インド洋天然の軍港トリンコマリー
1941年12月のマレー沖海戦で旗艦プリンス・オブ・ウェールズが沈み、
極東の最重要拠点シンガポールを失った英国東洋艦隊は
セイロン島のコロンボ基地と天然の軍港トリンマリーへ退避していました。
Trinco Blue by Cinnamonからの朝焼け(トリンコマリー)
日本軍は南太平洋で米・豪遮断を目指す海軍と既にラングーン(ビルマ)を
占領し、全ビルマ制圧を進めたい陸軍との間で意見の対立がありました。
Trinco Blue by Cinnamonからの朝焼け(トリンコマリー)
全ビルマ制圧の為には海上補給路の確保が必須で、その為にはセイロン島を
拠点にしている英国東洋艦隊の攻撃が必要でした。
ヒンズー教の聖地「コネスヴァラム寺院」のある岬
1942年4月5~9日セイロン沖海戦が日本とイギリスの間で起こりコロンボとトリンコマリーの
港湾施設や飛行場などが日本軍によって空襲された。
この戦いを英国側ではIndian Ocean Raidと呼ぶ
Uppuveli Beach
英国東洋艦隊はコロンボ、トリンコマリー、モルディブのアッドゥ環礁を放棄し日本軍のビルマ攻略に
備えてボンベイ(ムンバイ)へ移動、一部はケニアのモンバサやマダガスカルまで後退した。
ドルフィンウォッチングに出発するボート
日本と三国同盟を結びアフリカや中東で連合国と対峙するドイツ、イタリアは後方かく乱の為に
日本に英国東洋艦隊の撃滅を再三要請していたが、その後日本軍はインド洋方面では大規模な
攻撃は行われなかった。
朝の漁に出る漁師Uppveli Beach
1942年8月にガダルカナルに米軍が襲来し、ガダルカナル島の戦いによってソロモン・ニューギニア
が不安定化するとインド洋に割かれる戦力は激減した。