『ヒストリエ』12巻収録分の作者コメントについて | 胙豆

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傲慢さに屠られ、その肉を空虚に捧げられる。

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とにかく、表題通りの内容を書いていく…というか引用して行くことにする。

 

これを書いている現在、『ヒストリエ』の12巻は発売されていないから、『ヒストリエ』にどのような追加の記述がなされるかは未知数にはなるけれど、これまでの11巻の中で、作者が近況について語る類のコメントというものは収録されていない。

 

だから、単行本で『ヒストリエ』を読む限り、どうして12巻があれ程まで遅れたのかとかそういう情報は汲み取れない可能性がある一方で、アフタヌーンに掲載された時に作品の柱の部分に書かれる作者コメントを読めば、岩明先生が現在どのような状況であって、どうしてあんなにも単行本が出ないのかが分かる内容の記述がされている。

 

この記事ではその事についてまず補完して、僕の方で言いたいことがあった場合は少し言葉を入れるという方向性でやって行こうと思う。

 

ともかく持ってくる。

 

アフタヌーン2020年1月号 掲載ページ数19頁

「ずいぶんとご無沙汰いたしました。単行本1巻のための作業も予想以上に手間取ってしまいました。年齢からくる心身の衰えそのままに、仕事の手間取りがひどくなってきています。これまで35年の漫画家生活の中で私は、自分が最もやりやすい形、最も自分に合った手法で執筆活動を続ける事を望み、幸運にもそれを通す事ができたからこそ「寄生獣」や「ヒストリエ」を形にしてこれた今日がある、そう考えています。「作品のために」同じやり方を変えず続けてきたし、それが正解であったのだと思います。しかし今度は、「作品のために」やり方を変えてゆかねばならなくなったようです。たとえ少しずつでも新たな手法を考え、取り入れてゆかねばならない。私も来年還暦で、新たな手法にしても一朝一夕で身につくとは思えず、劇的に作業時間が短縮されるなんて事もあり得ないでしょうけど、でもまあ、やる他ないです。 さしあたっての目標は単行本12巻を、11巻の時より短い月日で形にする事。 まずはそこから、って感じです。(『月刊アフタヌーン』 2020年1月号 p.62 pp.65-66 以下は簡略な表記とする。)」

 

以上が2020年3月号の『ヒストリエ』の柱コメントで、これは11巻の単行本作業のための休載明けのそれになる。

 

読む限り、岩明先生はクソ真面目にやって、より作業時間を短くしようと努力した結果として、11巻から12巻まで発売期間が4年以上という現状であるというのがこの言及から分かる。

 

岩明先生も色々分かっていて、そのために色々頑張っているからこそ、『ヒストリエ』は現状だと絶対に完結はしないと僕は前々から言及している。

 

結局、岩明先生は作品をもっと早く仕上げるために新しい手法を取り入れていくと言っていて、けれども、その手法とやらを取り入れた『ヒストリエ』は、作品の完成速度が上がるという様子は一切見えず、むしろ12巻は今までで最遅の刊行スピードで、明らかに取り組みは上手くは行っていない。

 

その一方で岩明先生はそのように現状の執筆速度の遅さを問題視して、そのための対応も視野に入れていて、それだけでなくおそらく工夫も実践として行っている。

 

だというのに『ヒストリエ』はアフタヌーンに多くのページに下書きを残したまま、更には構成的に1話を想定した掲載分を、想像するに次の原稿が上がらないからという理由から2話に分割して隔月で掲載して4ヶ月を稼いだりしている。

 

要するに、サボっているわけではなくて、クソ真面目にやってあの結果であるのだから、もうどうしようもないというのが『ヒストリエ』です。

 

…そうだと分かっていながら、このサイトで何十回も『ヒストリエ』の解説を書き続けて、本来描かれるはずであった『ヒストリエ』の展開を、既に描かれた内容やそのために集めたお手元の史料から色々指摘し続けていることについては、自分でも色々アレだとは思っている。

 

既に30回以上『ヒストリエ』の記事を書いているんだよなぁ…。(参考)

 

まぁいい。

 

