秘密の呪文を唱えたら | 胙豆

胙豆

傲慢さに屠られ、その肉を空虚に捧げられる。

日記を更新する。

 

今回も前回同様仏教についてだから、記事テーマの仏教で書いていくことにする。

 

…どうでも良いのだけれど、前回の記事、普段に比べてアクセス数が見るからに低かった。

 

まぁ誰も仏教になんて興味ないし、そもそも仏教というかインドの文化とかの話なのだから、色々仕方がないと思う。

 

なんというか、アクセス数を求めるなら漫画の解説だけを書いていけばいい話であって、漫画の記事はよっぽどニッチな漫画でない限りどの記事もそれなりにアクセスはあるのだから、そういうテーマを選べばいいというのに選んでないというのは、多くの人に読んでもらおうと望んでいないからになる。

 

そこで金が入るというのなら多くの人に読んでもらう工夫はするけれど、何千何万アクセスあろうとも、アメブロでやる限り儲けは出ないし、そのようにアクセスが集中することで得られるであろう射幸心はあのサイトで得たことがあるので、割かし今の僕にとってはどうでも良い。

 

あのサイトでは当時の仕様として他のサイトの10倍程度のアクセス数が表示されたとはいえ、それを加味しても多くのアクセスがあったけれども、多くのアクセスがあったところで僕は何も得なかったのだから、今後そのようなものを求めていくということはないと思う。

 

そもそもアクセス数だけのことを考えるなら、あのサイトで書き続ければよかったのにそうしていないというのはそういうことです。

 

アクセス数で思い出したのだけれど、以前僕は古代中国の晋という国の文公という人物とかについての記事(参考)を書いていて、その記事に未だにある程度のアクセスがある日が結構あるのだけれど、あれは誰がどんな目的で読んでるんですかね…?

 

めぼしい検索ワードも検出されていないから、どういう経緯であの記事が読まれているのかが良く分からない。

 

多分、このサイトに何らかの理由で訪れて、記事テーマの中で「歴史の話っぽいもの」というのが気になってクリックして、けれども、内容がニッチ過ぎて冒頭にあるあの記事だけを読んで終わりにするということが起きているのだろうと勝手に推測している。

 

そんなことを書いたけれども、今回は仏教の話になる。

 

というか、前回の記事で書き忘れたことがあったから、その補填というかなんというか。

 

前回の記事(参考)で、『仏説観普賢菩薩行法経』の話をしたけれども、あの経典、多分書いたのは中国人なんだよな。

 

僕は大乗経典をいくらか読んだことがあるけれども、これ…書いたの中国人なんだろうな…というそれがいくらか存在している。

 

僕は仏教経典はそんなに読めていないのだけれど、古代中国の本は人よりは多く読んでいて、それが故に中国人特有の言い回しとか、発想とか、レトリックとかいうものを理解していて、それが故にその文章を書いたのが何人かが分かったり分からなかったりしている。

 

当然、インド人の書いたものも平均的な日本人よりは遥かに読んでいるわけであって、インド人の語り口もある程度は知っている。

 

そもそも、インド人が書いたものを読んだことがある日本人なんて100人いたら1人居るか居ないかのレベルなのだから、一冊読んだことがある時点で平均よりはそりゃ上なのだけれども、まぁ古代インド人が書いたテキストを何十編を読んだことがあるのは実際そうなので、ある程度ならインド人的な発想というものを理解することが出来る。

 

結構中国人が書いた仏教経典というものも多くて、『玉耶経』や『四十二章経』などは中国人が書いたものだと特に悩む必要もなくそうだろうと判断している。

 

『玉耶経』とか、儒教みたいに親を大切にしなさいと言及されているし、『四十二章経』などは、道教のように道を探究する言及がなされている。

 

どちらも中国に特有な発想であって、そのようなものは素直に中国人が書いたものだと判断していいと思う。

 

