久里浜駐屯地・歴史資料館 【横須賀】 | 太平洋戦争史と心霊世界

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 先週は久里浜駐屯地の記念行事がありましたが、その際に歴史資料館も見学しました。その時の内容をご紹介します。



「海軍通信学校跡」の石碑 

敷地には「海軍通信学校跡」という石碑がありました。

 

 久里浜駐屯地の由来は昭和13年、海軍通信学校が創設されたことに始まります。戦後は復員局や米軍の施設となり、警察予備隊を経て陸上自衛隊の駐屯地となりました。



歴史資料館の入口  こちらが歴史資料館の入口です。結構中は混んでいました。


展示室1  中は先月見学した海自の館山基地の史料館より小規模です。


展示室2 

展示室はこれが全てですね。旧陸海軍の展示品は全体の二分の一位以下でしょうか。イケメンの自衛官さんが偶然写ってしまいました。


海軍・短波受信機  「海軍 短波受信機 九二式特受信機改四」

 

「海軍の代表的受信機。昭和7年(1932年)に長・短兼用の受信機を潜水艦用として開発された受信機であるが、動作・使い勝手が良好であった為、大戦を通し海軍の全艦艇及び陸上局で使用された」


海軍の通信機器  元海軍の通信学校だっただけあって、海軍の通信機器の展示品が多いです。

 

 海軍の通信学校は戦後、陸上自衛隊の通信に特化した駐屯地となったのですから、旧海軍の伝統を陸上自衛隊が引き継いだということなのでしょうか。

  でも陸自自体は米軍の意向で退役陸軍軍人は採用できませんでした。


展示品 

 そうすると戦後警察予備隊の創設から、陸上自衛隊まで通信関連業務はどうやって隊員に教えたのでしょうね。旧海軍軍人は陸自には入隊可能だったのでしょうか。

 

 ちなみに海軍航空参謀であり、国会議員にもなった有名なG氏は戦後航空自衛隊に入っていますね。それで海軍時代の責任を取らない奴が来たと、嫌がられたとかないとか・・。


校歌とペンネント  海軍通信学校の校歌とペンネント


第三種軍装  保存状態の良い大尉の階級の付いた第三種軍装。

 

青褐色と言われますが、カーキとも緑灰色とも言える微妙な色です。画像は修正なしでそのままの色を載せています。



海軍精神注入棒  海軍精神注入棒。


海軍精神注入棒2  いわゆる今でいう罰を受ける際の「ケツバット」ですね。大分年季が入っていて真ん中辺が擦れています。


バッター:叩く 海軍では「バッター」と呼ばれる制裁がありました。画像は映画からですがその場面。


海軍の生活風景  「海軍の生活風景」と書いてあるのに、写っているのは陸軍みたいな気もしますが・・・。


山下奉文の書簡  陸軍大将・山下奉文(ともゆき)の書簡。

 

由来:「この書信は故山下奉文閣下が昭和1810月、新設の陸軍少年通信学校長に栄転された高木正実大佐に宛てて書かれたものである。

  同大佐のご子息である高木元
2
佐より譲り受け、この書信が陸上自衛隊通信学校に永く保存されることを心から喜ばれた」


海軍のバッグ  海軍のバッグ、双眼鏡、海軍報道部の腕章。


歴代通信機器 
  旧陸海軍以外では陸上自衛隊をはじめ、ソ連や米国の歴代通信機器が主に陳列されていました。

 

 私のように通信機器が「ハコがたくさん並んでいるようにしか見えない」という原始人型タイプから (^▽^;) 、興味深く機材を見学される専門家や学生の方まで色々いらっしゃるのでしょうね。

 

久里浜は通信が専門の駐屯地ですから、展示物もやはり通信機材がメインとなっている歴史資料館でした。



■ペリー公園・ペリー記念館

 

http://p.tl/hYOo

 

 久里浜駐屯地から歩いて5分ほどの場所に、ペリー記念館というペリー来航に関する小さな資料館(無料)があります。ついでにいかがでしょうか。



ペリー上陸記念碑 

ペリー公園にあるペリー上陸記念碑。どこかで見たことがあると思ったら、小学校の遠足で来たのを忘れていました。