ジパング教
今週の一言 ZIPANG教の社会的意義
ご無沙汰しております。
ZIPANG教、教祖です。
このブログも本当に書かないようになってしまったのですが
今日は宗教の意味について考えていきたいと思います。
いつもより少し難しく、話しのそれたことにはなるのですが
そういえば大事なことを言っていなかったと思いまして
今日はZIPANG教の意義について少し話していきたいと思います。
そもそも今の時代に宗教とは何でしょうか
なんの意味があるのでしょうか
私も宗教家としてもちろん考えるのです。
宗教は心の癒し、考え方を教えその教えを聞いてより良い人生を歩んでいけることを望む行為であります。
しかしそれは精神医学、心理カウンセリングとダブります。
また宗教家は医師免許を持っていないため向精神薬を処方する権限はありません。
もちろん精神医学や薬物療法、カウンセリングと併用できれば言うことはありません。
しかし、逆に医師は診断(診察)をするだけで考え方を教えてはならないのです。
宗教はその医師ができない考え方を教授することによって人生を切り開く道を信者と共に考えていくことが宗教の意義です。
また大きな大義といたしましては
現在民主主義は行き詰まり感が否めません。
民主主義は資本主義がベースとして発展してきました。
資本主義というのはものを売ってその対価として収益を得る方法でのビジネスです。
当たり前かもしれませんがこれが現在では金融資本主義といわれ
金融、インターネット上での仮想空間における価値が増大したことで
土地や生産量にうらずけられたGDPの限界を金融、ネットがクリアして資本主義は成長していきました。
しかしその金融資本主義が行き詰まりを見せているのです。
また金融資本主義は一人勝ちを許す性質があるためその波に乗って富める者は一人で儲かり
波に乗り遅れたものは土地や生産に限界があるためGDPが伸び悩みます。
いつまでたっても豊かになれません。
現在先進資本主義は金融資本主義と従来型資本主義が併用されて運用されている形になっています。
今の行き詰まり感は金融資本主義の行き詰まり
または金融資本主義のバブル崩壊といってもいいのかもしれません。
そんな時代私たちはどう生き、どうしていけばいいのでしょうか。
それを考えるのもZIPANG教の意義ではあります。
現在のところZIPANG教は半金融資本主義(従来型資本主義)への回帰を考えています。
もちろん今日のビットコインで金融そのものも仮想化して生産も金融も仮想の空間の中でさらなる成長を期待することも考えられます。
しかしそれはうまくいきません。
ネットがその例であります。
ネットが出てからパソコンは進化しました。
しかしいい風にも悪い風にも進化しました。
仮想空間の資本主義は常に危うさが伴います。
またいい面の防衛の為に労力が必要です。
結果としてあまり伸びないのです。
ZIPANG教では
生産量にうらづけられたGDPが基本であるという考え方です。(金融資本を否定しているわけではありません)
生産に裏付けられた生産でも少しずつ成長していっていることに注目するのです
ただそれはほんの少しずつの進歩です。
よって社会の行き詰まり感を一気に解決する方法ではありません。
早い話しそのうっぷんを考え方でしのいでいく
我慢しながら地道に成長していこうと呼びかけるのが今日における宗教の社会的意義だとZIAPNG教は考えています。
宗教家として言えば精神の幸福と、金融的豊かさは比例関係にはありません。
精神の豊かさは豊かさを生む考え方から生まれるのです。
地道に一歩一歩進んでいくことがあとから振り返った時成長したと言えるのです。
成長とはそもそもそういうもんだと思うんです。
ですので地道にひたむきに人生を歩まれることをZIPANG教として支援しています。
ZIPANG教祖より