書いていくことにする。
『ヒストリエ』の古参の読者にとっては、マケドニア将棋についてなんてものは前々から知っている知識にはなるところで、けれども、『ヒストリエ』が2027年にアニメ化するに際して初めて触れるような人にとっては、作中のあの将棋が実際に作られて流通に乗ったという情報は知らないだろう話になる。
この記事ではそういう場合のために、マケドニア将棋の話を補填することを第一に目的として据えて、その後に、僕が知っているマケドニア将棋に関する本来的に予定されていただろう展開についてを色々書いていくという方向性で行きたいと思う。
v1.7.1
— こしあん・カルルセヴニ@謙虚な風来人 (@Seiyo23) June 16, 2026
棋譜再生および棋譜読込ができるようになり、盤面図も生成できるようになりました。
もうこれ以上付ける機能ないでしょう。
あるとすれば可愛い女の子と衣装のガチャ実装ぐらいですよ。https://t.co/s41QghiSB5 #マケドニア将棋 pic.twitter.com/X6LVMUIVa2
これが最終バージョンかどうかは分からないけれども、言いぶり的にはほぼ完成なようで、マケドニア将棋をやってみたいという方は今引用したポストのURLをクリックしてみると良いかもしれない。
スマホだとどういう風に表示されるのかとかは知らんのだけれども。
僕は7巻発売当時、当時は若く、漫画家に対する心慮とか脳内になかったから、マケドニア将棋がついてくるという話を聞いた時に、いや、そんなの作ってる暇あったらその時間で続き描けよと素で思っていた。
7巻が発売されるかされないかの当時ですら休載が目立っていて、そんな将棋のルールとか考えている場合か?ってレベルで『ヒストリエ』の連載は滞っていたし、7巻収録分の、オリュンピアスと姦通した慮外者の首が何ページもかけて蛇に飲み込まれる場面について、こんな表現技法選んで悠長に描いている場合ではないだろと、リアルタイムであの場面をアフタヌーンを読みながら思っていた記憶がある。
当時は『ヒストリエ』の原作が何であるかとかは知らなかったし、アレクの東征もディアドコイ戦争の推移も、『ヒストリエ』がゴールに対してどれ程に進めていないかも一切知らなかったというのに、そのような心象を抱くほどに『ヒストリエ』は休載を挟んでいた。
それは2010年とか2011年とかの話なんだけれども、実際、そういう風に悠長に…というよりも、丹念に魂を込めて細かい描写をするということを選んだ『ヒストリエ』は、岩明先生の老いと傷病によって、アフタヌーンでの連載が困難になり、連載は終了していたりする。(参考)
一応、岩明先生は今も続きは描いてはいるのだけれども、11巻が出版されてから12巻が出るまでに、5年近く歳月が必要とされていて、その原因は岩明先生の老いと目と手の不調であって、12巻収録分の単行本作業の時点でデジタルは使っているのだから、『ヒストリエ』の制作についての状況は悪化する方向性しか存在していないし、もう色々と無理なのだろうと僕は思っている。
当時僕が思った懸念は、言葉自体は酷いものだったけれども、どうやら正解ではあったらしい。
7巻の内容をやっていた2011年の頃に将来を見越してなんらか策を講じていれば、もしかしたらペルシア滅亡くらいまでは描けたのかなとおぼろげに思う一方で、今となっては全てのことは過ぎた話でどうにもならないのだから、そうである以上、岩明先生がやりたいようにやる以外ないだろうし、岩明先生がどんな風に『ヒストリエ』を描いてきたかを知っている人ならば、どうしようもなかったという結論を出す場合が殆どだろうと思う。
もっとも、なんらか早めに何か対策をしていたならば『ヒストリエ』はもう少し進めた可能性はあるにせよ、『ヒストリエ』の本番はペルシア滅亡後のインド遠征から帰ってきた後のディアドコイ戦争なのだから、そもそもの『ヒストリエ』という作品の企画段階での見積もり自体が間違っていて、岩明先生が体を壊さなくても完結はしなかったということは結局変わらないのだけれども。
