生き残った者の罪悪感(サバイバーズ・ギルト) | 太平洋戦争史と心霊世界

太平洋戦争史と心霊世界

海軍を中心とした15年戦争史、自衛隊、霊界通信『シルバーバーチの霊訓』、
自身の病気(炎症性乳がん)について書いています。


大和の沈没 


 戦後まで生き残った戦争体験者には、しばしば「自分は死ぬべきだったのに生き残ってしまった」という後悔の念を持ちながら生きている方が多かったことに気付きます。

 

このような心理は一種の自虐史観の延長ではないかと疑念を持つ向きもあるかもしれませんが、実はこれは心理学的には、サバイバーズ・ギルト」(Survivor's guilt)という一種のPTSDになります。

 

 サバイバーズ・ギルトとは、1960年代にナチのホロコースト生存者の間で初めて認められた心理状況で、大勢が死ぬ中で生き残った生存者が

「自分は何故生き残ったのか」、「何故周りの人を助けられなかったのか」、「生き残ってしまい申し訳ない」


と罪悪感を持ち、自分を責める心理状態に陥ることです。

 

 症状として罪悪感のほかに、不安・鬱状態、睡眠障害、引きこもり、身体愁訴、悪夢、情緒不安定などが報告されています。 

 

サバイバーズ・ギルトは戦争だけではなく、テロ攻撃、飛行機事故や自然災害、大量解雇、HIVAIDSなどの伝染病で生き残った人たち、また自殺者の近親者の間にも同じ感情が認められます。

 

日本では最近2011年の東日本大震災の津波で、生き残った生存者の間にこの症状が広まったことで有名になりました。

  過去には
2001年の附属池田小事件、2005年のJR福知山線脱線事故でも生存者の間に「サバイバーズ・ギルト」が確認されています。


大和沈没 

 

ここでは昭和20年に戦艦大和の沖縄特攻から生還した復員軍人の「サバイバーズ・ギルト」をご紹介します。以下は元高角砲員の坪井平二氏の証言です。

 

「『戦友はみな死んだのに、俺は死にぞこないだ』。レイテ、沖縄特攻と修羅場を経験したことで、神経がささくれ立っていた。

 

その後、病気で弟が亡くなったとき、泣いている姉を怒鳴り上げた。『泣いて生き返る奴がいるか!』『本当なら、いたわって当然です。まともな感覚じゃなかった』。坪井が振り返る。

 

 戦後しばらくは、大和体験を他人に話す気にはならなかった。『死にぞこないの自分と向き合うのがつらかった』からだ。」

 

やはり戦艦大和で沖縄特攻に出撃し、映画『男たちの大和』の主人公モデルとなった八杉康夫氏も、JR福知山線脱線事故を引合いに出しこう述べています。

 

「ましてや事故とは違い、みんなで死を覚悟して特攻攻撃に向かい、多くが本当に死んだのに、自分が生き残ってしまったことへの罪悪感は、どうしようもなく大きいものでした」


特攻 

 

 私自身も招集された戦争体験者からお話を聞いたことがあります。一人の方は「あの戦争で死ぬはずだったのに、出来損ないばかりが生き残った」と、自分が生き残ったことを自虐的に表現されていました。

 

 また別の方は戦時中に陸軍に招集され、千葉で防空壕を掘ったりしていたそうですが、「一緒に作業していた者に朝鮮人が混じっており、彼らは日本に無理やり連れてこられたのだから、強制連行があったのは間違いない」と言われていました。

 

 当時の朝鮮は日本に属しており、彼らも日本人扱いであったのですから、この場合朝鮮人だけの強制連行とは言えないのではないかと疑問に思ったのですが、結構戦争体験者の方にはこのような考え方、いわゆる自虐史観を持つ方も多いようです。

 

 自虐史観も米国の戦後戦略で広まったとも言われますが、実はこの「サバイバーズ・ギルト」も、多少影響しているという可能性はないでしょうか。

 

あまりにも国内外で死者が多かったため、必要以上に日本に引け目を感じるという心理も、戦争体験者の中には存在するのかもしれません。

 

 

 

・サバイバーズ・ギルト(ウィキペディア)

Survivor guilt  from Wikipedia

・『戦艦大和』-生還者たちの証言から、栗原俊雄、岩波書店、2007

・『戦艦大和最後の乗組員の遺言』、八杉康夫著 粟野仁雄構成、ワック、2005