次に引用する文章はアフタヌーンの最後の方のページにある、掲載中の作品の中から数人選んで、作者コメントとかを掲載するアメゾのコーナーで、前半部分が岩明先生のコメントで、残りが編集者が作者のコメントを見て、それに対してコメントしている内容で、アメゾだと編集が作者に質問したり色々形式があって、とにかく、作者と編集の応答の記述です。

 

「 約1年ぶりに『ヒストリエ』 の連載が再開です!!!
ご無沙汰してます。「ヒストリエ」 の物語はこれから大きな展開を迎える事になっていて、普通ですとご期待くださいってなるんですけど、 年を追うごとにお待たせの期間が長くなってしまい、軽々に「ご期待ください」が言えないです。「頑張ります」としか申せませんが、頑張ります(岩明均氏)
お待ちくださった読者の皆さま、 本当にありがとうございます!! 『ヒストリエ』は隔月掲載予定となります。 ご声援、よろしくお願い致します!!!(同上p.815)」

 

アフタヌーンの作者コメントの仕様上、少し説明を入れなければ分かりづらかったから僕の方で補足を入れたけれども、以下では淡々と柱のページの作者コメントを引用して行って、アメゾで『ヒストリエ』のコーナーがある場合はその文章も持ってくることに…と思ったら、この号にしかアメゾに岩明先生のコメントはなかった。

 

なので、以下ではひたすらに柱のコメントを引用します。

 

2020年3月号 10頁

「他誌に掲載されてた漫画の話で恐縮ですが、私が原作を担当した作品「レイリ」が第3回「さいとう・たかを賞」をいただきました。大変ありがたく思っています。この賞は「分業による作品づくり」を顕彰するために創設され、「シナリオライター」「作画家」「編集者」の3者に与えられます。前回・第2回の受賞作は本誌連載中の「イサック」で、「ヒストリエ」の担当でもある編集者の荒井さんも受賞されました。つまりこれまで受賞の3人の「編集者」のうち2人は私の担当って事ですね。だから何だ、ってわけでもないですが。(pp.70-71)」

 

2020年5月号 12頁

「仕事場の窓からすぐ見える位置に、サービス付き高齢者向け住宅ができたので思わず、施設案内の資料を取り寄せました。そこに住むことになれば通勤にはとても便利ですが、施設の生活リズムに合わせてちゃんと暮らす事ができるだろうか…というような事を普通に考える年頃になりました。(p.269)」

 

もうすっかりお爺ちゃんなんだよなぁ。

 

2020年7月号 17頁

「作業の手が思うように進まない時など、アニメの曲のピアノ演奏したのを聴いたりします。その中には「寄生獣」のもいくつかあって、私が言うとあれですけど、けっこうお気に入りです。(p.185)」

 

前回と今回の『ヒストリエ』はおそらく元は一つの話として想定されていて、雑誌掲載時だと前回の終わりが1話の終わり方としては物凄く不自然で、場面の繋がりとページ数的におそらく、前回と今回は元々1話として想定されていたところを、雑誌には2話分として掲載された様子がある。

 

・追記

12巻が発売されたから追記するけれども、具体的には次のページでこの一つ前の回は終わっている。

(岩明均『ヒストリエ』12巻p.46)

 

本当にここでその月の掲載は終わりで、次の二か月後の掲載時は以下のページから始まる。

(同上p.47)

 

どう考えたって一話の区切り方としてはおかしい以上、岩明先生が全然原稿を上げられないから、一回分の原稿を分割することによって、四ヶ月稼いでいた様子が見て取れる上に、そこまでしても背景は下描きだった。

 

2020年9月号 14頁

「百円ショップで「孫の手」を買いました。「孫の手」なるものがなぜ存在するのか、子どもの頃はちゃんと理解できていませんでしたが、今はよくわかります。(p.207)」

 

2020年11月号 16頁

「60歳になりました。「連載をかかえる漫画家」として考えるとかなり危うい状況になってしまってますが、もうだいぶ前から、多分30年くらい前から「作品という名の主君に仕える家来」という感じでやっているので、それで何とかここまで持っているのだろうと思います。漫画家として「ライバルには負けたくない」なんて思う事はほぼ無いですが、「主君」に対し、よろしくないと思う相手には「ふざけるなよ」と思ったりします。この先も、作品への忠誠心は持ちつづけたいと思います。(p.314 p.317)」