槍衾描いて兵隊をいっぱい描いて無理が出て、右手が上手く動かなくなるという事態が生じていなかったとしても、そもそもゴールが遠すぎて、エウメネスとアンティゴノス(フィリッポス)との戦いまでには至りようがなかったと僕は思う。
さて。
ここまでで『ヒストリエ』に登場するマケドニア将棋というものが実際に存在するという話が終わった。
以下では『ヒストリエ』の原作の描写を踏まえて、あの将棋はどのような効果を狙って描写されたのかの推論の話に移っていく。
そのためには『ヒストリエ』の今後の展開のネタバレになるような話も含まれるので、そういうのは要らないという人はここまで読んだらブラウザバックしてください。
…まぁ、『ヒストリエ』の物語はあの将棋の話が回収される所までは絶対に進まないのだから、結局は答え合わせは出来るような話ではなくて、そうである以上、もしかしたらそういうつもりだったのかなぁという感じの話を色々していく。
現状『ヒストリエ』に登場するマケドニア将棋は、正直言って何のために存在しているのか、何のためにアレに紙幅を割いているのかイマイチ分からないという読者が殆どだと思う。
一応、エウリュディケがオリュンピアスに死を迫られた時に将棋が得意という理由で先の手を読むという描写があるから、全く将棋の話が回収されていないということはない。
けれども、あの場面の為だけに将棋があるということはないだろうと僕は考えている。
その中で、『ヒストリエ』の原作である『英雄伝』(参考)の描写について、この場面で将棋が出てくるのではないかと思うようなそれがあるので、その話をしたいと思う。
『英雄伝』でエウメネスはアレクの死後にマケドニア諸将と帝国の後継者(ディアドコイ)と戦争をしている。
その中で最も有力であった将軍がアンティゴノスという人物で、このアンティゴノスは『ヒストリエ』でもフィリッポスが偽名としてその名前を使っている。
(1巻p.80)
そして、『ヒストリエ』12巻でフィリッポスが生き残った以上、それまでのアレクサンドロスの東征には一切出てこないのに、大王が死んだ途端急に出てきて、一大勢力を築いてマケドニアの将軍の中で最も権勢を誇ることになるアンティゴノスは、『ヒストリエ』ではあのフィリッポスがそうなる予定だったのだろうと僕は考えている。
まぁ史実でもフィリッポスとアンティゴノスは同い年だし、同じように隻眼だし、アンティゴノスの父親の名はフィリッポスなのであって、加えて『英雄伝』ではメナンドロスはアンティゴノスの部下として登場するのだから、普通にそういう想定として『ヒストリエ』は描かれていたと思う。
そのアンティゴノスとエウメネスは陣営を違えていて、そのために彼らは戦争をしていて、エウメネスはアンティゴノスとの戦いに負けて敗走している。
そして、その敗走の後にノラという要塞に立て籠もっている。
それに際して、エウメネスは兵士を順番に自分のところに招いて歓談を行っている。
その場面で将棋が出てくるのではないかと僕は思う。
「一一 それからアンティゴノスはノーラの周りに障壁を築き、守備隊を残して立ち去った。エウメネースは、穀物と水が豊富な上に塩はあったが他に食べるものがなく、副食物に欠く要塞を手きびしく包囲されながら、手許にある物を使って一緒にゐる人々の食事を賑はし、すべてのものを順番に自分の食卓に招いて、愛嬌と好意に満ちた会話を催ほして行った。容貌も感じが好くて、長年軍隊で窶れた勇士に似ず繊細で若々しく、体全体も驚くべき均衡にある手足に対して絵や彫刻にでもあるように厳密に釣り合ひ、話振も雄弁といふわけでないが、人を牽きつけ信頼を起こさせたことは、その手紙からも推察することができる。(プルタルコス 『プルターク英雄伝 10』 河野与一訳 岩波書店 1955年 p.55 注釈は省略、旧字の漢字は新字へ)」
ここにエウメネスが手元にある物を使って一緒にいる人々との食事を賑わしたとある。
