映画本篇上映前の幕間の時間に、名古屋ミッドランドスクエアシネマでは御馴染みになっている「パイロットフィルム・フェスティバル」での作品上映があり、この時上映されたのは『NOWHERE』という作品。
「NO WHERE」→「NOW HERE」となるアイディアの作品なのですが……この作品、都合5回見ていますが、ハッキリ言えば、主人公の独白は全く必要ありません。映像を見れば伝わる事を、わざわざ主人公の独白で“説明”する必要は無いのです。監督が映像の力を信じていないのか、観客はバカだと思っているのか……
さて……『フューチャー・ウォーズ』です。
何やら1980年代の「ヘラルド・ベストアクション・シリーズ」かビデオ・スルーになった作品みたいな邦題です。尤も原題を直訳しても「未来からの訪問者」にしかならないので、妥当な邦題だと思います。
そして本篇自体も……恐らく監督が1980年代の映画の大ファンなのでしょう、当時の映画からの影響というか、オマージュ的な描写が多々見られます。しかも『マッドマックス2』ではなく『マッドマックス サンダードーム』からの引用と思しき描写など、妙な拘りがあり、それをフランス流のユーモアで包めています。
その一方で、クライマックスの描写はユーモアに逃げる事なく、親子の情愛をタイム・パラドックスを交えて直球で劇的に描くという、泣かせ処を心得た演出で見せてくれます。
もう一つ記しておきたい事として……最近の作品で描かれるタイム・トラベラルは「過去を改変しても自分がいた未来は変わる事はなく、新たな時間軸のもう一つの世界が生まれる」という、パラレルワールドないしはマルチバースの設定が主流ですが、1980年代の作品は『ターミネーター』にしろ『バック・トゥ・ザ・フューチャー』にしろ、「過去を改変すれば未来も変わる」という描写が主流でした。
それ故にタイム・パラドックスの描写に於いて大いなる矛盾が生まれる事があり、これをどう処理し表現するかに作り手のセンスが問われました。
(例:自分が生まれる前の過去に戻り、自分の親を殺せば自分は生まれてこない事になる。しかし自分が生まれなければ過去に戻って親を殺す事は出来ないので……という矛盾)
1980年製作の『ファイナル・カウントダウン』のラストシーンは良く出来ているのですが、若干説明不足だったのか誤解する人もいた様です。(フジテレビ系のゴールデン洋画劇場で放送された際に、解説の高島忠夫は誤解していました)
1984年製作の『ターミネーター』は、後にシリーズが量産されますが、正統続篇を謳った2019年製作の『ターミネーター ニュー・フェイト』では大いなる矛盾を生んでしまい、それが全く解消されないまま作品が終了してしまいました。
1986年製作の『故郷への長い道 スター・トレック4』では、スポックのたった一言で、この矛盾を解消していました。(この作品の場合、過去を改変して未来を変えるのではなく、過去を介在させる事で未来=カーク達の現実を変える物語でしたが……)
1987年放送開始のTVドラマシリーズ『新スタートレック』シーズン3の第15話(通算63話)「亡霊戦艦エンタープライズC」では見事な表現によるストーリーが展開され、これが更なるストーリーを生む事になります。
余談ですが、『X−MEN フューチャー&パスト』は「過去を改変すれば未来は変わる」タイム・トラベル、『アベンジャーズ エンドゲーム』では「過去を改変しても未来は変わらず、別の時間軸の世界が誕生する」タイム・トラベル……という具合に同じマーベル・コミックスの映画化作品でも異なった描写がされています。(ディズニーによる20世紀フォックス買収前の話)
閑話休題。
そして『フューチャー・ウォーズ』は、1980年代の作品のオマージュに満ちた作品なので、当然「過去を改変すれば未来は変わる」タイム・トラベルが描かれていますが、ラストシーンでは独自の解釈と表現で、タイム・パラドックスに於ける矛盾を解決しています。
『フューチャー・ウォーズ』は、上述した様にタイトルにインパクトが乏しく、上映館数も少ない(私の地元 愛知県では1館のみ)ので話題に挙がる事が少ない様ですが、スルーしてしまうには惜しい秀作です。
『フューチャー・ウォーズ』
LE VISITEUR DU FUTUR
2022年 フランス/ベルギー
【出演】
アルノ・デュフレ
フローラン・ドリン
エンヤ・バルー
ラファエル・デスクラック
スリマン=バプティスト・ベルフン
オドレイ・ピロー
マチュー・ホッジ
バンサン・ティレル
アサ・シラ
レニー・チェリーノ
【監督/脚本】
フランソワ・デスクラック