
太平洋戦争で学徒出陣し戦病死した学徒兵の日記・遺書などをご紹介します。
■松永茂雄(陸軍・享年25歳):昭和15(1940)年5月刊行の松永龍樹(弟)編集、「学徒兵の手記」より
学徒兵メモ
学徒は真理の使徒である。学徒の愛国は国家の真実を護ること。学徒の魂は真実のない国家よりも、国家のない真実を求める。
対国家の問題だけではない。対人、対社会すべてそうである。伝統も権力も学徒に盲従や屈従を強いることはできない。
■大塚昴夫(海軍、特攻にて戦死、享年23歳):昭和20(1945)年4月21日の日記より
はっきり言うが俺は好きで死ぬんじゃない。何の心に残る所なく死ぬんじゃない。国の前途が心配でたまらない。いやそれよりも父上、母上、そして君たちの前途が心配だ。心配で、心配でたまらない。
皆が俺の死を知って心定まらず悲しんでお互いにくだらない道を踏んで行ったならば、俺は一体どうなるんだろう。
皆が俺の心を察して今まで通り、明朗に仲良く生活してくれたならば俺はどんなに嬉しいだろう。
君たちは三人とも女だ。これから先の難行苦行が思いやられる。しかし聡明な君たちは必ずや各自の正しい人道を歩んでゆくだろう。
俺は君たちの胸の中に生きている。会いたくば我が名を呼び給え。
■中村勇(陸軍・享年21歳):1943(昭和18)年10月8日の日記より
私は限りなく祖国を愛する
けれど
愛すべき祖国を私は持たない
深淵をのぞいた魂にとっては・・・
■長谷川信(陸軍、特攻にて戦死、享年23歳):昭和20(1945)年1月18日の日記より
人間は、人間がこの世を創った時以来、少しも進歩していないのだ。
今次の戦争には、もはや正義云々の問題はなく、ただただ民族間の憎悪の爆発あるのみだ。
敵対し合う民族は各々その滅亡まで戦を止めることはないであろう。
恐ろしき哉、浅ましき哉。
人類よ、猿の親戚よ。