山本五十六の長男である山本義正氏が、子供の視点から描いた父親としての山本五十六のエピソードです。
【家事手伝い】
「父(山本五十六は)、よく私(義正氏)のオシメを取りかえてくれたそうである。もともと器用なところのある父は、母を手伝って、私のオシメを取りかえたり、また、手際良く湯を使わせてくれることがあったと、水野さん(母親のいとこ)が語っている。
あるいは、洗濯して、干しあげられた山のようなオシメを、父は丹念に一枚ずつ皴をのばし、それを交互に重ね合わせて、取りかえるときにすぐまにあうよう、一組ずつセットする役を受けもっていたとも聞く。」
【練習熱心】
「父は私を相手によくキャッチ・ボールをしたが、グローブをはめる左手に(負傷の為)指が三本しかないことで、最初のうちは捕球のたびにエラーをすることが多かった。しかし、持ちまえの練習熱心でめきめき上達してしまった。
もともと、父は学生時代から野球が好きで、長岡中学では遊撃選手をやっていたくらいだから、素質はあったようだ。
(私が高校へ進学したころには)父の球は、50歳をすぎた者と思われぬほど速く、そして重かった。私はしばしばグローブをはめた左手がしびれるように感じることもあった。それで、父より10センチ以上も背が高い私が力まかせに投げ返しても、父は平気で片手で捕ってしまうのだった。」
【食 事】
外では社交の付き合いでフランス料理などの洋食を取る山本も、家では普通の家庭料理を喜んで食べていました。
「いつも、子どもと同じものを食べたが、たまに、母が父だけに特別の料理を一品つけると、父はそれを小さくとりわけて、みんなの皿に配ってくれたものだ。」(注1)
(注1)映画『聯合艦隊司令長官 山本五十六』(2011年)でもこの描写が出てきます。
「父は、若いときはかなりの大飯食いだったように思う。後年、ふとりぎみになったせいか、節食しているように思えたが、それ以前、私が小学生のころは、そうとうのスピードで三杯から四杯もおかわりをしていた。」
『父 山本五十六』-家族で囲んだ最後の夕餉、山本 義正、恒文社、2001年