胙豆

胙豆

傲慢さに屠られ、その肉を空虚に捧げられる。

書いていくことにする。

 

表題通りの内容だけれども、僕は『キングダム』記事を書くたびに実際の古代中国のテキストを持ってきて、このように書かれている一方で『キングダム』ではそうとはなっていないから、原先生はあんまり古代中国を再現する気はないのだろうという話を毎回してきている。

 

今回もその限りでしかないのであって、そういう内容にご用事がないという方はブラウザバックしてください。

 

さて。

 

まず『商子』についてなのだけれども、これは『キングダム』の時代の100年位前に生きた秦の政治家である商鞅(別名 公孫鞅)が著したとされる政治に関する本になる。

 

この本を原先生が読んでいないだろうという話は以前した。(参考)

 

この記事でも『商子』の文章と『キングダム』の描写の比較を行うつもりで、『商子』の記述を見るに、やはり原先生はこの本を読んでいないらしい。

 

その事については蕞の籠城戦の辺りの描写を見れば分かる。

 

『キングダム』では蕞という都市国家に籠城するに際して、市民を兵に仕立て上げるという描写がある。

 
(原泰久『キングダム』31巻pp.40-43 以下は簡略な表記とする)
 
政はこのように言って、この後に蕞の住人に対して演説を行って、その事によって一般人を兵士として用いるという才覚を示すという展開が『キングダム』の蕞攻防戦では描かれている。
 
僕はリアルタイムでこの場面を読んだ時は多くのことは抱かなかったのだけれども、その数年後に『商子』を読んでいて、その記述を前提にこの場面を思い出すと、どうしても「うーん」と思ってしまう部分がある。
 
この記事ではどうして僕がそのように思うかについて書いていきたいと思う。
 
結局の所、古代中国の特に秦の国の籠城戦ではどうも、戦闘に参加するのは老人と子供を含めた全員であって、女性であっても戦うのが普通というか、子供や女性は戦闘に参加しないという前提自体が当時の秦の国にはなかった様子がある。
 
『キングダム』の時代の100年位前の本に籠城戦だと死力を尽くして皆戦うと書かれていて、そうとすると、秦王政が民を鼓舞するということ自体は良いのだけれども、基本的に住民全員戦闘要員である当時の風土を加味すると、何とも言えない気分になる。
 
その辺りは『商子』の「兵守」に言及がある。
 
『商子』は統治論についての本なのだけれども、何故かその中に兵法を論じた編が存在していたりする。
 
これについてはおそらく、商鞅の残した兵法書である『公孫鞅』というそれの文章が混じっているのではないかと個人的に考えている。
 
『漢書』は後漢の時代に書かれた歴史書で、その「芸文志」には当時あった本の目録が記述されていて、その中で兵法書の一覧には今は残っていない『公孫鞅』という本の存在が確認できる。
 
商鞅は元は衛という国の公族の出で、衛を出て秦に仕官して、秦で商という地を賜って、そこから商鞅と名乗ったのであって、元の名は公孫鞅で、『商子』の冒頭でも公孫鞅として言及されている。
 
