
「アメリカ駐在武官時代、執務室の山本」
山本大佐は米国駐在武官として1926(大正15)年より約1年余り赴任していましたが、命令を受け日本に帰国した時には、大正から昭和の時代へと変わっていました。
山本が米国駐在中の1927(昭和2)年、チャールズ・リンドバーグが西大西洋横断飛行に成功しました。
チャールズ・リンドバーグ
このニュースにより、山本は長距離飛行するには優れた計器の開発や、機乗天測などの航空航法の整備が必要であることを認識し、東京にその旨の報告書を送りました。
これは飛行機を操縦しない山本が航空航法に着目するとは、先見の明があったと評価されています。
太平洋戦争中、航空航法を知る海軍の飛行機は目標のない洋上を何百キロも飛行士し、移動中の空母にも、地上基地にも帰ることができました。
これに対し航空航法を知らない陸軍機が洋上を飛行できなかったのは笑い話にもなっています。これは陸軍に山本のような人物がいなかったのが原因であるとされています。
「ワシントンのポトマック川にある桜並木の下で」