キリスト教徒となった軍人(2)-石井四郎・片山日出雄 | 太平洋戦争史と心霊世界

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自身の病気(炎症性乳がん)について書いています。


軍艦での着任挨拶 


 ここでは戦後キリスト教に帰依した元軍人、またはキリスト教信者となった帝国軍人をご紹介しています。

 

 キリスト教について特に取り上げる理由は、私自身がたまたまキリスト教に馴染みが深いからであり、これにより宗教への勧誘・誘導しようという意図はありません。

 

ご要望がありましたら、日蓮宗に傾倒した石原莞爾など、キリスト教者以外の人物伝も掲載します。

 

 

■石井四郎 731部隊の隊長



石井四郎 

石井四郎:18921959年、享年67
 

 

 陸軍軍医中将。京都帝国大学医学部を卒業。細菌学、衛生学、病理学で博士号を取得。細菌兵器を研究していた731部隊の隊長。満州での人体実験の問題に関しては、証拠記録が今も未発見状態であり真相は謎のままです。

 

 野心家で医学部を首席で卒業したものの、軍医は中将までしか昇進できないことに不満を持ち、出世のため次々と革新的な研究に取り組みました。上昇志向が著しく、身長180cmの体格と相まって、人柄にも風変わりで尊大な側面が見られました。

 

 彼は飲料水のための「石井式濾過機」を発明し、自ら尿や汚水から濾過した水をデモンストレーションで飲んで見せたなどの奇談が残されています。

 

 石井は戦後、米軍占領下で取引により731部隊を戦犯免責させました。そんな彼も晩年は己の人生に咎を感じたのか、禅に深く傾倒し、禅僧のような暮らしを送っていました。

 

 石井の娘である石井春海氏は、

 

「死の直前、父は上智大学の学長になられたヘルマン・ホイヴェルス神父に洗礼をお願いしていました。ホイヴェルス神父とは戦前から個人的に親しかったのです」

 

 と回顧しています。結局石井四郎は生涯において栄達を渇望するも、良心の呵責には最後まで耐えきれなかったのかもしれません。彼は1959(昭和34)年10月、喉頭ガンのため死亡しました。



   柊 柊      柊 柊      柊 柊

 

 

■片山日出雄 ・冤罪で戦犯として処刑された海軍大尉



片山日出雄 

片山日出雄:19191947年、享年29


 

 片山日出雄の名前は広く知られていないかもしれませんが、冤罪によりBC級戦犯として処刑された海軍大尉です。

 

 片山は昭和17年、東京外語大学を卒業。海軍予備学生一期として181月にインドネシア・セラム島西アンボンで通信少尉として勤務後、中尉に昇進。199月、大本営暗号長として内地勤務となりました。

 

 終戦後の212月、戦犯の容疑で巣鴨に収容されました。昭和193月頃、片山大尉が当時駐在していたセラム島西アンボンで、オーストラリア空軍捕虜4人が不法に斬首処刑された「スコット事件」がありました。この処刑指揮・執行の容疑者と目されたのです。

 

 収容所は巣鴨拘置から日を置かず、モロタイ島刑務所に移送され、裁判からわずか4日後に死刑の判決が下っています。昭和215月にはラバウルに移動し、豪軍下にある刑務所へ収容となりました。

 

 以後昭和2210月の処刑まで、片山大尉は語学堪能なため通訳として使役され、最期に銃殺刑によりラバウルの地で散華しました。

 

 片山大尉は英語習得のため通い始めた広島教会で、中学二年の時にキリスト教の洗礼を受けています。彼がわずか十代の若き日に何故自ら受洗したのか、動機はつまびらかにされていません。

 

残された記録を辿ると、彼がラバウル収容所で銃殺刑に臨みつつも、なおかつ虚心坦懐の境地に留まれたのは、信仰を支えとしていたためのようです。手記からは彼の家族・同僚を細やかに思いやる清廉・廉直な人柄が垣間見えます。

 

しかしそれ故に、権謀術数に長けた高級士官の身代わりとして処刑され、無念にもラバウルの露と消えてしまった側面も否めないと指摘されています。

 

 

 

・『731』-石井四郎と細菌戦部隊の闇を暴く、青木富貴子、新潮文庫、2008

・『ラバウルの黒い雨』-いわれなき罪海軍大尉片山日出雄、川上 清、文芸社、2013