ジパング教

 

今週の一言 全ては数学群で出来ている。

ZIPANG教では世の中は全て数学群で出来ていると考えています。

 

現在の科学を持ってもわからないことはあります。

 

人、心理もそうです。

 

人には法則があり、その法則の複合が人格を形成します。

 

だから、この人ならこの言い方をした方が響くときもありますし

 

または別の言い方で行った方が聞いたりすることもあります。

 

そんなことも当たり前なんですけど、

 

それを一つ一つ分けてみると法則が浮かび上がってきます。

 

法則→方程式→これには数式が存在します。

 

人の心は複雑でありますが数学群の組み合わせなのです。

 

では、これを逆算してみたらどうでしょうか。

 

考え方を変えてみるのです。

 

解けない数式を考え方を変えたら解けた経験ありますよね。

 

これをあらゆるものに応用するのです。

 

そうすると世の中美しいと思えてきます。

 

ここでいう美しいとは数学的にということです。

 

「美しい」ことには理由があるのです。

 

忖度、気持ちを察すること、心理、全て数学的根拠に基いた美しさがあります。

 

理論式はとなると解明されていないことが圧倒的に多いのですが

 

私個人的にはスーパーコンピューター、AIの可能性にかけたいと思っているのですが

 

ただそのわからない社会という数式を考え方を変えて理解しようとすること

 

そして一つ一つを理解していくこと

 

それは生きる上ですごく役立つことだと思います。

 

ZIPANG教祖より

ジパング教

 

今週の一言 ZIPANG教の社会的意義

ご無沙汰しております。

 

ZIPANG教、教祖です。

 

このブログも本当に書かないようになってしまったのですが

 

今日は宗教の意味について考えていきたいと思います。

 

いつもより少し難しく、話しのそれたことにはなるのですが

 

そういえば大事なことを言っていなかったと思いまして

 

今日はZIPANG教の意義について少し話していきたいと思います。

 

そもそも今の時代に宗教とは何でしょうか

 

なんの意味があるのでしょうか

 

私も宗教家としてもちろん考えるのです。

 

宗教は心の癒し、考え方を教えその教えを聞いてより良い人生を歩んでいけることを望む行為であります。

 

しかしそれは精神医学、心理カウンセリングとダブります。

 

また宗教家は医師免許を持っていないため向精神薬を処方する権限はありません。

 

もちろん精神医学や薬物療法、カウンセリングと併用できれば言うことはありません。

 

しかし、逆に医師は診断(診察)をするだけで考え方を教えてはならないのです。

 

宗教はその医師ができない考え方を教授することによって人生を切り開く道を信者と共に考えていくことが宗教の意義です。

 

また大きな大義といたしましては

 

現在民主主義は行き詰まり感が否めません。

 

民主主義は資本主義がベースとして発展してきました。

 

資本主義というのはものを売ってその対価として収益を得る方法でのビジネスです。

 

当たり前かもしれませんがこれが現在では金融資本主義といわれ

 

金融、インターネット上での仮想空間における価値が増大したことで

 

土地や生産量にうらずけられたGDPの限界を金融、ネットがクリアして資本主義は成長していきました。

 

しかしその金融資本主義が行き詰まりを見せているのです。

 

また金融資本主義は一人勝ちを許す性質があるためその波に乗って富める者は一人で儲かり

 

波に乗り遅れたものは土地や生産に限界があるためGDPが伸び悩みます。

 

いつまでたっても豊かになれません。

 

現在先進資本主義は金融資本主義と従来型資本主義が併用されて運用されている形になっています。

 

今の行き詰まり感は金融資本主義の行き詰まり

 

または金融資本主義のバブル崩壊といってもいいのかもしれません。

 

そんな時代私たちはどう生き、どうしていけばいいのでしょうか。

 

それを考えるのもZIPANG教の意義ではあります。

 

現在のところZIPANG教は半金融資本主義(従来型資本主義)への回帰を考えています。

 

もちろん今日のビットコインで金融そのものも仮想化して生産も金融も仮想の空間の中でさらなる成長を期待することも考えられます。

 

しかしそれはうまくいきません。

 

ネットがその例であります。

 

ネットが出てからパソコンは進化しました。

 

しかしいい風にも悪い風にも進化しました。

 

仮想空間の資本主義は常に危うさが伴います。

 

またいい面の防衛の為に労力が必要です。

 

結果としてあまり伸びないのです。

 

ZIPANG教では

 

生産量にうらづけられたGDPが基本であるという考え方です。(金融資本を否定しているわけではありません)

 

生産に裏付けられた生産でも少しずつ成長していっていることに注目するのです

 

ただそれはほんの少しずつの進歩です。

 

よって社会の行き詰まり感を一気に解決する方法ではありません。

 

早い話しそのうっぷんを考え方でしのいでいく

 

我慢しながら地道に成長していこうと呼びかけるのが今日における宗教の社会的意義だとZIAPNG教は考えています。

 

宗教家として言えば精神の幸福と、金融的豊かさは比例関係にはありません。

 

精神の豊かさは豊かさを生む考え方から生まれるのです。

 

地道に一歩一歩進んでいくことがあとから振り返った時成長したと言えるのです。

 

成長とはそもそもそういうもんだと思うんです。

 

ですので地道にひたむきに人生を歩まれることをZIPANG教として支援しています。

 

ZIPANG教祖より

ジパング教

 

今週の一言 自分に自信をもとう(自分のルーツを知ろう)

こんにちは

 

今週は自分に自信を持とうということを書かせていただきます。

 

日本にはいろんな苗字がありますが、自分の苗字ってどうやってできたかわかりますか。

 

苗字の多くは祖先の繁栄の記録だったりするんですね。

 

斎藤さんや菊池さんだったら神社の氏子系の出身だとおもいますし、

 

武田さんだったら一概に言えませんが源氏武士として派生して

 

武田信玄公のように栄えた武田家の末裔かもしれません

 

本田さんや村中さんは士族でないかもしれません。

 

が、どの名前もどこかの社会で必要とされた証なのです。

 

祖先が繁栄した証なのです。

 

1度は自分のルーツということに思いをはせ調べてみるといいかもしれません。

 

そうして先祖の栄華を知ったり想像するとなんだが自分の祖先ってすごいなって思えてくると思うんです。

 

そこからなんとなく自分も頑張らなくてはいけないなーと思うんです。

 

こうしてなんとなく頑張らなくてはならないなーと思うことが大切です。

 

頑張ることに頑張りすぎては息が切れます。

 

なんとなく考えて(感じる)ことが大切なのです。

 

後、先祖がこんな人だったのに自分はこうだなー、本当は自分だってもう少し活躍したいな。

 

そう思うことが大事なんです。

 

日本は宗教が精神論をうえつけるということはありません。

 

また受けうる人しか与えません。信じる者しか救おうとしません。

 

または信じるものでさえ救おうとしずただお金を没収するだけの宗教もあります。

 

ZIPANG教は情報化社会現代において信者という枠にとらわれず少しでも伝播したい。

 

寺や教会に閉じこもって(待ち)、の体制の宗教から能動的な宗教を目指していきたい。

 

そうおもってブログによる届かざる者へえの教授(教えを)をしているのですが、

 

教えが届いてしまった瞬間にそこに受けおる人と送る人が発生し、結局は受けうる人しか教授できませんが、

 

そんなZIPANG教の思想の矛盾はさておき

 

今週は自信を持とうという話だったので

 

祖先や自分のルーツを調べてみるといいかもしれませんという話でした。

 

ZIAPNG教祖より