一方で、『仏説観普賢菩薩行法経』は結構頑張って中国人っぽさを抑えて書かれているのだけれど、一か所、気になるところがある。

 

それは何かというと、尺という単位についての言及になる。

 

「象の頭の上に、三人の変化した人がいる。独りは金色の輪を持ち、一人は竜王の脳中から出て望みをすべてかなえるという珠玉を持ち、一人は金剛杵を持つ。

金剛杵を挙げて象に突きつけると、象はすぐに良く歩く。脚は大地を踏まず、虚空を踏んで歩き回る。

大地から浮かび上がること七尺、しかも大地には印文のある足跡を残す。(参考)」

 

ここに七尺という単位が出てきている。

 

インドにおける数字の単位については僕はあまり詳しくないのだけれど、インドには特有の単位が存在していて、時間を示す単位だと例えば劫(カルパ)や海量などがあって、長さを表す単位だと由旬などがある。

 

海量はジャイナ教の聖典である『カルパ・スートラ』に出てくるけれども、特に注釈もなかったので、どのくらいの期間のことを指すのかは判然としない。

 

最後の由旬は『仏説観普賢菩薩行法経』にも言及がある。

 

「象の身の長さ四百五十由旬(3150Km)、高さ四百由旬(2800Km)。

六つの牙の端に於いて、六つの沐浴の池がある。(同上)」

 

そこら辺は別にインドのテキストにも出てくる単位だから良いのだけれど、尺という単位が良く分からない。

 

さっきから引用しているサイトにも七尺がどれ程の長さなのかについては書かれていないし、お手元の昭和新纂国訳大蔵経(憎悪)にも言及がないから、どのような単位なのかは分からない。

 

古代中国には尺という単位は存在していて、例えば『墨子』に言及がある。

 

「 三十歩ごとに坐侯楼を置く。楼は物見やぐらのようなもので、姫がきの外に出ること四尺、幅三尺、長さ四尺とし、板で三面を囲い、綿密に壁を塗り、夏の炎天にはその上に覆いを掛けておく。(新田大作訳『全釈漢文大系 19 墨子 下』「備城門 五十二」集英社 1977年 p.449)」

 

『墨子』には籠城戦における兵器などの事細かな寸法についての記述があったことを覚えていたから適当に『墨子』から引用したけれど、中国には尺という単位があるということは確かな一方で、インドにおいて尺と訳されるような長さの単位について僕は覚えがない。

 

当然、インドと中国では長さの単位が違うはずで、インドに尺と似たような発音の長さについての単位があったところで、それは中国の尺とは違う長さのはずなのだから、その二つは混同されずに違う単位として扱われるはずになる。

 

なのにも関わらず、『仏説観普賢菩薩行法経』には尺という単位が用いられているところを見ると、考えられる可能性は、サンスクリット語から翻訳するに際して何らかの混乱があったか、もしくは書いたのは中国人だから、身近にある中国の単位をミスで混入させてしまったかのどちらかになる。

 

結局、この『仏説観普賢菩薩行法経』の成立は『法華経』より後だからかなり新しいテキストだし、書いたのは中国人なのではないかとおぼろげに考えている。

 

それらは日蓮宗のテキストだけれども、浄土真宗の『観無量寿経』や『阿弥陀経』なども中国人が書いたのではないかと疑っている。

 

まぁ『観無量寿経』は普通に中国人が書いたものというか、儒教的な教えが混入しているから普通に中国人が書いたのだろうと思うけれども、『阿弥陀経』には達磨仏(達摩仏)という人物が登場していて、そこから僕は書いたのは中国人なのではないかと考えている。

 

達磨という人物は中国に禅の仏教を伝達したとされる人物で、選挙で当選した時とかに墨で目を入れる達磨はこの人がモデルのものになる。

 

その達磨さんは中国に禅をもたらした人だから、その存在が中国で重要なのは分かるのだけれど、その達磨という人物について『阿弥陀経』では言及があって、更にこの達磨仏というのはこの『阿弥陀経』でしか出てこないらしい。

