはいくらでも想定出来てしまうという事になってしまう。
そういう話だから、僕には『アレクサンドロス大王物語』を岩明先生が読んでいるのかどうかは分からない。
ただ…僕はこの記事を書いていてそう思ったし、これを読んでいる人も多くの場合そう思うだろうけれど、岩明先生は『アレクサンドロス大王物語』を読んでるっぽいよな…と思う。
だから、僕は岩明先生は『アレクサンドロス大王物語』を読んでいるらしいとこの記事の前半で言及していて、まぁ読んでいるっぽいよなぁと思っている。
最後に、この『アレクサンドロス大王物語』でエウメネスがどのように記述されているかについてだけ言及したいと思う。
























