父・山本五十六 -不器用な性格 | 太平洋戦争史と心霊世界

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海軍を中心とした15年戦争史、自衛隊、霊界通信『シルバーバーチの霊訓』、
自身の病気(炎症性乳がん)について書いています。



  山本五十六の長男である山本義正氏が、子供の視点から描いた父親としての山本五十六のエピソードです。


枯れ木と夕月 


【短時間睡眠】


 

 「家で、いつもいちばん遅く床につくのは父(山本五十六)で、いちばん早く目覚めるのも父だった。

 

毎朝、暗いうちに、お手伝いさんや家族よりも早く目ざめ、書類を見たり、電話に出るのが父の一日の最初の行事であった。それから手洗いと洗面をすませ、書斎に入って瞑想するのである。

 

 時間の使い方に関して独特の才能を持っていた父は、おどろくほど短時間の睡眠でこと足りる人だった。

 

海軍大学で勉強した青年時代から、父の短い睡眠時間は有名で、いっしょにつきあわされる人たちを、いつも辟易させたという類(たぐい)のエピソードがたくさん残っている。」


昭和17年のお正月  昭和17年の正月(映画より)


【不器用な父】

 

 山本義正氏が中学一年の正月の出来事。親類の来訪者と家族がにぎやかに新年の食事をしていましたが、彼は風邪をひいて一人別室で床に伏せっていました。

 

 「ふと、背後に人に気配を感じて、ふり向くと、和服を着た小柄な父が、私の枕もとから90センチほど離れたところに立って、じっと見下ろしているのであった。私は一瞬びっくりして、

 

 『あ・・・。』

と小さな声をあげた。が、それ以上に父の方が、なぜかどぎまぎしていて、悪いところを見つけられたかのように、ちょっとバツのわるい顔をしていた。

 

 『早く元気になれ。』

 ぶすっとそれだけ言うと、父はすたすたと部屋から出ていってしまった。

 

父の立ち去ったあとに、新しい鉢植えの花がひとつ置いてあるのに気づいたのは、しばらくたってからである。父は、そんなふうにしか愛情を表現できない、不器用な親父だった。」