 

数年前に、だからこの達磨仏って誰なんだよと思って、大学の図書館に行って仏教辞典で達磨仏について調べたことがあるのだけれど、出典の方には『阿弥陀経』としか確か書かれていなかった。

 

多くの仏典が成立した後に達磨という人物は現れたはずなのに、その達磨という人物が出てくる経典があるということは、達磨という人物が有名になった後で書かれたもので、達磨は中国で有名なのだから、書いたのは中国人なのではないだろうかという話になる。

 

結局、このような事柄は信仰の問題が存在していて、色々、自分が与する集団に対する判断が甘いのはどの業界でも同じであって、この経典を中国人が書いたわけがない、これは本当に仏陀の教えだとか、中国人が書いたところでその有難さは失われないとか、そういう信じる気持ちを前提にした色々な議論を僕はする気がなくて、ただ、中国人が書いたんだろうなとおぼろげに考えている。

 

ちなみに浄土真宗の場合は浄土三部経として、『阿弥陀経』と『観無量寿経』と『大無量寿経』が有名なのだけれど、最後の『大無量寿経』は書いたのはインド人だろうと個人的に考えている。

 

特に中国人っぽさはなかったからね。(数年前に読んだ記憶)

 

さて。

 

一応、この記事は前回の記事の続きではあるのだけれど、前回の記事で『ユダの福音書』の話をした。

 

『ユダの福音書』には以下の記述が存在している。

 

「 ユダは言った。「先生、やはり私の種子は支配者たちの掌中にあるということなのですか」

 イエスは答えて言った。「来なさい。私は[――二行欠落――]、だが王国と世代の全ての人々を見れば、お前は深く悲しむことになるだろう」。(ロドルフ・カッセル他編『原典 ユダの福音書』尾澤和幸日本語編 日経ナショナルジオグラフィック社 2006年 p.48)」」

 

なぁにを言っているのか分からないけれど、注釈と解題を読む限り、この『ユダの福音書』を書いたキリスト教のグノーシス主義に属する宗派では、現世は劣った世界で、天上にはこの劣った世界を作った神より優れた神が存在していて、一部の人間にはその更に優れた神の世界に行く権利があって、その資格を"種子"と呼んでいるらしい。

 

だからこの場面では、ユダは「私は劣った神に魂の神聖な部位、すなわち種子が握られていのでしょうか」とイエスに問うていて、イエスはそうではなくお前は優れた神の元へ行く資格があると返すような問答であるらしい。

 

…まぁ僕はグノーシス主義について詳しくなくて、『ユダの福音書』は断片的なテキストだから、それら全ては解題や注釈を信じればという話なのだけれども。

 

とにかく、僕はここで救われるための何か大切な要素のことを"種子"と呼んでいると言う点で気になるところがあった。

 

仏教にも救われる資格、仏になる資格を種子と呼ぶような発想が大乗仏教にも存在している。

 

大乗仏教の如来蔵経系のテキストにそのような言及があって、『如来蔵経』や『不増不減経』、『勝鬘経』に仏になるための素質としての種子についての言及がある。

 

「どうか私を憐れみ、お守り下さい

[私の心にある]仏法の種子を生長させて下さい

この生涯、そして未来の生涯にわたって

どうかブッダよ、常に私を(弟子として)お認めになって下さい(『勝鬘経』)https://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT2018/JT0353.pdf」

 

僕は『大乗仏典10 如来蔵系経典』で仏教における種子の議論を知ったのだけれど、何処にこの本があるか分からないし、引用するには種子についての言及を一々探さなければいけないから、ネット上に翻訳があってよかった。(小学生並みの感想)

 

大乗仏教などの比較的新しい宗派では、将来的に仏になって救われるための要素というか条件のようなものを種子と表現するような場合がある。

 

一方で『ユダの福音書』にもそのようにより高い位相に昇るために必要な要素のことを種子と呼んでいて、僕はこの二つを同じ情報なのではないかと想定している。

 

