
昭和の戦時中に出版されたジョーク集です。
●「その筈(はず)」
娘に肩を揉ましていた母親、
「ああ、いい気持ちになったよ。お蔭で疲れはすっかりどこかへ行っちまったよ」
「その筈ですわ。疲れは皆私の方へ来ちまったんですもの」
(『日の出』新潮社、昭和17年9月号)
A「重慶からの報道に依ると、蒋介石は外人記者に対して『余の軍隊は不可能という語を知らぬ』と大見得を切ったそうだな」
B「それは御尤(ごもっと)もだ。重慶軍には自分の名前さえ書けない奴が多いんだから、そんなむずかしい字は知らないだろう」
(『富士』大日本雄弁会講談社、昭和19年3月号)
【解説】実際に当時の中国兵の間では文盲率も高かったようです。
●「倅(せがれ)殿」
戦線で二等兵の父親と少尉の息子がバッタリ出会いました。
息子「お、お父さん」
父「ハッ!これは以外、上官殿は倅(せがれ)殿でありますか」
(『日の出』新潮社、昭和17年9月号)
【解説】実際にこのようなケースもあったようで、海軍では一例として、兵学校出の息子(大尉)に敬礼する特務士官(少尉)の父親などの描写も登場します。