流石に食事中に将棋をするのはあれだけれども、一人一人兵士を自分のところに招いて歓談していた訳であって、その時に兵士の士気を保つために将棋を配ったし、歓談の時に将棋を一勝負させるつもりで将棋を登場させたのではないかと僕は考えている。
原作の方では将棋の話は一切なくて、けれども、原作があるのだから原作の話の流れの何処かで将棋の話を消化するつもりだったのだろうという推論がある。
その中で一番効果が出そうなのはノラの要塞に立て籠もっている時なのではないかと僕は思う。
実際、戦争の時にそういった遊具が兵士の士気を保つことに役立つことはあるようで、湾岸戦争の時にはアメリカ兵の半分がゲームボーイをプレイしていたという話がある。(参考)
半数がゲームボーイをやっていたというのは流石に信じていないけれども、実際に爆撃を受けたゲームボーイが現存しているので、湾岸戦争の時にゲームボーイを持っていたアメリカ兵が居たのは確かなのではないかと思う。
湾岸戦争は現代戦で、色々な所は古代世界の戦争と違うけれども、籠城中の兵士が退屈でしかも命の危険で神経をすり減らしていたと考えて良いと思う。
そんな中で退屈しのぎと緊張緩和のための遊具は役立つはずで、マケドニア将棋はこの時に出てきて、エウメネスが兵士を招いて食事をしたに際して、食べ終わったときに一勝負をエウメネスから提案するなどという場面を想定していたのではないかと僕は思う。
『英雄伝』では手元にある何かを使って兵士との歓談を賑わしたと言及されているわけだけれど、それが何なのかは分からない。
一方で、それが将棋であった場合、『ヒストリエ』の描写と釣り合う部分がある。
エウメネスは同僚の将軍からは蛇蝎の如く嫌われていて、一方で下仕官のような下の地位の兵士には物凄く慕われていた人物であったと『英雄伝』では言及されている。
『ヒストリエ』のエウメネスもそのような人物の鱗片を見せていて、1巻で下賤な兵士と瞬く間に打ち解けている。
(1巻pp.183-185)
この辺りも原作の要素であって、『英雄伝』においてエウメネスは、ディアドコイ戦争で同僚から嫉妬と嫌悪から足を散々に引っ張られて、けれども、戦場で戦う兵士たちはエウメネスの強さを知っているからエウメネスを指揮官にしてくれと嘆願されるような人物として描かれていて、そういう将軍としてディアドコイ戦争を戦う姿を描くための布石として今引用した場面はあったのだろうなと僕は思う。
ちなみに、その兵士に好かれている話は現存する中で僕が把握している全てのエウメネスに関する史料の中でその話があるのは『英雄伝』だけだから、普通に『英雄伝』由来と考えて良いと思う。
そういう風に同僚から嫌われて兵士からは信頼されながら軍中で過ごしていた中でエウメネスは、病に倒れて指揮が出来ない状況になって、エウメネスが居なければ勝てないと知っている兵士たちは酷く動揺して、他の将軍たちは宴会は祭りは出来ても指揮は出来ないと考えていて、エウメネスが指揮を取らなければ前進しないと訴えて、病に倒れたエウメネスを指揮官に召喚している。
そして、エウメネスが倒れたと聞いたアンティゴノスが今しかないと思って軍を進めたけれども、相対した敵軍は整然とした陣形を保っていて、それを目の当たりにしたアンティゴノスはよく見遣ると陣中に籠が運ばれているのを見つけ大笑いして、エウメネスが病だというのに指揮官をやらされているのを知って、この陣を布いたのはあの籠だなと言って、エウメネスが指揮をしていると理解すると軍を引いている。
…。
それにしてもこれ書くために『英雄伝』の該当箇所を改めて読んだけれども、アンティゴノスの性格…まんま『ヒストリエ』のフィリッポスだよな…って。
病に倒れたというのに籠に乗って指揮を執るエウメネスを見て笑うフィリッポス王の姿はありありとイメージできるもの。
