3.11にそっくり・・・
昭和20年3月10日に東京大空襲がありましたが、以下はその後の焼け跡で部下を探し回っていた、航空本部勤務の特務士官の記録です。
「木造の家屋が立てこんだ下町では、被害はおびただしかった。明治座の地下室では数千人が蒸し焼きになった。あちこちで、関東大震災以来の地獄絵がくりひろげられていた。
航空本部の属員のうち相当数が、つぎの日から不出勤となった。おそらく爆死か焼死した者と思われた。
空襲の翌日、私は屈強な地理に明るい男子理事生一人を伴って、部下理事生捜索のため、いまの江東区大島付近まで出向いた。見渡す限り一面の焼野原であった。
所番地を手帳にひかえていったが、全然見当がつかない。市電は車庫に幾十台と焼けただれ、架線も焼け落ちて道路に散らばっていた。何の焼けた残骸かわからぬものを、軍刀で払いのけながら歩いた。
東京を焼夷弾で空襲したアメリカのB-29
無数の死体が転がっていた。焼けただれた消防車が道路に立ち往生してホースが延びている。その先にはヘルメットにさし子防火衣姿の消防士2,3人が、両手で虚空をつかんだまま焼け死んでた。片側が焼け残った制服から警官とわかる死体もあった。
完全に人間の形のまま灰になったものもあった。軍靴の先がふれると、ボロボロと崩れ落ちるのである。裸体のまま火ぶくれした男女不明の死体。幼児に抱いた格好の母親らしい死体。
防空壕入口にはみ出した丸焼けの人間。濠内をのぞくと蒸し焼きの死人がぎっしり押し詰まっている。その奥のほうからはまだ煙が立ち上っていた。
川の中には、まるで4,5尺の丸太を並べたように数えようもないほど死体が浮かんでいた。とくに橋の下には、焼死、溺死、そしてどこからか流れてきたのか爆弾で片手片足の飛んだ死体。
かと思うとまだ生きているようにきれいな窒息死体もあって、とてもこの世の光景とは思われなかった。どんな激戦場でも、これほど酸鼻な光景を目にすることはあるまい。
街中に珍しく松の木の根がと見ると、頭部が焼け落ち、広げた四肢のみが焼け細った人間の胴体である。思わず手を合わせた。風呂敷包を背負った老婆が街角にしゃがんでいる。これも窒息死で、生きた姿そのままで死んでいるのだ。
役目柄いたしかたなかったが、私はのど元までこみ上げてくる嘔吐をのみのみ捜しまわった。後で知ったが、私の直属の部下、片岡書記も気の毒なことに焼死していた。」
現代では差し迫った戦争は今すぐには来ないかもしれませんが、地震や原発の爆発で似たような事態になりはしないかと気が気ではありません。地震はともかく、原発はホントに何とかして~(≧ヘ≦)