キリスト教も大乗仏教も同じように上位の存在が人々を救うような宗教で、その救われる要素がそれぞれ種子とされているのだから、それは同じ情報なのではないかという話。

 

どちらが先で、どちらが後かは良く分からない。

 

ユダの福音書の方は紀元後180年とかそういう時代に成立したという話だけれども、仏典の方はと言うとその成立年代はほぼ全てが分からない。

 

原始仏典だろうが、大乗仏典だろうが、成立年代は基本的に分からなくて、それが故に『ユダの福音書』と如来蔵系の経典とではどちらが早くて、どちらがその情報を受け継いだのかは判別がつかない。

 

…古代中国の場合は結構、政治情勢に関心があるのかその時の君主とかの言及があって、大体の成立時期が分かったりするのだけれど、インドはそういうのに関心がないのか、良く分からないことが非常に多い。

 

例えば、『大載礼記』には以下のような言及がある。

 

「始皇帝は万世に及んで王たらんと天下に宣し自負していたが、(中略)天下を有つこと、わずか十余年にして秦は滅び大いに敗れるに至る。(栗原圭介訳『新釈漢文大系 113 大載礼記』 「礼察」 明治書院 1993年 p.72)」

 

一応、『大戴礼記』は漢代に編纂されたということになっているから、この「礼察」は始皇帝の時代である秦の時代が終わった後の漢代に書かれたということが分かる。

 

…まぁ『礼記』の方にはなんだか仏教みたいなことを言っているテキストも混じっていて、仏教は後漢の時代に中国に入ってきたようなものだから、いくらかは後世に書かれたテキストが混入していることもあるのだろうけれども、中国の場合は大体の年代は推測できることが多い。

 

けれども、インドの場合はそういう材料が皆無で、原始仏典だろうがウパニシャッドだろうが、いつ書かれたのかは判然としない。

 

特に大乗仏教の場合、学術的には仏陀の死後数百年後に創作された二次創作作品だとは分かっているのだけれど、設定としては仏陀の言葉ということになっているから、仏陀の生きた時代に書かれたということになっている場合もあって、そのテキストがいつ書かれたのかはやはり分からない。

 

…さっき、引用するために『勝鬘経』で検索したら、成立が前600年~前401年頃と言及されているサイトが検出されたんだよなぁ。(参考)

 

じゃあそれより成立の古い原始仏典はいつ書かれたんだろうという話になるけれども、信仰心というのはありとあらゆるものを平然と捻じ曲げるから色々とタチが悪い。

 

ともかく、『ユダの福音書』のほうは紀元後180年頃にまで遡れるらしいのだけれど、大乗仏典の成立時期は判然としないから、どちらが先かは分からない。

 

けれども個人的に、大乗仏典の方が後なのではないかと思う。

 

如来蔵系の経典だと、そのような仏となるための種は誰しもが持っていると繰り返し説かれていて、そうとすると先に選ばれたものしか持っていないという議論があったのではないかと思う。

 

一方でグノーシス主義の場合は、一部の選ばれた人間しか種子を持っていないのだから、そのように一部しか持っていないという議論が先にあって、いやいや、誰しもが持っているという議論が後に生じたという構造の方が分かりやすいのではないかと思う。

 

一応、原始仏典の『サーマンニャパラ・スッタ』には仏教修行をすれば誰しもが超能力を使えるようになるという話は載っているのだけれど、誰しもが救われるという議論ではないから、そこの辺りには差異がある。

 

結局、インドのテキストは中国と比べ物にならないくらいに混沌としていて、時系列も判然としないし、そもそも翻訳がないこともあって良く分からないことが多い。

 

・追記

読み返していて思ったのだけれど、ここで言及している『勝鬘経』には十戒についての言及がある。

 

一方でキリスト教にも十戒は存在していて、モーセの十戒は旧約聖書の「創世記」に言及がある。

 

