
今度の衆議院選挙では多数の政党が乱立することになりました。しかし政党が沢山できても同じ思想傾向の場合、政策もそろって金太郎飴 みたいに多様性がないのでは困りものです。
なぜ日本の政党は左派だったら信条や政策がほとんど同じなのでしょうか。
・左派:皇室を敬わない、日の丸・君が代反対、嫌米、親中韓、原発・核兵器反対
・右派:皇室を敬う、日の丸・君が代に敬意を払う、親米、嫌中韓、原発・核兵器推進
日本の右派・左派はお互いの信条にことごとく対立する形式を持っています。ところが北海道大学で政治学を教える中島岳志(たけし)氏によると、日本の右派・左派は本来の言葉の定義からはずれているそうです。以下が正しい定義です。
【本来の左派(リベラル)】
人間の理性によってエリートが合理的なモデル社会を作っていくことを理想とする進歩主義。例としてフランス革命後のフランスや、満州国など人工的ともいえる国家。
【本来の右派(保守)】
極端を嫌い、人々が昔から培ってきた常識や経験値を生かして、徐々に社会を変えていこうという傾向を持つ。復古主義や反動主義ではない。
これら本来の定義と比べると、日本での右派・左派は形式主義に陥っているような印象を受けるのです。
時々左右両派の方々のブログを拝見しますが、中には自分は右派なのだから、とにかく原発賛成、原発反対派は全部在日だ!と決めつけているようなブログがあります。
自分がどう考えるかではなくて、右派なんだから、とりあえず「右派」の枠内に入る主張をしておこう、という感じでしょうか。
私も脱原発デモに参加することがありますが、その途上でも時折そういう方を見かけます。そして「在日は出て行け!」と罵声を浴びせられ、デモ隊はその間、全員国籍が韓国 ・北朝鮮人
ということになっています。(^_^;)
デモ中にこういう方々が待ち構えていることがあります。
一方脱原発デモに参加しても、いわゆる左派なのか、「米軍基地をなくせ!」、「尖閣は中国と共同経営を!」 などのプラカードを持っている人がいて違和感を感じます。(本当は「脱原発」以外のスローガンはデモでは規則違反なのですが)
なぜ脱原発と反米・親中韓は一セットでないといけないのでしょうか? 熟考すれば、この2つが一緒であらねばならない理由はないはずです。
例えば反原発、日米同盟肯定、君が代・日の丸 OK という人間 がいてもおかしくないと思うのですが、既に「右派」「左派」という枠組みが出来ていて、そこから出てはいけないみたいな雰囲気が日本にはあります。
大体、日本文化は茶道 や武道
しかり、何でも型を作ってそこから入っていく傾向がありますが、思想傾向もこの影響を受けて金太郎飴になっているのではと推察しています。
最初から右派・左派という規定の枠があるから何でもそれに従う、大勢の人がこうだから同じにするではなくて、もう少し自分固有の考えを大切にした方が良いと思うのですが、いかがでしょうか。
私自身は国家など大枠の問題では、何が日本国民全体にとって良いかで方向を決め、従来の派閥には拘泥しないことにしています。