戦時下のジョーク集(9)-「その筈(はず)」 | 太平洋戦争史と心霊世界

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海軍を中心とした15年戦争史、自衛隊、霊界通信『シルバーバーチの霊訓』、
自身の病気(炎症性乳がん)について書いています。


野アザミ 



昭和の戦時中に出版されたジョーク集です。

 

 

●「その筈(はず)」

 

 娘に肩を揉ましていた母親、

 

 「ああ、いい気持ちになったよ。お蔭で疲れはすっかりどこかへ行っちまったよ」

 

 「その筈ですわ。疲れは皆私の方へ来ちまったんですもの」

 

 

(『日の出』新潮社、昭和17年9月号)

 

 

●「我に不可能の語なし」

蒋介石 
蒋介石


A「重慶からの報道に依ると、蒋介石は外人記者に対して『余の軍隊は不可能という語を知らぬ』と大見得を切ったそうだな」

 

B「それは御尤(ごもっと)もだ。重慶軍には自分の名前さえ書けない奴が多いんだから、そんなむずかしい字は知らないだろう」

 

 

(『富士』大日本雄弁会講談社、昭和19年3月号)

 

【解説】実際に当時の中国兵の間では文盲率も高かったようです。

 

 

●「倅(せがれ)殿」

 

 戦線で二等兵の父親と少尉の息子がバッタリ出会いました。

 

息子「お、お父さん」

 

父「ハッ!これは以外、上官殿は倅(せがれ)殿でありますか」

 

 

(『日の出』新潮社、昭和17年9月号)

 

【解説】実際にこのようなケースもあったようで、海軍では一例として、兵学校出の息子(大尉)に敬礼する特務士官(少尉)の父親などの描写も登場します。