書いていくことにする。
表題通りの内容だけれども、僕は『キングダム』記事を書くたびに実際の古代中国のテキストを持ってきて、このように書かれている一方で『キングダム』ではそうとはなっていないから、原先生はあんまり古代中国を再現する気はないのだろうという話を毎回してきている。
今回もその限りでしかないのであって、そういう内容にご用事がないという方はブラウザバックしてください。
さて。
まず『商子』についてなのだけれども、これは『キングダム』の時代の100年位前に生きた秦の政治家である商鞅(別名 公孫鞅)が著したとされる政治に関する本になる。
この本を原先生が読んでいないだろうという話は以前した。(参考)
この記事でも『商子』の文章と『キングダム』の描写の比較を行うつもりで、『商子』の記述を見るに、やはり原先生はこの本を読んでいないらしい。
その事については蕞の籠城戦の辺りの描写を見れば分かる。
『キングダム』では蕞という都市国家に籠城するに際して、市民を兵に仕立て上げるという描写がある。
これは『キングダム』の蕞攻防戦の大体400年位前の話だけれども、籠城戦となると、我が子を交換して食って、骨を薪木にするレベルの凄惨なそれもあったわけで、そんな状況になるくらいなら、敵を撃退するために全員が全力で戦うのは当たり前と言えば当たり前にはなる。
ちなみに、そういうレベルの籠城戦は『史記』にちょいちょい言及があって、そういう事態に陥ると我が子を交換して食うという話は出て来る。
「 智伯・韓・魏の三国は一年あまりにわたって晋陽を攻め、 汾水の水を引いて晋陽城にそそぎ入れた。城は水面わずかに三版を余すだけで、城内では釜を懸けて炊ぎ、子を取り換えて食べた。(司馬遷 『世界文学大系 5A 史記』 小竹文夫訳 筑摩書房 1962年 p.318)」
「秦は急に邯鄲を囲んだ。邯鄲は危急に瀕し、まさに降服しようとした。平原君が、事態を非常に憂慮していると、邯鄲の宿場役人の子、李談が平原君に言った。
「君には趙の滅びるのが心配ではありませんか。」
「趙が滅びれば、わしは捕虜となるだろう。どうして心配せずにおられよう。」
李談が言った。「邯鄲の民は褐衣さえ満足なものを着られず、 糟糠さえ十分に食べられず、人骨を焚いて薪に代え、子を取りかえあって食べております。まことに危急な時であります。しかるに、君の後宮は幾百を数え、婢妾は綺穀を着、 梁肉を食べ余しています。民は困苦し、兵器は尽き、あるものは木をけずって矛戟としています。しかるに、君が家の器物・鐘磬は自若としてもとのままであります。秦が勝てば、君はどうしてこれを保有することができましょう。趙が保全されるなら、君はどうしてこれを失うのを思いわずろう必要がありましょうか。いま君が、もし夫人以下を士卒の間に配置して作業を分担させ、 君が家の貯蔵をことごとく放出して士に饗応するなら、この危急困苦の時、士はどれだけ恩恵とすることでしょう。」(司馬遷 『世界文学大系 5B 史記』 小竹文夫訳 筑摩書房 1962年 p.88)」
…今引用した我が子を交換して骨を薪木にするという話について、骨が薪木になるわけがないのだから、あくまで比喩表現であって、実際に我が子を食ったとかそういうことが起きたわけではないと主張している人をこの前Xで見たということがあった。
ただけれども、実際の所は骨は燃えるらしい。
その事はヘロドトスの『歴史』の記述から分かる。
