『魔界転生』1981

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「東映時代劇YouTube」に於いて、1月17日まで『室町無頼』公開記念特集の1本として、1981年公開の『魔界転生』が無料公開されています。
そこで『魔界転生』について幾つか記しておきます。

本作品は山田風太郎 執筆の小説が原作。小説は1964年〜1965年に大阪新聞に連載された際には『おぼろ忍法帖』、1973年に角川文庫版の出版時に『忍法魔界転生』と改題されています。

映画『魔界転生』のパンフレットに掲載された山田風太郎と本映画のプロデューサー角川春樹との対談によれば、山田風太郎は最初から『魔界転生』というタイトルを考えていたのですが、「転生」という言葉はまだ良く知られていないのではと思い、小説がどんな展開となっても通じるタイトルとして『おぼろ忍法帖』としたものの心残りがあり、角川書店で文庫化する際に『忍法魔界転生』と改題したとの事。

また映画化の際に監督の打診を受けた深作欣二は「山田風太郎の小説なら『おぼろ忍法帖』がやりたい」と言い、角川春樹は「私がやりたいのは『忍法魔界転生』です」と言い、お互いが粗筋を語ると内容が同じなので調べてみたら、同一作品だと判ったという話があります。
元々の山田風太郎のアイディアは、歴史上の剣豪の“夢の対決”であり、時代のズレを埋める合理的な設定として「転生」を思いついたそうです。

映画化に際して尤も特徴的なのは魔界衆の人数を思い切って減らし、魔界衆の首領を原作の森宗意軒ではなく、原作では魔界衆の一人でしかない天草四郎とした事です。これは角川春樹のアイディアであり、山田風太郎も「うまいなぁ、と思いました」と評価しています。
映画を見る側としても、森宗意軒とか由比正雪と言われてもピンとこないのですが、天草四郎なら小学校の歴史の教科書にも出てくる人物ですから、抜群の知名度があります。
その天草四郎と戦う柳生十兵衛は小学校の歴史の教科書には出てきませんが、千葉真一演じる柳生十兵衛なら映画『柳生一族の陰謀』と同テレビドラマ・シリーズや、やはりテレビドラマ・シリーズ『柳生あばれ旅』を通してすっかり御馴染みとなっており、柳生十兵衛VS天草四郎は山田風太郎の意図した“夢の対決”をより幅広い人達にアピールする事が出来たのでした。

また角川春樹は、魔界衆の首領となった天草四郎の人物設定として横溝正史の小説『髑髏検校』に登場する不知火検校(天草四郎)を参考にしているものと思われます。角川春樹は上述のパンフレットの記事では「ドラキュラをヒントにした」と語っていますが、『髑髏検校』がブラム・ストーカーの『ドラキュラ』の日本版みたいな話ですから……

『魔界転生』はプロデューサーが角川春樹なので角川映画だと思われる事が多いのですが、本作は東映作品であり、角川春樹は外部招聘プロデューサーになります。
1978年の『柳生一族の陰謀』の大ヒット以降、『赤穂城断絶』『真田幸村の謀略』『影の軍団 服部半蔵』『徳川一族の崩壊』『忍者武芸帖 百地三太夫』『仕掛人梅安』と時代劇映画を製作してきた東映ですがヒットが続かず、一方『犬神家の一族』以降ヒット作を連発させてきた角川春樹も1980年の『復活の日』が(莫大な製作費故に)大赤字となっており、共に起死回生を図ろうとしていました。

キャスティングに関しては柳生十兵衛は、上述の様に当たり役としていた千葉真一を起用。最大の話題は天草四郎に沢田研二を起用した事です。本業が歌手の沢田研二はGSのザ・タイガース時代を別格にして、単独の映画出演は限られたものでした。それでも『炎の肖像』『パリの哀愁』『太陽を盗んだ男』で俳優としても高い評価を受けていたジュリー(沢田研二のニックネーム)のキャスティングは『魔界転生』の大ヒットの要因の1つです。
ステージ上で時に妖艶な個性を見せるジュリーと、美少年と言われた天草四郎のイメージが見事に重なっています。(当時のインタビューでジュリーは「美少年と呼ぶには、僕はギリギリの年齢かな?」と、若干謙遜気味に語っています)
この2人に続いて、柳生宗矩=若山富三郎、宮本武蔵=緒形拳、細川ガラシャ=佳那晃子、霧丸=真田広之、村正=丹波哲郎……を始めとする出演者の共演ならぬ狂演。そして、魑魅魍魎が跋扈する世界に新たな時代劇の可能性を見出した深作欣二の演出によって生み出された『魔界転生』は大ヒット作となります。特にこれまで時代劇映画には余り見られなかった、十代〜二十代の女性客が劇場に詰めかけた事が大きく注目されました。