 

…この話は、自身の漫画作品について不誠実な漫画家についての不快感の話か、岩明先生も漫画を作れていない現状を歯がゆく思って、『ヒストリエ』という主君に対して"不届きな家来"に思う所があるという話のどちらかで、状況的には後者だけれど、岩明先生の"言いぶり"的には前者だと思う。

 

2021年1月 12頁

「浦沢直樹さんがMCの「漫勉neo」という番組を観ました。先輩、大先輩、若い方、何人もの漫画家が登場し、そのペン先の動きを見てあれこれ思いました。いつも見ている自分のペン先の動きと比較しながら。皆さん一様に速く、思い切りが良く、精確だと感じました。漫画家はずっとイスに座っての仕事ながら、どこかスポーツ選手に似ている、なんて思うのはこんな時です。私自身はもともとペンの運動能力が大して高くなく、そしてさらに衰えた。自分の持っている様々なものを総動員しないと漫画家は続けていけないなあと思いますが、その内訳はほんと人それぞれ、ってわけです。まあ、がんばります、としか言えませんです。」

 

岩明先生はもはや、まともな速度(他の漫画家の速度)で線を描けないらしい。この号も隔月でやってて12頁なわけだし。

 

2021年3月号 18頁

「仕事がとても遅いので、年末年始も今回の掲載話の執筆作業なのですが、お正月に描くような絵じゃないよなあ、とか思いつつ描いています。(p.537)」

 

この号は袈裟斬りで一刀両断された人物が、首もない状態でそのまま数歩歩いて、祝福するように手を挙げた後に倒れて、心臓が露出する場面が描かれています。

 

2021年5月号 16頁

「首都圏の住みたい街ランキングで「本厚木」が1位になったと聞き、「ヘー」と思いました。過去、住んでたわけじゃないのですが、通ってた高校の最寄りだったので。その高校は現在は存在しませんが、なんとも「超ゆとり教育」な高校でした。その後、ゆとり教育の弊害についていろいろ言われたりしましたが、少なくとも漫画家岩明均が生まれたベースには、この超ゆとり教育があったと言ってよいです。ただし、今の私の超遅筆状態と、超ゆとり教育とはまったく関係がありません。(p.339 p.340)」

 

Wikipediaの神奈川県の廃校一覧を見る限り、厚木市で廃校になった高校は神奈川県立厚木清南高等学校だけだったので、岩明先生はそこの出身らしい。

 

2021年7月号 12頁

「人間ドックで様々な検査を受けたほか、身長・体重も測りました。若い頃に比べ体重は4~5キロ増え、身長は2センチちょっと低くなってました。近ごろ心身ともに少しずつ、違う人になってくのかなと思う事があります。あまり違う人になる前に物語を完結させたいです。ゆく河の流れは絶えずして、って感じです。(p.292)」

 

岩明先生は完結させる気でいるらしいとはいえ、個人的に現状、伏線を放置した打ち切り以外の方法で完結などあり得ないのではないかと思う。

 

2021年10月号 17頁

「絵本作家で、お城の俯瞰図を多く描いておられる画家の香川元太郎さんの原画展に行ってきました。とても精緻な絵を描かれる人なのですが、私は城を俯瞰した絵がやたらに好きなので、展示された城の原画をじっくり見ていると、その日は香川さんが会場の画廊に来ておられ、直接ご本人から絵の解説などいろいろお聴きすることができました。大変ぜいたくでありがたい原画鑑賞でした。(p.311)」

 

隔月連載で、前回掲載が7月号なのに今回が10月号なのは、早い話原稿を落としたからってことで良いと思う。以後はまたこの月から隔月連載だし。

 

2021年12月号 12頁

「もう「近況」でもないかもしれませんけど、三ヶ月くらい前に読んだ『漆黒のカイザー』って漫画、感動しちゃった。(p.233)」

 

『漆黒のカイザー』は大変すばらしい作品でした。(参考)

 