「六一 スキュティアは極度に木材の乏しい国であるので、彼らは肉を煮るのに次のような手段を案出している。犠牲獣の皮を剝ぎ終ると、肉を骨から離し骨だけにすると、鍋の用意のあるときには、この地特有の鍋に肉を入れる。この鍋はレスボスで用いる混酒器に大変良く似ているが、ただスキュティアの鍋の方が遙かに大きい。さて肉をこの鍋に入れてから、犠牲獣の骨を燃した火にかけて煮るのである。鍋のないときには、犠牲獣の胃の中へ肉を全部入れて水を加え、骨を燃した火にかける。 骨は実によく燃えるし、胃袋には骨から離した肉が優に入るのである。 こうして牛はわれとわが身を煮るわけで、牛以外の獣の場合も同様である。肉が煮上ると、犠牲の執行人は肉と内臓の一部を初穂としてとり、前方へ投げる。犠牲にする獣はさまざまであるが、ことに馬を用いることが多い。(ヘロドトス 『世界古典文学全集 10 ヘロドトス』『歴史』 松平千秋訳 筑摩書房 1967年 p.192 )」
実際、骨が薪木の代用としてどれくらい役に立つのかとか、実用性はどうだったのかとかは分からないし、そもそもヘロドトスというか、ギリシア人が報告する所のスキタイ人(スキュティア)の話は話半分にした方が良いということはあるけれども、ともかく、骨が薪の代わりにはならないという話は間違っていそうな様子はある。
まぁともかく、籠城戦とはそういうレベルの悲惨な戦いが発生するわけであって、そうとなると一般人だからとか、女子供だからという話は通用しないというか、そんなことは言っていられる話でもないらしい。
だから、城の中にいる全員が戦いには参加していた様子がある。
『商子』では、男と女、老人と子供の三つのグループに分けるとある。
その理由について『商子』では、
「女子の軍中に出入りすると、男子は女子を大切にし、そうなると自然間違った考えを起す人間が起って、国が亡びることになる。男女の喜びの思いやその恐れの感情が、いち早く通い合うようになり、勇敢な民であったものが、戦いに臆病になるからである。(同上)」
としている。
これについては一つに逃走防止のための策としての側面もあると思う。
夫婦が居たとしても別の所で行動してるとなると、夫が逃亡したならば妻は殺されるわけで、その事は妻が逃げた時も同じで、片方が片方を見捨てることが出来ない構造になっているし、別の所で戦えば相談も出来ないわけで、逃げたり投降したりするという事態を防ぐことが出来る。
加えて、やはり男が女性の中に入っていって色々やって、それが戦争中ともなると、経験則的に良くないことも沢山起きた結果なのだろうと思う所はある。
『商子』には「男女の喜びの思いやその恐れの感情が、いち早く通い合うようになり、勇敢な民であったものが、戦いに臆病になるからである。(同上)」とあって、辛い戦いの中で男女が会った場合、多くの場合女性は自分の境遇を男性に嘆くわけで、一方で男性はそれを聞いてもどうすることも出来ない以上、男の情緒の方にもなんらか影響があって士気が落ちたりしたという過去があっての話だったりもするのかなと思う。
実際の所、そういう極限状態で人が何を思って何を語り、その時に何が起きるのかとかは分からないとしか言いようがないけれども、長い長い戦いの歴史の中で、指導者層の一人が籠城戦では男女は一緒に居ない方が良いと思ったような出来事はあったのは確実だろうと思っている。
それに加えて、男が女性の集団の中に混じって、味方内で男が女性を強姦したら、女性の一軍の士気は落ちるわけで、そういうことを防止する意味合いも当然あったと思う。
その他には女性の戦い方の記述を見る限り、城壁の外にも人々は住んでいたらしいし、そこも戦場になっていたらしいと分かる。
「壮年女子の軍には、十分に腹ごしらえをし、塁を背にして、陣を布き命令を待たせる。侵入軍がやってくれば、土を盛り上げて険しい障碍や、落し穴を構らえ、梁木をとりはずし、家屋をとりこわし、役に立って運搬できる材木は、これを城中に運び入れ、役に立たないものは、焼き払ってしまい、侵入軍がそれを使って、攻撃や守備のたしまえにすることのできぬようにする。(同上)」
これはどう考えても城壁の外の話であって、城壁の外にある家屋や材木は敵に利用されないように破壊して城に運び込むとある。
