医師の鎌田實氏の心に響く言葉より…


たかの友梨(ゆり)さんの実母は、妻子ある男性と恋愛し、彼女を産んだ。

母親が別の男性に嫁ぐことになり、一度は父親の家に引き取られた友梨さんだが、義理の母からいじめられた。

ほどなく、養子に出された。


つらい旅のはじまりだ。

その養父母は、どうやら養育費目当てだった。

ろくにおしめも替えてもらえず、ほうっておかれた。


見るに見かねて、引き取ってくれた女性がいた。

お母さんになってくれたその人がすごかった。

新しい両親のもと、友梨さんは初めて、家庭のぬくもりを知る。

二人が実の親じゃないなんて、考えたこともなかった。


でも、幸せは束の間だった。

5歳のとき、養父がほかの女性との間に子供をつくってしまったのだ。

お母さんは自分から身を引き、友梨さんを連れて家を出た。


やがて再婚するが、その家庭もうまくいかなかった。

新しいお父さんは、友梨さんに体罰のある教育をした。

借金を重ね、あげくに蒸発。


お母さんと友梨さん、重い障害のある弟は、住む家さえ失ってしまう。

絶望し、電車に身を投げようとした母親の手を、友梨さんが懸命に引いて止めたこともあった。

死の誘惑に打ち勝つと、お母さんは懸命に働いた。

旅館で住み込みで仕事をしていたため、友梨さんは親戚の家を転々とする。

やっとまた一緒に暮らせるようになったのは、小学校5年生のときだった。


中学生になって、お母さんが生みの母ではないことを人から知らされた。

ショックだった。

でも同時に、感謝の気持ちでいっぱいになった。

縁もゆかりもない自分を引き取って育ててくれた。

精神的にも経済的にも追いつめられていくなかで、自分の子ではないからと放り出すこともできたのに、そうしなかった。

友梨さんは、その恩を忘れない。


友梨さんは、高校進学も断念せざるを得なかった。

中学を卒業すると理容学校へ。

そして一年後、前橋市内の理容店に住み込み、見習い修行をはじめる。

といっても、勉強をあきらめたわけではなかった。

働きながら定時制高校に通い、4年かけて卒業するのである。

雇い主に頼み込んで、夕方に仕事を抜けさせてもらい、自転車で数キロ離れた高校に向かった。

夜遅く店に戻ると、タオルの洗濯や鏡磨きに汗を流した。

深夜からが、自分の時間。

近所の美容院からもらってきた髪の毛や、顔を描いた風船を使って、カットや顔そりの練習に励んだ。

ぶきっちょと言われて育ったから、人の二倍も三倍も努力しなければ、と思ったという。


当時のことを友梨さんは、

「つらいと思ったことは一度もありません。

努力すればしただけ、着実に技術が自分のものになっていく。

それがうれしくて、おもしろくて、夢中でしたから」


群馬県の理容コンクールで入賞。

もっと上を目指すため東京に行きたい、と考えはじめた。

上京したのは、20歳のとき。

夜の7時まで理容店で働き、8時から12時までは居酒屋で皿洗い。

そのかたわら、通信教育で美容師の資格もとった。


爪に火をともすような生活をしながら、100万円を貯めた。

そのお金を握りしめ、友梨さんはフランスへ渡る。

「パリでエステティックサロンが大流行」という新聞記事を目にし、これだと直感したという。

24歳だった。

『人は一瞬で変われる』集英社



現在、たかの友梨さんの経営する、「たかの友梨ビューティクリニック」は全国に124店舗があり、1000人を超える従業員がいる。

たった一代で築き上げた会社には、20年選手が100人いるという。

入れ替わりの激しいエステ業界では異例のことだ。

たかの友梨さんの自伝のタイトルは、「運が悪くてよかった!」。


運の悪さを嘆く人もいるが、逆にそれをバネにできる人もいる。

「不幸は裏返せは、みんなプラス」という友梨さん。


マイナスをプラスにひっくり返して生きてきた人には、限りない魅力がある。


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自分に対して不都合な事が起こってしまうと運が悪いと思ってしまってました。

でも今思い返してみると、その自分に対して不都合な事から学ぶ事の方が多いんじゃないかと思います!

要は自分の考え方次第って事ですね^_^

川原