2022年2月号 22頁

「さいとう・たかを先生の、「劇画で一番大切なのは“構成"だ」というお言葉の記事を読みました。私も36年なんとか漫画家をやってきて、分業で「原作者」も経験して、ほんとお言葉の通りと思います。なればこそ「ヒストリエ」を「完成」させたい、という思いは益々です。(p.283)」

 

2022年4月号 13頁

「たまに都心などに出て人混みの中を歩く場合は別なのですが、普段の買い物でスーパーの中を歩く時などはわりとゆっくり進むようになりました。いかにも爺さんて感じです。しかしそのゆるい動作が、意外なほどに心に平安をもたらしてくれるという事に気づきました。移動速度によって、見える景色も違ってくる、って感じでしょうか。(p.161)」

 

2022年6月号 14頁

「高い解像度の「赤色立体地図」というものに、間近に触れる機会がありました。建造物や自生植物を取り除いた地形の細かな凹凸を視覚的にわかりやすく見せる技術なのですが、「多くのデータを集めて、皆にわかりやすい画像を作る」という点など、漫画家としてもいろいろ学ぶ所がありました。(p.91)」

 

2022年8月号 14頁

「物語の登場キャラクターに作者の「性格」がでちゃう事はあまりないな、と思います。が、作品全体に作者の「人格」が出ちゃう事はけっこうあるかな、と思います。(p.268)」

 

2022年10月号 10頁

「もう60歳を過ぎてるせいか、早めに券が届いたので4回目のワクチン接種を受けました。集団接種の広い会場だったのですが、そこは何年か前に中学校時代の同窓会が行われたホテルの、同じ大広間でした。なつかしかったです。(p.363)」

 

この号で単行本作業の告知があって、作業のために休載するという岩明先生本人のコメントがある。

 

 

この告知以後、アフタヌーンに『ヒストリエ』は掲載されていない。

 

…。

 

僕も改めて岩明先生のコメントを読んだわけだけれども…なんつーかこう、駄目みたいですね…。

 

こういう風に隔月で連載されていた『ヒストリエ』は、当然の権利のように下書きの原稿交じりでアフタヌーンに掲載されていた。

 

この状態でどうやって予定表的に描く想定である、アレクの死後のディアドコイ戦争(参考)まで辿り着くというのだという話であって、ただひたすら無理だろうというのが僕の見解になる。

 

12巻収録分でさえ、未だにアレクサンドロスは王位継承してないぞ。

 

13巻収録分からディアドコイ戦争に移行しても、現状の執筆速度では完結出来そうにないくらい、岩明先生の作画速度は遅い。

 

この記事自体は、先に『キャプテン翼』の作者である高橋陽一先生が作画を引退するという表明を雑誌で行ったという出来事があって、僕の方で思う所があったという経緯で作られている。

 

結局、『キャプテン翼』の高橋先生は、自身の年齢と、自身の中にある『キャプテン翼』の青写真とを鑑みた時に、どう考えても現状の作品制作速度だと完結までに40年を越えるということが見込まれるから、自身が作画をする時間を切り捨てるという方法で『キャプテン翼』の完結を目指したという話らしい。(参考)

 

そういう風なことをした高橋先生だけれども、どうやら、高橋先生と岩明先生は年齢が同じだということに飽き足らず、生年月日まで全く同じであるらしい。

 

同い年の高橋先生が色々厳しいなら、岩明先生も厳しい筈で、実際厳しいというのはアフタヌーンの岩明先生のコメントを読めば分かる話にはなる。

 

ただ、アフタヌーンに掲載された柱のコメントを読まずして、現状の岩明先生を理解することは出来ないだろうと思って、その辺りは単行本勢は知りえない情報で、その辺りについての情報を補うということを目指してこの記事は作られている。

 

結局、柱のコメントを読む限り、岩明先生が嘘をついていないのならば、努力をして今の現状という様子が汲み取れて、サボっているわけでも遊んでいるわけでもなく、大真面目にやって現在の進行速度だということが読み取れる。

 

更には、『ヒストリエ』の単行本からは読み取れない、岩明先生の"老い"の部分が如実に示されていて、12巻はまぁその内単行本が発売されるだろうとはいえ、そこから先はあまり期待できないし、現状で完結など絶対に不可能だという話が僕はしたくて、その辺りについては僕は前々から言及していて、その理解の助けとして、この記事の内容は非常に役には立っていると思う。

