過激な動物保護・ベジタリアン運動の弊害 | 太平洋戦争史と心霊世界

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海軍を中心とした15年戦争史、自衛隊、霊界通信『シルバーバーチの霊訓』、
自身の病気(炎症性乳がん)について書いています。


サル温泉 


 以前、ベジタリアン運動について、「自分がベジタリアンになったのは、ネットで動物殺害を咎める過激でキツい文章が無視できなくなったのがきっかけだった。だから運動も過激にやった方が成功する」というお話を聞きました。

 

 これに対する私自身の見解をまだ表明していませんでしたので今回掲載しました。ちなみに私自身は肉がもともと嫌いな事と、動物愛護の理由もあり、日常生活では肉は食しません。

 

 まず前置きとして、人は自分の成功体験に基づいて自分が成功したことを再度繰り返せば、うまく事が運ぶと思いがちです。しかし時代の変遷や環境・状況の違いにより成功確率も違ってきますから、体験至上主義は危険ではないでしょうか。

 

 過激なベジタリアン推進活動とは、ネットなどで肉食する人間を誹謗・糾弾して叩き、見る者に居心地の悪い状態を作らせる運動をここでは指しています。

 

でも考えてみてください。過激派は派手な活動で、もともと肉食に罪悪感を持っていた少数派は取り込めるかもしれません。ところが多数派にはソッポを向かれるという、全体としての活動を衰退させているようにも見えます。

 

巷では政治運動でも、超保守派の過激な活動を見かけます。隣国憎しのあまり、誹謗中傷を繰り返し下卑た活動に見せる、これと同様なのです。

 

過激に相手を叩けば叩くほど、世間でのその団体に対しての評判は悪くなり、普通の社会常識を持った人は離れていきます。


なまけもの 

 

あと過激なベジタリアン活動家の中には、人間嫌いのような方を一部に見かける気がするのですが、間違っていましたらすみません。

 

ある人々の興味の対象は、自分の思い通りにならない人間関係よりも、概して言う事を聞いてくれる動物へと向かいます。

 そして自分を疲れさせる人間は、すなわち動物の敵でもある、というように人間関係でダメージを受けた腹いせとして「肉食者対ベジタリアン」という対立構造を勝手に構築し、わざわざ敵対感情を煽っているようにも見えます。

 

これが人間側を糾弾して過激に叩く心理の一部になっているのではと懸念しています。心理学でも「投影性同一視」という原理で説明ができる心理です。 つまり「肉を食べていた自分が許せない」ため、「肉を食べる他人も許せない」のです。

 

動物に愛を注げるのでしたら、「動物への愛=100%、人間への愛=0%」ではなく、もう少し人間側にも思いやりを持った言葉で訴えていただけないものでしょうか。


うさぎ 

 

ではどのような文章を書けば一般人の反発を招かずに済むのでしょうか。これは各自の感受性はまちまちのため一概にこれが良い、とは言えませんが、あるブログの動物愛護記事に感心したことがあります。

 

それは動物虐待の事実のみを記述し、書き手の感想やこうあるべき、という本人の見解を一切排除した文章でした。

 

動物実験等のひどい現状を写真で知らせるのは良いと思います。事実は事実ですから、事実に対し読み手もそれを否定することはできません。

 

ただ、自分の感想や「可愛い動物を虐待してひどい」という感情的批判を織り込んでしまうと、「では可愛くなければよいのか」などという反発を招きやすくなるのかもしれません。

 

 動物愛護活動家の方も本来は素晴らしい活動をされているのですから、イソップ物語の『北風と太陽』のような戦略を持てば、より良い運動に発展するのではないでしょうか。