それはさておき、エウメネスはそういう風に兵士に強く信頼された将軍であって、その信頼の一端としてノラの要塞での歓待もあっただろうし、そういう風に兵士をよく歓待する際に将棋を使うことはあり得ない話ではないわけで、逆に『英雄伝』で将棋が出て来そうな場面が他にない。
だって、同僚からは毛嫌いされているから同僚と将棋なんて出来ないし、基本的に戦場で戦っているか、敗走しているか、足を引っ張ってくる同僚に振り回されているかしかないのが『英雄伝』のエウメネスであって、時間に余裕があって、将棋をする"いとま"があるのはノラの要塞に立て籠もっている時だけなので…。
ちなみに、ノラの要塞に立て籠もっている時に、アンティゴノスは和平交渉をしようとエウメネスに出てくるように言ったのだけれど、エウメネス側が自分以外にこの軍隊に指揮を出来るような人間がおらず、自分が捕らえられたら終わるから出れないと断っている。
それを聞いたアンティゴノスはエウメネスに目上の人に対する物言いをしろと言って、それに対してエウメネスは「私が剣の主人である限り、自分の目上のものは一人も認めない」と返している。
これがエウメネスとフィリッポスが姿を変えたアンティゴノスとのやり取りと考えると、滅茶苦茶映える場面なのであって、岩明先生はこの場面を描くつもりだっただろうと僕は考えている。
そのエウメネスの言葉を受けて、アンティゴノスは甥のプトレマイオスを人質に出している。
『ヒストリエ』ベースで考えるならば、彼はフィリッポスで、そうとするならば彼に甥は存在しないはずになる。
存在しない筈の甥をアンティゴノスは送り込んできたわけであって、ここで人質に出されたのがエウメネスが命を救った、エウリュディケの子であった場合、色々な情緒がそこにあって、そして『ヒストリエ』の物語を考えた時に、ここであの子が人質に出されたとしたならば、アンティゴノスがエウメネスの命を奪うつもりはないと考えているとエウメネスは、そして読者は理解できる。
ここでエウメネスを殺したら、何よりも大事な一人息子が殺されるのだから、アンティゴノスは絶対にエウメネスを謀殺できない。
そしてアンティゴノス側にそこまでする覚悟と意志があるなら、エウメネスはアンティゴノスとの会談に出向けるし、その場面で将棋を持って行ったならば、自分が命を救ったアンティゴノスの"甥"と、アンティゴノスのせいで死んだ将棋が得意であったエウリュディケの事があるのだから、その会談でエウメネスは交渉で優位に立つことが出来る。
アンティゴノスにした所で、エウメネスが将棋を持ってきて暗にエウリュディケの事を言って来たならば、『ヒストリエ』でエウメネスに最低だよあんたと言われてモロに効いていたという描写があった以上、彼は強く出ることはできないわけであって、この場面のために将棋は存在していたのではないかと僕は考えている。
(12巻p.50)
もっとも、『ヒストリエ』はこの場面どころか、アレクサンドロスのギリシア出発までにすら至ることが出来なさそうというのが現実なのだから、この辺りは僕がそういうつもりだったのかなぁと漠然に思うだけなのだけれども。
加えて、もう一つ将棋についてはもしかしたらそういう文脈だったのかなという話がある。
これは以前の記事で言及していて、別にその時と内容は変わらないのだけれども、将棋の話なのでこの記事でもその話はしたいと思う。
『ヒストリエ』ではエウメネスとアッタロスは将棋をしている。
それに際してアッタロスは譲位に関して難色を示している。
(7巻pp.127-129)
『ヒストリエ』だとアッタロスは家柄は良いけれど軍才はない使えないおっさんとして描かれている一方で、史実ではフィリッポスの暗殺の直後に不穏分子として粛清されている。
その事が言及されている『歴史叢書』の記述だと、外戚で気前が良く兵士からの人気もあったアッタロスは、フィリッポスの死後にアレクサンドロスのライバルになりかねないという懸念からアレクサンドロスの命を受けたパルメニオンに暗殺されている。