『勝鬘経』に言及される十戒とモーセの十戒とでは内容が違うのだけれど、宗教的な戒めが同じように十個あって、旧約聖書の言及でおそらくモーセの十戒の方が成立が古いとすると、『勝鬘経』がキリスト教の情報を受容したという推論の方がより妥当なのかなと思う。

 

とはいえ、今のところ材料が足らなくて良く分からないというのができる最大限の言及になる。

 

追記以上。

 

そういう風に分からないことが多いけれども、ただ一つだけ、もしかしたらの可能性について言及しておきたいと思う。

 

アーメンというキリスト教の祈りの言葉は、インドにおけるオームと同じ語彙なのではないかという推論がある。

 

両者ともに意味は良く分からないけれど唱えられる呪文で、大体、使われる場所は似たような場面になる。

 

このオームはインドの宗教でかなりよく使われる語彙であって、ウパニシャッドでも頻出の語彙で、良くこのオームの音の宗教的な意義についてウパニシャッドでは語られている。(『マーンドゥーキヤ・ウパニシャッド』など)

 

紀元前数百年前に成立したとされる『チャーンドーギヤ・ウパニシャッド』にもオームという語の使用は認められていて、少なくともインドの方がこの語彙の使用では先行している様子がある。

 

「 人は、この詠唱(ウドギータ)をオーム(OM)として瞑想すべきである(upāsīta)。なぜなら、オームと言って、人はウドギータを歌うからである。(湯田豊訳『ウパニシャッド―解説と翻訳』「チャーンドーギヤ・ウパニシャッド」大東出版社 2000年 p.179)」

 

これは『チャーンドーギヤ・ウパニシャッド』の冒頭部分で、このウパニシャッドは紀元前数百年前に書かれたそうだけれど、オームという呪文の用例がある。

 

ちなみに、ウドギータという言葉が出てきているけれども、注釈に特に説明はないので、その意味は謎です。(激怒)

 

まぁ儀式で歌う何らかの歌の事だろうと勝手に脳内補完しているけれども。

 

このように、オームはアーメンよりもどうやら先行しているらしいということがあって、ユダヤ教にはどうやらインドの宗教の影響が存在しているらしいから、そこからアーメンという呪文は元はオームの事なのではないかと考えている。

 

とはいえ、僕がこの両者を同じ語彙なのではないかと言っているのはただ単に、音が似ていることと、使用場面が似ていることだけによっていて、ただの推論でしかありはしない。

 

キリスト教が出てくるくらいのユダヤ教の宗派の中には、苦行をして人々から離れて住むような集団が居たと僕は以前何処かで読んだことがあるけれども、そのような習慣はインドで顕著に見られるものであって、そのようなインドの文化が伝播した結果、ユダヤ教徒は苦行をしていたのではないかと僕は想定していて、その時にオームという語彙も訪れて、後にアーメンという定型句になったのではないかと考えている。

 

加えて、キリスト教には聖餅という、パン種を入れないで焼いたパンを食べる風習があるのだけれど、インドにもそのように発酵させない団子のようなものであるピンダというものが存在していて、ピンダは『ヤージュニャヴァルキア法典』や『バガヴァット・ギーター』に言及がある。

 

更にはピンダ自体にフォーカスを当てた『ピンダ・ウパニシャッド』というものも存在していて、キリスト教における聖餅もインド由来なのではないかと僕は思う。

 

さもなければ、今の所成立の古いウパニシャッドや、原始仏典ではピンダについての記述を見つけられていなくて、紀元前後に書かれたと言われている『バガヴァット・ギーター』で見られるところを考えると、西方からそういう文化が訪れたという可能性もある。

 

まぁ『リグ・ヴェーダ』とかに書いてある可能性があって、ピンダと聖餅は一切関係ない可能性もあるけれど。

 

キリスト教だと永遠の命が死後に得られるという話があるけれども、永遠の命というのもウパニシャッドに存在するような議論で、ウパニシャッドでは修行をしたり戒律を守ったり呪文を唱えたりしたりして、永遠の存在であるブラフマーの元に行こうとしたりしている。

