ZIPPERZとしてのブログが最後だったわけで、


今更新しいブログ作るのもどうだかと思ったんで使い回します(言わなくていい事かも知れない)


あんなに外出を控え、接触を避けとかやっていたのに、感染してしまいました。しかも最悪なタイミングで…

これはもう日記を書こう。

もともとこのブログに隠す事なんてひとつもないわけで




1月9日

明日から実家に帰る。

正月からずっと働いてて、すっかり忘れてたんだがコロナも落ち着きムード。ワクチンも二回打ってる。あれこれ、今年は今のうちになら実家帰れるんじゃない?!とふと思いたった先週、新幹線を予約した。

まさか1週間後の今日、感染者数が15倍に増えるなんて考えもしなかったわけで….悩んだんだが、実家にはナナちゃんとゆう子猫がいて、小さいうちに一回会いたいとゆう気持ちに勝てず、大丈夫やろ…と帰省を続行。

この日は友人らと家で焼肉と酒を飲み、皆寝静まった頃合いで今触っとかないと1週間は楽器に触れないからと、Club3°の曲のベースを録る。

終わったのが午前5時。午前8時半の電車に乗れば間に合うからあんま寝る時間ないけど仮眠しとくか〜とゆう

この判断がよくなかった。



1月10日

家を出るタイミングがツネと一緒だったのでワガの世話をよろしくとかしゃべりながら駅へ。

東京駅に着き新幹線へ。

搭乗。

東京でのコロナが1000を超えた影響だと思う。新幹線は空いていた。が、なんか後ろの席の外国人がずっと独りで喋っている。マジで運がない。飛沫が飛ぶやろがい!と思っていたこの時は…

少し体調が落ち着かないのは寝てないからだろうと仮眠。

到着。岡山の実家へ。ナナちゃんと対面、歓喜する(思いっきり顔を近づけてしまった)

やっぱり疲れてるんかな、ちょっと身体おかしいなーと思ったが、両親が焼肉に連れて行ってくれると言うので、もう何回こんな機会があるかわからない、甘えよう。昨日の焼肉は昨日の焼肉だ!と思いながら姉含め移動。焼肉屋でビール4杯くらい飲んだ結果激しめの頭痛が襲う。

家に帰ってからものすごい倦怠感であれ、身体がなんか思うように動かないからこれははよ寝よと思い風呂へ。

部屋で就寝。



1月11日

深夜激しい暑さを感じ、身体が温度調節できないことから大量に汗をかいて何回も目が覚めたんだが、あー疲労で体調崩したな…スケジュール無理したからな〜と、そうゆう時は体温を上げて一気に汗をかけば治るからとあえて対策はとらず、汗をかいては目を覚ましそのまま無理やり寝てまた大量の汗で…とゆう修行のような状態で朝を迎えたのだが、異常なくらい身体がダルい。

とりあえず起きてシャワー浴びて汗を流すがなんだか喉も少し違和感を感じる。ほんの少しだけど。

テレビではコロナがやばい増えてきた!とやってる中、ちょっと体調悪いと伝えると親が完全に引いている。

そりゃそうだ。ならば体温を提示して安心させておこうと検温。

1回目- 36.8℃

あれ?ちょっと高くない?と思い再度検温。

37.8℃



いやいや、なんかの間違いよ、と何度測っても高くなることはあっても低くはならない。

完全に焦って別の部屋に移動。

え?え?え?

今思えばパニックになりすぎてなんとかして体温を下げようと、保健室でなんとか早退しようと体温計をライターで炙る学生と逆の事を一生懸命やった挙句「この体温計おかしいけえなんか他のないん!?」とパニック。いい歳パニック。親ガン引き。

他の体温計で測る→37.4℃

観念して病院へ。

発熱外来とゆうやつから初のPCR検査。結果は明日の夕方5時までに連絡なければ陰性とのこと。


これでもし陽性だったら腹を切るしかねえ…

数年ぶりに実家に帰ってきて10代の甥っ子2人と今年色々大変だった両親を危険に晒すなんて何をやってるんだ…

いや、でもあれだなんか喉の具合悪くなってきたし熱が出てるからこれは喉頭炎か扁桃炎だと自分に言い聞かせる。問診でも大丈夫でしょうけど一応〜みたいに言われたし!

-深夜-

唾を飲み込むと喉になにか内側から噛みつかれてるんじゃないかとゆう痛みを感じ、びっくりして目を覚ます。

やっぱりこれは扁桃炎だ。しっかり寝て早く治そう。しかし実家まで来て2日連続で寝てるなんてついてない…と思ってましたこの時は


1月12日

起床。しかし、身体の倦怠感で気合いをだいぶ入れないと起き上がれない。そして喉がもうなんかくっついてるんちゃう?とゆうぐらい痛くなっている。あと少し頭痛。

しかし味覚嗅覚共に変化なし。扁桃炎だね〜なんて親と話して、まあ一応気持ち距離を取り部屋に閉じこもりながら。実家帰っても色々やろうと持ってきたパソコン、何故だか全く開ける気がしない。

とゆうか、開けてもすごい速さで疲れてしまう。なんだこれは…

スマホで扁桃炎について調べながら午前が過ぎて

ダラダラとして17時が過ぎるのを待っていた。

14時30分 電話が鳴る

え?番号…岡山の市外局番…

見た瞬間額から汗が噴き出た。

手が震えながら無意識に身体を起こして電話に出る

「岡山市保健所のものです」

身体が立って勝手に歩いていた。まっすぐ歩けない。どうしようどうしようとゆう気持ちで頭が支配される。

なんでオレは1番居ちゃいけないとこにいるんだやばいやばいいやでもまだ

「村岡さん、陽性でしたので-----」


おお


おおおお


おわ  ったああああ


額から汗をダラダラ流しながら廊下、親に声が聞こえる場所まで来てたオレは

「ごめん、陽性なっちゃったほんとごめんなさい」


なんて情け無い…



そうだ東京では当たり前に自宅療養をあてられると聞いていたけど岡山なら!

「隔離してもらわないと今実家に帰省してる東京の人間でここ両親と子供連れた姉がいて!」ってパニック。しかも涙声。

病院はいっぱいとの事、ホテルは検討してくれるみたいになり、これについては何回か聞いてみたんだけど自宅療養になった。

その後感染ルートの割り出しのような質問をされ、オミクロンは感染から発症までが2〜3日と短めとされているらしく、自分のコロナに対する知識が更新されてない事を知る。

思い当たるとこ…7日に、音楽のライブやりました…から今日に至るまで、細かく説明し、濃厚接触者には保健所が直接電話をするとの事。

それから色々今後の過ごし方〜みたいなメールやらが厚生労働省より届く。

会社に連絡→パニック

色々連絡しながら謝りまくる。なんで謝ってんだろ?とゆう考えが出てこないくらいなんかもう、色んなとこから色んなこと聞かれて何回も同じ事を答えながら体調も気持ちも確実に落ちていく。

この時点でもうオレは後悔の2文字が喉に焼印押されてるんじゃないか?とゆう程度の喉の痛みを感じていた。


隔離状態

こんな状態なのに「もううつっとるわ〜」とか言いがら食事を運んでくれる親には感謝しかないです。

そんな親を危険に晒しているとゆう現実に対する後悔でちょっと精神が軋む。

触ったものは全て消毒。歩く時も消毒を常に撒き(特にドアノブ)人がいない事を見計らってトイレに行き、風呂は皆寝静まった頃にシャワーをさっと浴びて換気して消毒しながら部屋に戻る。

しかし身体がだるい。


明日につづく