次に引用する文章のクレオパトラはエウリュディケの別名だし、アッタロスと兄弟という扱いになっているけれども、これも史料によって言及がマチマチで、『ヒストリエ』では二人の関係は姪と叔父で、それは『英雄伝』ではその続柄だからみたいです。
「フィリッポスが娶ったクレオパトラの兄弟であるアッタロスが、王位に挑戦する危険があったので、アレクサンドロスは彼を亡き者にすることを決意した。というのも、フィリッポスが死ぬ数日前に、クレオパトラはフィリッポスの子を出産していたのである。四 アッタロスはパルメニオンと共に先発部隊の将軍としてアジアへ派遣されていた。彼は気前のよさと気さくな付き合いによって兵士たちの心を完全につかみ、軍の中で絶大な人気を得ていた。それゆえ、この男が反アレクサンドロス派のギリシア人と共謀して王位を争うことのないようにと警戒したのは当然のことである。五 そこでアレクサンドロスは朋友の中からヘカタイオスを選び、十分な人数の部隊を付けてアジアに派遣した。その際彼は、できることならアッタロスを生け捕りにして帰ること、それがかなわぬ場合には、できるだけ速やかにかの男を殺害するようにと命令した。六 そこでヘカタイオスはアジアに渡り、 パルメニオンとアッタロスの部隊に合流して、託された任務を果たす機会をうかがった。
(中略)
ギリシアの情勢を詳しく述べたので、アジアの出来事へ話題を移すことにしよう。フィリッポスの死後アッタロスは、初めは反乱を起こそうと試み、アレクサンドロスに対決すべくアテネ人と相互の協力を取り決めた。しかし後に考えを改め、デモステネスから彼に送られた手紙を保持していたのでそれをアレクサンドロスに送り、誠意をこめた言葉をそえて、自分に対する誤った中傷を取り除こうと努めた。二 しかし、ヘカタイオスが王の命令に従ってアッタロスを暗殺したので、アジアにいるマケドニア軍が反乱へと決起することはなくなった。アッタロスが死ぬと、パルメニオンは誠心誠意アレクサンドロスに服従した。(ディオドロス・シクロス『歴史叢書』第一七巻「アレクサンドロス大王の歴史」訳および註(その一)」
彼の暗殺について唯一言及のある史料ではこういう話になっているけれども、『ヒストリエ』のアッタロスはどう考えてもアレクが王位に着く時のライバルになるような人物として描かれていない。
けれども、アッタロスは東征に参加せずに死んでいて、『アレクサンドロス大王伝』でもアレクがアッタロスを殺したという話はあるのであって、何らかアッタロスが死ぬ理由が『ヒストリエ』でも必要になる。
その理由がフィリッポスが生きているというのにアレクサンドロスが王位を継ぐというアンティパトロスの判断に難色を示し、王の存命を公表しようとしたとかそういう理由だったとしたならば、あのアッタロスの難色の意味が分かってくる。
だから個人的に、あの場面は将来のアッタロスの死の為の伏線だったのではないかと僕は考えている。
ただ…一応岩明先生は続きを今現在も描いていて、時系列的に13巻収録分くらいでアッタロスの暗殺は起きる筈で、『ヒストリエ』の到達しそうな場面についてはあんまり言及したくはなかったりする。
純粋に予測が外れたら恥ずかしいからね、しょうがないね。
その一方で13巻が出るというのかということもまた問題であって、13巻は出ないんじゃないかな…と朧げに思っているし、だとしたらこの記事は問題ないわけだけれど、その状況自体がそもそも問題なのであって、僕としては色々どうしようもなかったりもする。
僕は岩明先生の執筆態度を知っていて、それを知った上で「岩明仕事しろ(参考)」だなんてとても言えないから、岩明先生がしたようにして欲しいとだけただ思っている。
志半ばであったとしてもそれでも主君と共にというのは一つの美徳であるだろうと僕は思うし、ある人がその生き方しか選べない、もしくは既にそれを選んでしまったというのなら、僕はせめて苦しみが少なくあって欲しいと思うだけになる。(参考)
そんな感じのマケドニア将棋について。
ナニモイウコトハナイ。
では。