ともかく、商鞅は兵法書も書いていて、『商子』の用兵について論じている編については、元は『公孫鞅』という兵法書だったのではないかと個人的に考えている。
 
その用兵について言及のある『商子』の「兵守編」には以下の記述がある。
 
「城のある都邑を守るばあい、決死の人民の力をもって、侵入軍の生還を期する兵力と戦うことを知らなければ、その城は抜かれてしまう。もし決死の人民の力があれば、侵入軍は完全に城内を破壊殲滅しない限り、城内に入り込むわけにいかない。これを決死の人民の力をもって、侵入軍の生還を思う兵力と戦うというのである。城中がことごとく平定されて侵入軍がもし入城したばあい、侵入軍は必ず疲労しており、城中の人たちは必ず休息を得てる。休息を得た力を用いて、疲労している兵力と戦う。これを生きようとする人の力をもって、侵入軍の死に瀬した兵力と戦うというのである。そこでだれしもいうことであるが、城を攻め囲まれたばあいに心配なのは、ことごとく戦死しない者はおらぬということなのだ。上述の三つの条件(巨万の軍の宿営の可能。決死の力で生還を期する者と戦う。佚力をもって罷力と戦う。(引用者注:十分に休んだ兵で、遠征により疲弊した相手と戦う事))が不十分であることを気にかけることはない。この三条件を活用することを知らなければ、それは守将の過ちである。城を守るには戦力の向上をはかることが大切である。ゆえに、侵入軍がやってくるばあいには、わが軍の帳簿や書檄を整理し、三軍の兵衆をば、侵入軍の斥候車の数に対応して手分けをする。三軍は、壮年の男子を一軍とし、壮年の女子を一軍とし、男女の老人と弱少者とを一軍とする。これを三軍というのである。壮年男子の軍には、十分に腹ごしらえをし、武器を礪(みが)き、陣を布いて敵を待たせる。壮年女子の軍には、十分に腹ごしらえをし、塁を背にして、陣を布き命令を待たせる。侵入軍がやってくれば、土を盛り上げて険しい障碍や、落し穴を構らえ、梁木をとりはずし、家屋をとりこわし、役に立って運搬できる材木は、これを城中に運び入れ、役に立たないものは、焼き払ってしまい、侵入軍がそれを使って、攻撃や守備のたしまえにすることのできぬようにする。老弱者の軍には、牛馬羊豚を畜(やしな)わせ、草木で食べることのできるものは、採集して食用とし、そのようにして壮年男女の食糧を確保させる。そして三軍の者たちが、お互いに往来訪問することのないように、厳重に禁止する。壮年の男子が壮年の女子の軍中に出入りすると、男子は女子を大切にし、そうなると自然間違った考えを起す人間が起って、国が亡びることになる。男女の喜びの思いやその恐れの感情が、いち早く通い合うようになり、勇敢な民であったものが、戦いに臆病になるからである。壮年の男子や女子が、老弱者の軍中に出入りすると、老人は壮年の者たちを悲しませ、弱少者は強健な者に憐れみを感じさせる。悲しみと憐れみが心に生ずれば、勇敢な人間もその考えかたを変えるようになり、臆病な人間は戦いを避けるようになる。それゆえ、「厳重に取り締って、三軍の間に往来の行なわれぬようにさせよ。」というのである。こうすることが、戦力を向上させる方法なのである。(商鞅 『中国古典新書 商子』 清水潔訳 明徳出版社 1970年 pp.137-138 下線引用者)」
『商子』にはこういう記述があって、僕のお手元の翻訳には次のような翻訳者の補足が書かれている。
 
「この篇では守勢にある者の用兵について論じられている。攻囲された城市が陥落すると、往往にして、城中の男女が全部みな殺しに会ったり、老弱者だけが殺されて、壮年男女は捕虜として拉致され、奴隷として使われることなどが、歴史上の事実として残っている。勢い、城を守る者の方が決死の覚悟で戦わざるをえなくなる。それをこの篇では死力と称しているのである。国内における防衛戦では、男女を問わず、老弱を問わず、国民全部が戦闘に参加せねばならぬ状態となる。 (同上p.139)」
 
まぁ…そうなんでしょうね…。
 
ともかく、『商子』の記述を見る限り、『キングダム』では兵ではない民草は戦力としてカウントされていなかったけれども、そもそもとして当時の感覚的には男女問わず戦闘要員として認識されていたし、子供と老人とて、戦う人々のサポートとして働いていた様子がある。
 
『キングダム』では政の演説で兵士として仕立て上げたけれども、士気を上げるあのやり方を横に置いた場合、城の中の全員で戦うということは、別に特別でも何でもない普通のことをしたに過ぎないというのが実際らしい。
 
原先生はどうも、その辺りの事情は知らなかったらしく、その事は信の言及で分かる。
 
(同上)
 
信は一般人を当てにすることを問題外のやり方だと思っていて、けれども、そもそも当時の感覚的に、一般人という区分が籠城戦ではなかった様子がある。
 
なんというか、感覚が現代人なんだよな全て。
 
現代人であれば非戦闘員は戦闘に参加させないのは当然だし、それを戦闘員に仕立て上げられたならば、それは優れた采配だけれども、当時は別に戦闘員と非戦闘員の区別はなかった様子がある。
 