 

現状の作画速度だと、高橋陽一先生のような何らかの糸口や弥縫策、考えられるのは原作の側にまわるといった行動を取らない限り、13巻まで辿り着けるのかすら怪しいというのが実際になる。

 

岩明先生はもうすっかりお爺ちゃんで、ここから先、『ヒストリエ』の物語が今までの反動として一気に進むということはおそらくなく、少しずつ遅くなる『ヒストリエ』の発表速度が、11巻から12巻の間に4年以上の歳月がかかっている『ヒストリエ』が、それでも今後続くというのなら、刊行速度はもっともっと遅くなっていって、もう完結などしないだろう一つの理解は、僕の悲観的な観測というよりも、現状を直視した時に、誰しもがその結論に至る当然の帰結以外の何物でもないと僕は思う。

 

まぁ結局のところ『ヒストリエ』の完結はファンタジーやメルヘンじゃあないんだから無理ってことと、稀に岩明先生がサボっているから『ヒストリエ』の単行本が出てないと思っている人が居て、けれども、岩明先生が虚偽の近況報告をしていない限り、どう考えてもクソ真面目にやっての末が現状だということが僕の言いたいことにはなる。

 

もう…色々無理なんだろうな…って。

 

・追記

・2003年5月号 20頁

「古代マケドニア軍というのは長い槍を持った人が縦16人、横16人の合計256人で一隊を構成していて、先頭から4列目までが前方に槍を向け、更に密集隊形になると互いの間隔を縮めて5列目まで槍を倒す…なんてものを絵にするとどんな感じかと思い、この間から描いてみているんですが、実際5百人、千人と描いていくうちにだんだん手がしびれてきて槍もどれが誰のだかこんがらがってきちゃうというのが計算外でとても困りました。そんなわけで前回! 一部下描き露出箇所が出来てしまったのでしたあああ。ごめんなさあああい。アララララーイ。(p.65 p.67)」

 

これは今から20年以上前の2003年5月号のアフタヌーンに掲載された『ヒストリエ』連載三回目の時の作者の柱コメントになる。

 

…。

 

まだ43歳くらいの岩明先生のコメント、ここ数年のそれに比べて若いなぁ…と思う。

 

とにかく、連載三回目で岩明先生はこういうことを言っていたらしい。

 

連載三回目はこの回ですね。

 

(岩明均『ヒストリエ』1巻pp.61-63)

 

これが連載三回目で、岩明先生が言っているのはこの一つ前の回のファランクスについてになる。

(同上pp.50-57)

 

岩明先生はこの一連の描写を描くために手にしびれが出たと言っている。

 

「古代マケドニア軍というのは長い槍を持った人が縦16人、横16人の合計256人で一隊を構成していて、先頭から四列目までが前方に槍を向け、更に密集隊形になると互いの間隔を縮めて5列目まで槍を倒す…なんてものを絵にするとどんな感じかと思い、この間から描いてみているんですが、実際5百人、千人と描いていくうちにだんだん手がしびれてきて槍もどれが誰のだかこんがらがってきちゃうというのが計算外でとても困りました。(同上)」
 

この連載三回目の柱に書かれたテキストが何故僕の手元にあるのかについては、少し込み入った事情があるからこの場ではその話はしない。

 

ともかく、読んで分かる通りに、『ヒストリエ』の連載の2回目の時点で、アフタヌーンに掲載された原稿は下書きの部分があったらしい。

 

あの槍衾を描くのは本当に大変らしくて、その作業を続けていくうちに手にしびれが出て作業が捗らず、下書きの部分があったらしいし、岩明先生の言いぶりから、アシスタントは用いずに全部一人で描いたらしいと分かる。

 

今の岩明先生の作画速度が遅いのは、長年の体の酷使も理由になっているのだと思う。

 

連載の2回目から手が痺れる程に兵隊を描いて、結果下書きが残ることになって、それだというのに未だに漫画家として作画を続けていて、槍衾は以後も出てくるのにそれを岩明先生は一人でやってのけたというのが実態で、そりゃ、そんな無茶してたら体にガタが出るのはそうだよなという話でしかない。

 

