父・山本五十六 -マメで子煩悩 | 太平洋戦争史と心霊世界

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海軍を中心とした15年戦争史、自衛隊、霊界通信『シルバーバーチの霊訓』、
自身の病気(炎症性乳がん)について書いています。


五十六少尉
少尉時代の山本五十六

 

 

 山本五十六の長男である山本義正氏が、子供の視点から描いた父親としての山本五十六のエピソードです。

 

 

【家事手伝い】


 

 「父(山本五十六は)、よく私(義正氏)のオシメを取りかえてくれたそうである。もともと器用なところのある父は、母を手伝って、私のオシメを取りかえたり、また、手際良く湯を使わせてくれることがあったと、水野さん(母親のいとこ)が語っている。

 

 あるいは、洗濯して、干しあげられた山のようなオシメを、父は丹念に一枚ずつ皴をのばし、それを交互に重ね合わせて、取りかえるときにすぐまにあうよう、一組ずつセットする役を受けもっていたとも聞く。」

 

 

【練習熱心】

 

 「父は私を相手によくキャッチ・ボールをしたが、グローブをはめる左手に(負傷の為)指が三本しかないことで、最初のうちは捕球のたびにエラーをすることが多かった。しかし、持ちまえの練習熱心でめきめき上達してしまった。

 

 もともと、父は学生時代から野球が好きで、長岡中学では遊撃選手をやっていたくらいだから、素質はあったようだ。

 

 (私が高校へ進学したころには)父の球は、50歳をすぎた者と思われぬほど速く、そして重かった。私はしばしばグローブをはめた左手がしびれるように感じることもあった。それで、父より10センチ以上も背が高い私が力まかせに投げ返しても、父は平気で片手で捕ってしまうのだった。」


 

家族との食事の場面  映画『聯合艦隊司令長官 山本五十六』での家族との食事の場面


 

【食 事】

 

 外では社交の付き合いでフランス料理などの洋食を取る山本も、家では普通の家庭料理を喜んで食べていました。

 

 「いつも、子どもと同じものを食べたが、たまに、母が父だけに特別の料理を一品つけると、父はそれを小さくとりわけて、みんなの皿に配ってくれたものだ。」(注1)


 

(注1)映画『聯合艦隊司令長官 山本五十六』(2011年)でもこの描写が出てきます。

 

 「父は、若いときはかなりの大飯食いだったように思う。後年、ふとりぎみになったせいか、節食しているように思えたが、それ以前、私が小学生のころは、そうとうのスピードで三杯から四杯もおかわりをしていた。」

 

 

 

『父 山本五十六』-家族で囲んだ最後の夕餉、山本 義正、恒文社、2001