当時の中国の城塞都市では城壁の外にも街並みがあって、籠城戦に際しては、敵方が城壁に辿り着く前の段階でも戦闘はあったらしいと『商子』の記述から分かる。
「土を盛り上げて険しい障碍や、落し穴を構らえ、梁木をとりはずし、家屋をとりこわし、役に立って運搬できる材木は、これを城中に運び入れ、役に立たないものは、焼き払ってしまい、侵入軍がそれを使って、攻撃や守備のたしまえにすることのできぬようにする。(同上)」
城壁の中で土を盛り上げても敵の備えにはならないし、記述内容的に城の外の話であると分かるし、どうも籠城戦では城壁での戦いの前に前哨戦として即席土塁での戦闘もあったらしいし、そのような場所には普段は人が住んでいた様子が汲み取れる。
まぁ普通に考えて城壁の外にも人は住んでいるよなと僕は思う。
一方で『キングダム』では城壁の外はひたすら荒野が広がるだけで、人の営みの気配すら存在しない。
(『キングダム』31巻 p.22)
この辺りについては、作者の原先生が古代中国の城塞都市を再現する気があんまりないし、そもそもその辺りの詳しい話についてをあんまり知らないのだろうと僕は考えている。
まぁ別にその辺りを知っていたら漫画が面白くなるということはないし、ガチガチに古代中国を再現したところで、その作品が売れるかどうかにそのことは関りがないのだから、僕はそれが悪いとは一切思っていない。
城の外に人が住んでたら漫画が面白くなったり更に売れるようになったりすることはないんだから。
そんな感じの『キングダム』と『商子』について。
この話はもともと、以前書いた「『キングダム』と『商子』について」(同上)で書くつもりでいた内容になる。
ただけれども、あの記事の時は他の書くことで紙幅が埋まってしまって、何より書いてて疲れてきたということがあって、この籠城戦についての『商子』の記述の話は偉大なる父祖から受け継いだ高邁なる精神で「まぁいいや」で終わらせたということがあった。
それからそのことを顧みることはなかったのだけれど、X上で僕が書いた『キングダム』の解説を人に紹介しているポストを見つけたということがあった。
紹介している方のほうは、以前僕の方でも触れた教授の方だからそこのところは良いのだけれど、その紹介で読んだ人物の方も分かりやすかったと感想を残してくれていて、それはよかったなと僕は思った。
このやり取りを今月になって僕は見たということがあって、これを受けて自分が書いた『キングダム』と『商子』の記事を自分で読み返すということを僕はした。
その中で、そういえば、事前準備の段階で『商子』の籠城戦の話と蕞の比較の話をするつもりだったけれど、実際に書いた時にはその話はしなかったなということを思い出したということがあった。
そこから、その事を脳内で組み立てた結果、一つの記事になると踏んだということがあって、今僕はこの記事を書いている。
もうなんつーか、漫画の解説書くモチベが保ててないんだよなぁ…。
先月もやる気出んくて記事書いてないし、その補填を今月の頭にする予定だったけれども全然できてない。
先月はまたうつされて熱が38℃とか出ていたけれども、以前のインフルの時と違って別にやろうと思えば漫画の解説は書けるコンディションだったから、やる気の問題で書くことは出来なかったし、今月も別にやる気を取り返しているとかは別にない。
一部鉄出てきた重いもの運ぼうとしていたら相手が急に手を離したもんだから、手が挟まってそこから手を何とか取りだしたら普通に血まみれになって手がロクに動かなくなったのが三日前だったりするし、色々モチベが保てていない。
読み返すのはまぁ良いとして、書く作業が苦行でなかったことはないし、以前の僕がどんな感情で漫画の記事を書いていたのかとかは僕自身良く分からない。
まぁ多少はね…。
そんな感じです。
では。