(9巻pp.182-183)

 

…アテネ軍の穂先は揃っておらず、職業軍人のマケドニア軍の穂先は完全に揃っていて、練度の違いが表現されてたんだな…この場面。

 

こういう風に沢山の兵士を岩明先生は描いてきていて、これを一人で描いているのだから、心身に強いられる負担も大きかったのだろうと僕は思う所がある。

 

12巻収録分でフィリッポスは劇場に立っていて、そこで"事"が起きるのだから、大量のモブを書かなければいけないという事情があって、その辺りも12巻が遅れている理由にはなると思う。

 

加えて、軽々しく他の人に描かせるなどという話を僕はしてきていて、けれども、良く考えればあんな作画ができる人なんてまずもって居ないのだから、『ヒストリエ』は未完で断筆か、伏線放棄で打ち切りかのどちらかしかもうないのだろうなと思う。

 

岩明先生以外の誰があのファランクスを描いて、ペルシア軍との決戦を描き上げるのかという話で、ペルシア軍との決戦となると、ペルシア軍の壮大な軍様を描いて、それに対するマケドニア軍を描いたのちに、両者のぶつかり合いの場面を描かなければならない。

 

誰がそれを描けるのかという話で、岩明先生以外出来ないだろうし、岩明先生はもう色々あれなのだから、もうどうしようもないという結論以外出てこないと思う。

 

『ヒストリエ』に関しては、続きのストーリーはそれこそ原作を読めばいい話にはなるとはいえ、原作の方だとヘファイスティオンは大王のもう一つの人格ではない以上、その辺りの補完は原作を読むだけでは出来なくて、そう言った『ヒストリエ』特有の描写についてはもう、諦める他ないのだろうと思っている。

 

追記以上。

 

とりあえず、12巻収録分のコメントについては以上になる。

 

本来的にここから、『ヒストリエ』に言及のある利き腕で統一された軍隊が強くないという話が続いていたのだけれど、完成して全体を読み直したとき、同じ記事で続けて書く内容でもないなこれ…と思って、記事を分けることにした。

 

この記事内容だと本当に引用しただけで、僕の努力の部分が少ないからそのような話を脳内予定表では用意していて、けれども、話の繋がりは強くないし、文章の量的に分割した方が良いと思ったので、とりあえず、岩明先生の近況の話だけで記事を上げることにする。

 

まぁ残りの部分は体力的な問題でその月に漫画の記事が上げられなかった時の緊急回避用に取っておきましょうね。

 

そんな感じです。

 

では。

 

・追記

2024年8月号のアフタヌーンに岩明先生の以下のようなコメントが掲載された。

 

(https://x.com/kajime_yaki/status/1805366247087030326/photo/1)

 

この言及について僕は多くの事は言わない。

 

おそらくはこれを読んでいる人と思っていることは大体同じで、僕が皆まで言うことも無いだろうと思う。

 

ただ、一人の読者として、覚悟を決める必要があるのだろうとは思う部分はある。

 

何せ、岩明先生の最後の謝辞が「ありがとうございます」ではなくて、「ありがとうございました」で、岩明先生の方も言葉にしないだけで想像する未来がある様子がある。

 

まぁ他に言い方がなかっただけかもしれないけれども…。

 

僕は腕の話も眼の話も何年も前から知っていて、ただこういう話は罹患したという話は語られても、治ったという話は語られないので、岩明先生の現状を見る限り、絶対に良くなってないとは分かっていたとはいえ、人さまの傷病について適当なことは言えないのでその話はあまり触れなかった。

 

僕としては先生が今後抱く苦痛や苛みが軽いもので、せめて少しでも健やかな日々が続いてくれるように願うばかりで、もう無理をしないで欲しいと思うし、むしろ、良くも今まであれ程まで面白い漫画を描いてくれたという感謝しか僕にはない。

 

後遺症として手に麻痺が残る程に兵隊と槍衾を描いてきて、もうロクに手は動かないし、視界も歪んで、気力も体力も尽き果てているというのに、未だ続きを描き続けようとしている人物に、一体何を求めることがあるのだろうかと僕は思う。

 

原作にまわるなんて、編集者も作者も思いつかないわけがないのだから。

 

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