ここからは映画『魔界転生』の比較的細かい特徴を箇条書き的に紹介します。

この作品の冒頭は島原の乱 終結直後から始まります。ナレーションは「350年前……」と語っているので、この時点では別段問題は無いのですが、やがて本作品は四代将軍 徳川家綱の治世が舞台であると解ってきます。御存知の様に島原の乱は三代将軍 徳川家光の治世で起きた出来事です。
また徳川家綱が四代将軍となった時には既に故人であった柳生宗矩や宮本武蔵が登場する等、史実と時間的ズレが存在します。魔界に転生し復活した天草四郎も20年近く何もしていない事になります。因みに山田風太郎の原作ですと三代将軍 徳川家光の治世が舞台となっています。
この約20年を飛躍させた描写は、恐らくクライマックスを炎上する江戸城を舞台にする為だったのではないかと思われます。歴史上、四代将軍 徳川家綱の治世で起きた明暦の大火で江戸城は炎上しています。
「十兵衛、早く参れ。この最高の舞台を彩る紅蓮の炎の燃え尽きぬ内に」……これは劇中の柳生宗矩の言葉ですが、映画製作側からすれば『魔界転生』のクライマックスは、炎上する江戸城こそが相応しいと考えたのでしょう。
東映は『柳生一族の陰謀』『真田幸村の謀略』『徳川一族の崩壊』で大胆な歴史改変的描写を行った為に、物議を醸したりクレームを受けたりしています。(『徳川一族の崩壊』は今では封印作品)
『魔界転生』のクライマックスで江戸城を炎上させても四代将軍 徳川家綱の治世という事にすれば「明暦の大火」は歴史的事実という事で問題はなくなります。一方、天草四郎や柳生宗矩や宮本武蔵など時代の飛躍ある人物の描写は「元々『魔界転生』は奇想天外な時代劇ですから」と説明する事は可能です。

柳生十兵衛と宮本武蔵が一騎打ちをする海岸の撮影が行われたのは、千葉県の釣師海岸。(現在は海岸へ向かう道に落石事故の可能性があり、立入禁止の筈)深作欣二監督にはお気に入りのロケ地の様で、『軍旗はためく下に』ではニューギニアの海岸、『復活の日』では南アメリカの海岸に見立てて撮影が行われています。

『魔界転生』に登場する主要人物は、柳生十兵衛や天草四郎を筆頭に基本的には歴史上の実在の人物ですが、唯一 真田広之演じる伊賀の霧丸だけは架空の人物であり、原作にも登場しない映画オリジナル・キャラクターです。その為、若干浮いて見えてしまいます。これは恐らく真田広之の出演が前提で創造されたキャラクターであろうと思われます。ただ伊賀の霧丸は、やはり真田広之が演じた『柳生一族の陰謀』の根来のハヤテと殆ど同一キャラクターですから、いっその事『魔界転生』にも根来のハヤテを登場させて『柳生一族の陰謀』とのクロスオーバーを図れば、実在の人物ではないものの、原作小説にある“夢の対決”感が出たのでは?……等と思ってしまいます。或いは根来のハヤテと伊賀の霧丸の関係は、『用心棒』の桑畑三十郎と『座頭市と用心棒』の佐々大作の関係みたいなものと解釈すれば良い?

宣伝の為に天草四郎の豪華な人形が辻村ジュサブローによって制作され、特報、ポスター、パンフレットの表紙の写真で活用されました。この人形制作に異を唱えていたのは千葉真一。宣伝担当の福永邦昭に「何故、柳生十兵衛の人形も作らない」とクレームを入れます。福永は「劇中の天草四郎は異国風の綺羅びやかな装束だから人形にしても映える。柳生十兵衛は黒装束だから人形にしても様にならないし、宣伝に使えない……」と思うのですが、千葉真一は兎に角「柳生十兵衛の人形も作れ」の一点張り。止むを得ず、決して安くはない制作費で柳生十兵衛の人形も作る羽目に。そして件の人形が完成する頃には、当の千葉真一は人形の事などすっかり忘れているのでした……

天草四郎が唱える「エロイム・エッサエム」はグリモワールに記された呪文の一つですが、プロデューサーの角川春樹によれば引用元は「水木しげるさんの『悪魔くん』です」との事。

クライマックスの江戸城炎上の中、柳生十兵衛と魔界へ堕ちた柳生宗矩が戦う場面は、東映京都撮影所内に組まれた江戸城のセットに実際に火を放って撮影されています。当初は撮影用のバーナーから出る炎だけで(カット割りによって全体が燃えている様に見せる)撮影の予定でしたが、深作欣二監督がセットにも火を着ける事を決めます。しかも燃えるセット内にレールを敷いての移動撮影を敢行。消火対応の撮影所スタッフに加え消防車も待機する中、演る者も撮る者も命懸けの撮影が行われました。

四代将軍 徳川家綱は劇中では江戸城炎上で亡くなったとしか思えない展開となっています。勿論、実在した徳川家綱は明暦の大火で亡くなった訳ではありません。深作欣二監督は『柳生一族の陰謀』のラストシーンでは史実を無視して、三代将軍の座に就いたばかりの徳川家光が殺されるという展開を描いています。史実より映画的面白さを優先した訳です。

