『マッドマックス∶フュリオサ』が日本でも5月31日に公開されましたが、アメリカでは一足早く5月24日に公開されました。公開初日3日間の興行収入は2630万ドル。アメリカは5月27日がメモリアルデーとなるのですが、この時期の公開オープニングの興行収入記録としては(コロナ禍で劇場が閉鎖された2020年を除けば)29年前の1995年公開作品『キャスパー』(2250万ドル)以来の低記録。しかもこの数字はインフレ調整なし。つまり現在の方が入場料が高いので、観客動員数では『マッドマックス∶フュリオサ』の方が低い可能性があります。
この観客動員の低さの原因の1つが、昨今やたらと取り沙汰されるポリコレです。
元々前作『マッドマックス 怒りのデス・ロード』公開の際に、シャーリーズ・セロン演じるフュリオサを取り上げ、フェミニズムの観点で作品を語る論調があり、今回のスピンオフである『マッドマックス∶フュリオサ』も女性が主役という事で「フェミニズム映画」「マックスはもう必要ない」といった分断を煽る様な論調で語られた事で、偏ったポリコレ塗れのハリウッド映画にウンザリしている観客が関心を示さなかった事が挙げられています。
では『マッドマックス∶フュリオサ』は偏ったポリコレに塗れた映画なのかと言うと……そんな事は無いのです。元々『マッドマックス2』以降の作品世界は核戦争によって文明が崩壊、個人の尊厳が踏みにじられ暴力が支配する、フェミニズム以前にヒューマニズム自体が無視された世界が舞台なのですから……そりゃ、どんな解釈でも成り立ちます。
実際、『マッドマックス∶フュリオサ』はフェミニズムだのポリコレだの面倒な主題の作品ではなく、強いて例るなら……任侠映画がヒットすれば女侠客映画が作られる、ブルース・リーの映画がヒットすれば女ドラゴンの映画が作られる……そんなエンターテイメントの常道であり、新しい物語を創り出す為の1つのバリエーションみたいなモノだと思うのです。
特筆すべき点があるとすれば、『マッドマックス』では主人公マックスには殺害された家族の“復讐”という明確な目的がありましたが、以降のマックスはさすらいのガンマン的なキャラクターとして描かれていました。しかし本作では第1作目以来、マックス同様にフュリオサに殺害された母親の“復讐”という、行動の動機を与えている事です。家族の仇討ちにフェミニズムもポリコレも関係無いと思うのですが……
厄介なのは……「男性中心のファンダムのせいで女性ファンたちが苦労している」と男性ファンを非難するプロデューサーによって、「男性の観客を不愉快にする事が目的」と公言する監督が起用され新作が製作される“昔、銀河宇宙の彼方で”の言葉から始まる某SF映画に象徴される様に、今やハリウッドでは万人向けのエンターテイメント映画が、分断の手段として利用されてしまっている事です。
因みに……「マックスはもう必要ない」等と煽られている『マッドマックス∶フュリオサ』に、マックスは登場します。演じているのは、メル・ギブソンでもトム・ハーディでもなく、ジェイコブ・トムリなる俳優です。ワンシーン、後ろ姿だけですが、狂気のマックスは登場するのです!
FURIOSA∶A MAD MAX SAGA
2024年 オーストラリア/アメリカ
【出演】
アニャ・テイラー=ジョイ
クリス・ヘムズワース
トム・バーク
アリーラ・ブラウン
ラッキー・ヒューム
ジョージ・シェフツォフ
ジョン・ハワード
アンガス・サンプソン
チャーリー・フレイザー
エルサ・パタキー
【監督】
ジョージ・ミラー