古代中国の歴史書に見られる籠城戦は凄惨極まりないものがあって、籠城戦中の飢餓によって、我が子を交換して食ったという話も残されている。
 
「夏五月に、楚の軍は(容易に宋を降すことができないので)宋を引きあげようとした。すると申扉は、莊王の馬前にぬかずいて、「わたしの父毋畏は、一命を捨てることを承知の上で、王様の命令を果たしました。しかるに王様には父との約束を破られて帰るのですか」といったので、荘王は返すことばもなかった。時に申叔時は荘王の御者であったが、 「宋の郊外に家を作り、そこに引きさがって耕作して持久の計を取るならば、宋は恐れてきっと楚の命令に従うであろう」 と進言したので、荘王はその意見を用いた。宋の人は恐れて、華元に命じ、夜にこっそりと楚の陣営にしのびこませた。 華元は楚将の司馬子反の寝台にあがり、子反を呼び起こして、「わが君にはこの私を使者として宋の苦しい状態を訴えさせるのです。宋は(いまや兵糧がなくなり、)子供を交換して食べあい、(燃料もなくなったので、)死者の骨を折りくだいて炊事をしているという有様です。とは申しますものの、城下に攻めこまれて降服の盟いをすることは、たとい国が滅亡しようとも、できない相談です。どうか宋を三十里退却してください。そうすればどんなご命令にも従います」と申し入れたので、子反は不意をつかれてびっくりし、即座にその申し入れに従うと約束し、それから荘王に報告して三十里退却した。(左丘明 『新釈漢文大系 31 春秋左氏伝 二』 鎌田正訳 明治書院  1974年 pp.653-654) 」

 

これは『キングダム』の蕞攻防戦の大体400年位前の話だけれども、籠城戦となると、我が子を交換して食って、骨を薪木にするレベルの凄惨なそれもあったわけで、そんな状況になるくらいなら、敵を撃退するために全員が全力で戦うのは当たり前と言えば当たり前にはなる。

 

ちなみに、そういうレベルの籠城戦は『史記』にちょいちょい言及があって、そういう事態に陥ると我が子を交換して食うという話は出て来る。

 

「 智伯・韓・魏の三国は一年あまりにわたって晋陽を攻め、 汾水の水を引いて晋陽城にそそぎ入れた。城は水面わずかに三版を余すだけで、城内では釜を懸けて炊ぎ、子を取り換えて食べた。(司馬遷 『世界文学大系 5A 史記』 小竹文夫訳 筑摩書房 1962年 p.318)」

 

「秦は急に邯鄲を囲んだ。邯鄲は危急に瀕し、まさに降服しようとした。平原君が、事態を非常に憂慮していると、邯鄲の宿場役人の子、李談が平原君に言った。
「君には趙の滅びるのが心配ではありませんか。」
「趙が滅びれば、わしは捕虜となるだろう。どうして心配せずにおられよう。」
李談が言った。「邯鄲の民は褐衣さえ満足なものを着られず、 糟糠さえ十分に食べられず、人骨を焚いて薪に代え、子を取りかえあって食べております。まことに危急な時であります。しかるに、君の後宮は幾百を数え、婢妾は綺穀を着、 梁肉を食べ余しています。民は困苦し、兵器は尽き、あるものは木をけずって矛戟としています。しかるに、君が家の器物・鐘磬は自若としてもとのままであります。秦が勝てば、君はどうしてこれを保有することができましょう。趙が保全されるなら、君はどうしてこれを失うのを思いわずろう必要がありましょうか。いま君が、もし夫人以下を士卒の間に配置して作業を分担させ、 君が家の貯蔵をことごとく放出して士に饗応するなら、この危急困苦の時、士はどれだけ恩恵とすることでしょう。」(司馬遷 『世界文学大系 5B 史記』 小竹文夫訳 筑摩書房 1962年 p.88)」

 

…今引用した我が子を交換して骨を薪木にするという話について、骨が薪木になるわけがないのだから、あくまで比喩表現であって、実際に我が子を食ったとかそういうことが起きたわけではないと主張している人をこの前Xで見たということがあった。

 

ただけれども、実際の所は骨は燃えるらしい。

 

その事はヘロドトスの『歴史』の記述から分かる。

 