柳生十兵衛 役の千葉真一は柳生宗矩 役の若山富三郎から殺陣の指導を受けています。「真一、お前の動きは速くて良い。しかし速いと刀が流れ易くなる。其処に気をつけろ」等と綿密な稽古の後に、上記の撮影に臨んでいます。十兵衛と宗矩、互いが柳生新陰流の達人、共に妖刀村正を携えての激突……
実は千葉真一と若山富三郎の2人の対決は1970年代のカラテ映画ブームの頃に『極悪坊主VS殺人拳』として企画された事があったのですが、残念ながら実現には至っていませんでした。

1981年の東映邦画系作品は……
1月15日公開『青春の門』
3月14日公開『東映まんがまつり』
4月11日公開『仕掛人梅安』『ちゃんばらグラフティー 斬る!』
4月29日公開『ダンプ渡り鳥』『阿修羅 ミラクル・カンフー』
……というラインナップでしたが、4月公開の『仕掛人梅安』『ちゃんばらグラフティー 斬る!』と『ダンプ渡り鳥』『阿修羅 ミラクル・カンフー』の2番組の観客動員が悪く、上映打ち切りが続いた為に5月に入ると上映番組が揃わなくなり、止むを得ず『網走番外地』シリーズの3本立て(途中番組入替えで計6本を上映)や『仁義なき戦い 総集篇』や『山口組三代目 総集篇』やジャッキー・チェン主演作『ドランクモンキー酔拳』『スネーキーモンキー蛇拳』『クレージーモンキー笑拳』の3本立て等の旧作の再上映、前年に全国七ヶ所の洋画系劇場で上映された『純』と『女囚701号 さそり』の旧作2本立てを再上映、一部地方都市では上映の無かった洋画系上映作品『ヨコハマBJブルース』『0課の女 赤い手錠』を上映、やはり洋画系上映作品で一部地方都市では上映の無かったジャッキー・チェン主演作『少林寺木人拳』と『子連れ殺人拳』『女必殺五段拳』の旧作カラテ映画を組み合わせた3本立て上映、東映が買い取った外部プロダクション製作のポルノ作品の3本立て上映など、各劇場ごとに番組を編成して凌いでいました。
この事態を受け当初は6月13日公開予定だった『魔界転生』は1週間公開が早くなったのですが、奇しくもその日は“昭和56年6月6日”という……アメリカ映画『オーメン』でも知られる、黙示録に記された獣の数字“666”の日の公開という事をアピールしての上映となりました。

1981年の東映邦画系は苦戦する事が多く、10月10日公開の『とりたての輝き』『夏の別れ』は観客動員がふるわず僅か1週間で上映打ち切り。10月17日より代打として『魔界転生』『青春の門』の再映2本立てが編成されました。「私は必ず戻ってくる。必ず戻ってくるぞ」は『魔界転生』ラストシーンの天草四郎の言葉ですが、その言葉通り『魔界転生』は東映邦画系劇場のスクリーンに戻ってきました。(因みに10月24日からはジャッキー・チェン主演作品3本立てが上映されています)

映画化にあたって執筆された『魔界転生』の脚本は原作小説から逸脱した部分がかなりあります。……と言いますか、主題は共通していますが展開は殆ど別物です。原作のエロティック&グロテスク描写も殆どありません。

昨今、原作者や脚本家を蔑ろにした映像作品の製作が問題視されていますが、一方で原作との間違い探しの様な見方しか出来ない視聴者がいる事も事実です。
映画『魔界転生』は上述の様に、原作者の山田風太郎とプロデューサーの角川春樹が対談している事からも解る様に事前にコミュニケーションを取っており、その角川春樹は監督の深作欣二に全幅の信頼を置いていました。
公開された『魔界転生』を見た観客の中には、当然原作を知る者も数多くいましたが、その違いを承知の上で映画を評価しています。そして映画は大ヒットし、後の『魔界転生』の再映像化の雛形になる完成度を誇っています。
……創る側にも観る側にも『魔界転生』は、今改めて一石を投じているのではないでしょうか。

1981年当時の『魔界転生』の惹句を紹介します。

「目は金色 同一人にして別人 魂は魔物」
「古き骸を捨て 蛇はここに蘇るべし」
「エロイム・エッサエム 我は求め訴えたり」 
「何を企んで死者を再生するのか 天草四郎」
「武蔵よ 宝蔵院よ なぜ静かに眠っておれぬ」
「現世は魔界の挑戦に耐えられるか?」

『魔界転生』
1981年 日本
製作・配給/東映
【出演】
千葉真一
沢田研二
佳那晃子
真田広之
室田日出男
松橋登
神崎愛
緒形拳
丹波哲郎
若山富三郎
【監督】
深作欣二
【製作】
角川春樹