 

そして、救いについては原始仏典に見られないだけで大乗仏典に見られるから、それはキリスト教がインドに訪れた結果なのではないかと前回言及したけれども、インドの『アタルヴァ・シカー・ウパニシャッド』にも救いについての言及がある。

 

「次に天神とは「保持者」なり、一切の恐怖より度脱せしむ。救済のゆえに「救者」と云ふ。(高楠順次郎他訳『世界聖典全集 後輯Ⅳ ウパニシヤツト 2』「アタルワ゛・シカー・ウパニシヤツト」世界聖典全集刊行會 1929年 p.101 旧字体は新字体へ)」

 

このウパニシャッドがいつ書かれたのかは分からないけれども、読んだ感触として成立は比較的新しそうな印象がある。

 

まぁキリスト教が訪れたところで、それが大乗仏教だけに影響を与えるのは変な話で、インドの宗教は仏教以外でもキリスト教の影響を受けている様子がある。

 

『バガヴァット・ギーター』にも平等についての議論があるし、そこら辺は情報が行き来した結果としてそうなっているのだろうと思う。

 

そしてそれらのほぼ全ては古代中国に存在していないから、あの辺りは情報の行き来が多かったのだろうと思う。

 

けれども、そうは思ったところで、その事を確かにしようという気持ちは全然ないので、それらの事が確かになることは今後ないと思う。

 

…前回の最後にも書いたけれど、そういうことを目的としてやってるわけじゃないんだよなぁ。

 

あくまで進化論的な目的でやっているだけですし。

 

という感じの日記。

 

…この内容で誰かに読んでもらおうというのが烏滸がましいから、アクセス数なんて気にしてらんないんだよなぁ。

 

仕方ないね。

 

では。

 

・追記

この記事で『阿弥陀経』について言及して、書いたのは中国人ではないかとしたけれど、『阿弥陀経』にはインドの言語であるサンスクリット語で書かれた写本が存在している。(参考)

 

このことについてなのだけれど、サンスクリット語の写本があるだけではインド人が書いたということにはならない。

 

何故と言うと、僕らとて普通に勉強すれば英語で文章を書けるのであって、サンスクリット語を勉強すれば中国人にもそのようなものは書けるからになる。

 

実際、『般若心経』もサンスクリット語の写本が残っているのだけれど、どうやら文法が若干怪しいらしくて、どうやら書いたのはインド人ではないらしいという学説も存在している。

 

『阿弥陀経』も『般若心経』もサンスクリット語の写本が残っているのは日本だけで、日本人がサンスクリット語を勉強して有難い経典をお釈迦様の国の言葉で再現しただけという可能性もある。

 

インドで写本が見つかったとかなら話は別なのだけれども、日本に『阿弥陀経』のサンスクリット語の写本があろうともそれだけでは何とも言えないし、加えて、このようなものは手で書き写される類のものだから、誤字脱字や誤った挿入が生じるということがある。

 

『阿弥陀経』の全般はインド人が書いたものだけれども、それを書き写すことを続けることで達磨仏という情報が混入してしまって、現行のテキストではそのような記述が存在しているという可能性もある。

 

まぁ実際のところは、学術的な研究以外ではどうしようもない部分なのだけれど、このようなものは信仰心を持った方が色々やる場合もあって、そのような場合は信仰心が求める結果が結論として導かれるということがある。

 

…『般若心経』を書いたのはインド人ではないという学説に対する反論の論文を読んだことがあるのだけれど、何を言ってるか分からなかったんだよなぁ。

 

彼にとっては『般若心経』は釈尊(仏陀)の教えであって、それを信じて疑わなかったから、それが覆るような発想はどうあっても正しくなかったという話らしい。

 

まぁともかく、『阿弥陀経』については中国人が書いた可能性がある程度の話ですね。