戦艦「大和」の水上特攻作戦がそもそも決まったきっかけは、軍令部総長の及川古志郎大将の不注意でした。
軍令部総長、及川古志郎大将
「それは、及川古志郎大将が、沖縄の陸軍第三十二軍の総攻撃に呼応しての海軍の特攻作戦『菊水一号作戦』(注1)について、大元帥である昭和天皇に奏上した際、天皇から『航空部隊だけか?』とのご下問を受けたのに対し、ときの成り行きから、『海軍の全力を投入する』と奉答してしまい、引っ込みがつかなくなってしまった。」
注1)昭和20年4月6日~11日、沖縄方面にいた米軍の進攻を阻止するため、九州の航空基地から陸軍・海軍機が特攻をかけた作戦。
そして困った及川が連合艦隊司令長官の豊田副武大将に泣きつき、司令部の先任参謀であり、「神(かみ)さん神がかり」と呼ばれる神重徳(かみ・しげのり)大佐が特攻作戦を発案し、バタバタと決まってしまいました。
連合艦隊司令部の先任参謀、神 重徳大佐
本来ならこの作戦決定のスタッフは軍令部作戦部長の富岡定俊少将、連合艦隊参謀長の草鹿中将、作戦参謀三上(みかみ)中佐などでした。
ところが、かねてから戦艦の適地突入作戦を訴えていた神(かみ)参謀に、頭越しに決められてしまいました。
この神がかり的特攻は非常に唐突でお粗末な作戦であり、面子や越権行為などが入り混じり、日本海軍の不合理性のツケの集大成が、この沖縄への大和出撃で噴出したと言われています。
この作戦に対し伊藤整一長官は、強硬に反対を表明しました。もともと伊藤は特攻の発想には反対でした。沖縄突入が成功する公算はほとんどない、その代償として将兵7千名と艦艇10隻を失うのは、余りにも犠牲が大きいと反論しました。
また作戦の目的が、大和を米軍の囮としてカミカゼ特攻の戦果を拡大させるためなのか、捨て身の突入が目的なのかを納得するまで執拗に問い続けました。
伊藤長官が沖縄特攻に反対し一歩も引かないため、最後に草鹿参謀長が説得に当たりました。
連合艦隊参謀長、草鹿中将
草鹿中将は神参謀の上司ですが、彼が出張で不在中に神が大和突入を勝手に発案して決めてしまったため、この説得役になることにも憤慨していました。草鹿参謀長は、
「要するに死んでもらいたい。いずれ一億総特攻ということになるのであるから、その模範となるよう、立派に死んでもらいたいのだ」
と本音を明かしました。すると長官は、
「それならば何をかいわんや、よく了解した」
と応じ、特攻出撃命令を受け入れてしまいました。強硬に無謀な作戦に反対していた長官が、なぜこの時すんなり承諾してしまったのでしょうか。
これは当時の「一億総特攻」という雰囲気が、周りにみなぎっているのを無視することができなかったという話が残っています。
草鹿参謀長の傍で説得の言葉を聞いていた古村第二水雷戦隊司令官(注2)は、「一億総特攻の先駆けとなってほしい」という要請に、彼もいろいろ意見を持っていたのに、もう何も言う必要がない、という気持ちになってしまったと述懐しています。
注2)軽巡「矢矧」(やはぎ)に座乗し、大和と共に沖縄特攻に出撃した司令官。
それほど「一億総特攻」という掛け声は、理屈で説明できるものではなく、一切の言論を封じるほどの魔力がありました。伊藤もまた、当時の人間が持っていた時代的な道義基準から逃れることはできませんでした。