原題:Letters from Iwo Jima、言語:日本語・英語、
公開:2006(平成19)年、製作国:アメリカ、
時間:141分、監督:クリント・イーストウッド、
出演者:渡辺謙、二宮和也、伊原剛志、中村獅童
太平洋戦争では昭和20年2月から3月にかけ、硫黄島での日米攻防戦がありましたが、その戦いを日本軍側から映し出すという、アメリカ映画としては画期的な視点の映画です。
実在の人物としては、陸軍では最高指揮官であった栗林忠道中将、ロサンジェルスオリンピック馬術で金メダリスト、かつ戦車第26連隊の連隊長、 西竹一中佐などが登場します。
海軍では第27航空戦隊司令官として硫黄島に着任した市丸利之助少将が実在しましたが、他の軍人たちは架空の人物とされています。
だから硫黄島の戦いのメインストリームは史実通りですが、仔細なエピソードは創作ということになります。
この映画で興味深かったのは、帝国陸海軍の確執ですね。硫黄島の守りは陸海軍双方で行っていたのですが、特に海軍が悪役として、陸軍の作戦を阻む場面が随所に憚ることなく展開されます。
これはアメリカ映画ならではの話で、日本映画だったら悪役海軍のストーリー仕立ては難しかったかもしれません。何故かは後ほど述べますが・・・。
映画は昭和19年夏頃から始まります。栗林中将が硫黄島に赴任してきて、昭和19年6月に行われたマリアナ沖海戦について語っているからです。
マリアナ沖海戦は大本営発表では帝国海軍の勝利と報道されていました。実はこれも虚報で、海軍は大敗北を喫していたのですが、当時の真相は国民にも、陸軍側にさえも知らされていませんでした。
栗林指揮官もそれを知らず、最初は連合艦隊を頼みにしていたのですが、西竹一中佐からこっそり内情を知らされ慨嘆します。
栗林「大本営は、国民だけじゃなく我らも欺くつもりなのか・・・」
このような海軍の虚報を真に受けて、陸軍の作戦もその上に立脚していましたから、作戦計画と実際の戦果との間にギャップが広がっていきます。
この状況が昭和19年のマリアナ沖海戦→台湾沖航空戦→レイテ沖海戦へと続き、日本は制空権、制海権を失います。そして昭和20年2月に始まる硫黄島の戦いにおいて、機動部隊を喪失した海軍には、もはや飛ばすべき飛行機がなくなっていました。
それでもなお、海軍は硫黄島の千鳥飛行場の確保と、米軍上陸の際には水際で邀撃すべきという水際作戦を主張し、陸軍の栗林指揮官と激しく対立していました。映画でもこの場面が随所に出てきます。
一方栗林中将は、全島の施設を地下で結ぶ坑道を掘り、米軍とゲリラ戦に持ち込むことを計画していました。
というのは、マリアナ沖海戦の前哨戦である、サイパンの戦い(昭和19年6月)で日本軍は水際作戦を取った結果、日本軍守備隊は米軍によって全滅させられた前例があるからです。
結局米軍上陸の際は、栗林中将発案の坑道を利用した持久戦が功を奏するのですが、他方海軍が死守を唱えていた飛行場周辺は、わずか10数機の飛行機と共に、早々と壊滅してしまいました。
架空の軍人役として、中村獅童さんの伊藤海軍大尉。この人、軍人役がよくハマりますね。だから戦争映画での出番も多いんでしょう。
横暴な海軍士官役を演じています。相手が陸軍中佐でも構わず突っかかっていきます。実際に、こういう階級を超えた争いってできたんでしょうか。稀にヤクザな下士官兵にはいたようですが、この人、海兵を出た士官ですからね~。
これは西陸軍中佐(左)と、よく見えませんが右の伊藤海軍大尉(ヘルメット)が一触即発でケンカになりそうな場面です。
海軍士官なのに、陸軍兵に言いがかりをつけて脅す場面。この何かと理不尽な振る舞いをする伊藤海軍大尉の存在自体が、映画での海軍のイメージを象徴しているように見えます。
伊藤大尉、最後はヤケになって「爆弾と共に戦車に飛び込む」と戦列を離れ待機していました。が、結局戦車は来ず、米軍の捕虜となるという当時でいえば不名誉な結末となってしまいました。
この映画では暗に良くないイメージを見せることで、帝国海軍を批判していますね。実際、陸軍では協力ぜず失態を繰り返していた海軍に業を煮やし、栗林中将は参謀本部に海軍の無能・無策振りを痛烈に批判していましたから。
後編に続きます。