六一 スキュティアは極度に木材の乏しい国であるので、彼らは肉を煮るのに次のような手段を案出している。犠牲獣の皮を剝ぎ終ると、肉を骨から離し骨だけにすると、鍋の用意のあるときには、この地特有の鍋に肉を入れる。この鍋はレスボスで用いる混酒器に大変良く似ているが、ただスキュティアの鍋の方が遙かに大きい。さて肉をこの鍋に入れてから、犠牲獣の骨を燃した火にかけて煮るのである。鍋のないときには、犠牲獣の胃の中へ肉を全部入れて水を加え、骨を燃した火にかける。 骨は実によく燃えるし、胃袋には骨から離した肉が優に入るのである。 こうして牛はわれとわが身を煮るわけで、牛以外の獣の場合も同様である。肉が煮上ると、犠牲の執行人は肉と内臓の一部を初穂としてとり、前方へ投げる。犠牲にする獣はさまざまであるが、ことに馬を用いることが多い。(ヘロドトス 『世界古典文学全集 10 ヘロドトス』『歴史』 松平千秋訳 筑摩書房 1967年 p.192 )」

 

実際、骨が薪木の代用としてどれくらい役に立つのかとか、実用性はどうだったのかとかは分からないし、そもそもヘロドトスというか、ギリシア人が報告する所のスキタイ人(スキュティア)の話は話半分にした方が良いということはあるけれども、ともかく、骨が薪の代わりにはならないという話は間違っていそうな様子はある。

 

まぁともかく、籠城戦とはそういうレベルの悲惨な戦いが発生するわけであって、そうとなると一般人だからとか、女子供だからという話は通用しないというか、そんなことは言っていられる話でもないらしい。

 

だから、城の中にいる全員が戦いには参加していた様子がある。

 

『商子』では、男と女、老人と子供の三つのグループに分けるとある。

 

その理由について『商子』では、

「女子の軍中に出入りすると、男子は女子を大切にし、そうなると自然間違った考えを起す人間が起って、国が亡びることになる。男女の喜びの思いやその恐れの感情が、いち早く通い合うようになり、勇敢な民であったものが、戦いに臆病になるからである。(同上)」

としている。

 

これについては一つに逃走防止のための策としての側面もあると思う。

 

夫婦が居たとしても別の所で行動してるとなると、夫が逃亡したならば妻は殺されるわけで、その事は妻が逃げた時も同じで、片方が片方を見捨てることが出来ない構造になっているし、別の所で戦えば相談も出来ないわけで、逃げたり投降したりするという事態を防ぐことが出来る。

 

加えて、やはり男が女性の中に入っていって色々やって、それが戦争中ともなると、経験則的に良くないことも沢山起きた結果なのだろうと思う所はある。

 

『商子』には「男女の喜びの思いやその恐れの感情が、いち早く通い合うようになり、勇敢な民であったものが、戦いに臆病になるからである。(同上)」とあって、辛い戦いの中で男女が会った場合、多くの場合女性は自分の境遇を男性に嘆くわけで、一方で男性はそれを聞いてもどうすることも出来ない以上、男の情緒の方にもなんらか影響があって士気が落ちたりしたという過去があっての話だったりもするのかなと思う。

 

実際の所、そういう極限状態で人が何を思って何を語り、その時に何が起きるのかとかは分からないとしか言いようがないけれども、長い長い戦いの歴史の中で、指導者層の一人が籠城戦では男女は一緒に居ない方が良いと思ったような出来事はあったのは確実だろうと思っている。

 

それに加えて、男が女性の集団の中に混じって、味方内で男が女性を強姦したら、女性の一軍の士気は落ちるわけで、そういうことを防止する意味合いも当然あったと思う。

 

その他には女性の戦い方の記述を見る限り、城壁の外にも人々は住んでいたらしいし、そこも戦場になっていたらしいと分かる。

 

「壮年女子の軍には、十分に腹ごしらえをし、塁を背にして、陣を布き命令を待たせる。侵入軍がやってくれば、土を盛り上げて険しい障碍や、落し穴を構らえ、梁木をとりはずし、家屋をとりこわし、役に立って運搬できる材木は、これを城中に運び入れ、役に立たないものは、焼き払ってしまい、侵入軍がそれを使って、攻撃や守備のたしまえにすることのできぬようにする。(同上)」

 

これはどう考えても城壁の外の話であって、城壁の外にある家屋や材木は敵に利用されないように破壊して城に運び込むとある。

 

当時の中国の城塞都市では城壁の外にも街並みがあって、籠城戦に際しては、敵方が城壁に辿り着く前の段階でも戦闘はあったらしいと『商子』の記述から分かる。

 

「土を盛り上げて険しい障碍や、落し穴を構らえ、梁木をとりはずし、家屋をとりこわし、役に立って運搬できる材木は、これを城中に運び入れ、役に立たないものは、焼き払ってしまい、侵入軍がそれを使って、攻撃や守備のたしまえにすることのできぬようにする。(同上)」

 

城壁の中で土を盛り上げても敵の備えにはならないし、記述内容的に城の外の話であると分かるし、どうも籠城戦では城壁での戦いの前に前哨戦として即席土塁での戦闘もあったらしいし、そのような場所には普段は人が住んでいた様子が汲み取れる。

 

まぁ普通に考えて城壁の外にも人は住んでいるよなと僕は思う。

 

一方で『キングダム』では城壁の外はひたすら荒野が広がるだけで、人の営みの気配すら存在しない。

 

(『キングダム』31巻 p.22)

 

この辺りについては、作者の原先生が古代中国の城塞都市を再現する気があんまりないし、そもそもその辺りの詳しい話についてをあんまり知らないのだろうと僕は考えている。

 

まぁ別にその辺りを知っていたら漫画が面白くなるということはないし、ガチガチに古代中国を再現したところで、その作品が売れるかどうかにそのことは関りがないのだから、僕はそれが悪いとは一切思っていない。

 

城の外に人が住んでたら漫画が面白くなったり更に売れるようになったりすることはないんだから。

 

そんな感じの『キングダム』と『商子』について。

 

この話はもともと、以前書いた「『キングダム』と『商子』について」(同上)で書くつもりでいた内容になる。

 

ただけれども、あの記事の時は他の書くことで紙幅が埋まってしまって、何より書いてて疲れてきたということがあって、この籠城戦についての『商子』の記述の話は偉大なる父祖から受け継いだ高邁なる精神で「まぁいいや」で終わらせたということがあった。

 

それからそのことを顧みることはなかったのだけれど、X上で僕が書いた『キングダム』の解説を人に紹介しているポストを見つけたということがあった。

 

 

紹介している方のほうは、以前僕の方でも触れた教授の方だからそこのところは良いのだけれど、その紹介で読んだ人物の方も分かりやすかったと感想を残してくれていて、それはよかったなと僕は思った。

 

このやり取りを今月になって僕は見たということがあって、これを受けて自分が書いた『キングダム』と『商子』の記事を自分で読み返すということを僕はした。

 

その中で、そういえば、事前準備の段階で『商子』の籠城戦の話と蕞の比較の話をするつもりだったけれど、実際に書いた時にはその話はしなかったなということを思い出したということがあった。

 

そこから、その事を脳内で組み立てた結果、一つの記事になると踏んだということがあって、今僕はこの記事を書いている。

 

もうなんつーか、漫画の解説書くモチベが保ててないんだよなぁ…。

 

先月もやる気出んくて記事書いてないし、その補填を今月の頭にする予定だったけれども全然できてない。

 

先月はまたうつされて熱が38℃とか出ていたけれども、以前のインフルの時と違って別にやろうと思えば漫画の解説は書けるコンディションだったから、やる気の問題で書くことは出来なかったし、今月も別にやる気を取り返しているとかは別にない。

 

一部鉄出てきた重いもの運ぼうとしていたら相手が急に手を離したもんだから、手が挟まってそこから手を何とか取りだしたら普通に血まみれになって手がロクに動かなくなったのが三日前だったりするし、色々モチベが保てていない。

 

読み返すのはまぁ良いとして、書く作業が苦行でなかったことはないし、以前の僕がどんな感情で漫画の記事を書いていたのかとかは僕自身良く分からない。

 

まぁ多少はね…。

 

そんな感じです。

 

では。