クンフー映画&カラテ映画ファンが一度は見たいと思いながら、中々見られる機会に恵まれない作品の1本が『怒れ毒蛇 目撃者を消せ』です。「毒蛇」は「コブラ」と読みます。

岐阜市「ロイヤル劇場」で上映されるというので見てまいりました。


1973年12月22日、日本でブルース・リー主演『燃えよドラゴン』が公開され大ヒットとなります。それを切欠に香港カラテ映画ブームが起き(当時はまだ日本では“カンフー” “クンフー”という言葉は浸透していませんでした)「カラテなら日本が本場」とばかりにブームに呼応した作品が正に電光石火の速さで製作されます。
1974年2月2日に東映が千葉真一 主演『激突!殺人拳』を公開。
そして1974年2月16日に松竹が田宮二郎 主演『怒れ毒蛇 目撃者を消せ』を公開します。
ブルース・リーが“ドラゴン”なら田宮二郎は”コブラ”という対抗心がタイトルに現れています。監督はジャンルを問わず様々なエンターテイメント作品を手掛ける事で定評のあった井上梅次。

アクション映画を量産していた実績のある(既に前年の1973年に千葉真一 主演のカラテ映画『ボディガード牙』『ボディガード牙 必殺三角飛び』を公開している)東映はまだしも、邦画全盛期は文芸作品や人情喜劇、女性向けのメロドラマを得意とし、アクション映画の伝統が乏しかった松竹が、この速さでカラテ映画を製作したのは少々驚きです。
(意外な事に、当時の東宝がカラテ映画を全く製作していません。1本でも良いので藤岡弘 主演でカラテ映画を製作して貰いたかったです)

監督の井上梅次は1952年に新東宝『恋の応援団長』で監督デビュー。1955年に日活に移籍し、石原裕次郎 主演作『鷲と鷹』『嵐を呼ぶ男』など多くの作品を手掛けます。1960年にフリーとなり大映、東映、松竹、東宝と、大手映画会社を股に掛け監督作品を発表。更に1960年代末には技術指導として香港映画界に赴き、ショウ・ブラザーズでの自身の日活時代の作品のセルフ・リメイク映画を筆頭に、やはり多くの監督作品を手掛けています。
井上梅次 監督は香港映画界に日活流のアクション演出を持ち込んでおり、香港映画界への貢献度は非常に高いものがあります。
香港映画界でスタントシーン撮影に使用するクッションを“タタミ”と呼称するのは、日活がスタントシーン撮影のクッションとして“畳”を使用しており、それを井上梅次 監督が香港映画界に持ち込んだ事が切欠です。その後、香港映画界ではクッションの総称として“タタミ”という呼称が定着したという訳です。

『怒れ毒蛇 目撃者を消せ』はカラテ映画なのですが、東映の『激突!殺人拳』の様にカラテ・アクション全開に振り切った作品ではなく、基本は刑事アクション映画です。主人公が空手の有段者で、犯罪組織の手下を空手で蹴散らし(手下の1人がトンファーを所持)、やはり空手の有段者である殺し屋との戦いが展開する……といった構成です。強いて例えれば『Gメン'75』の草野刑事(演:倉田保昭)……と言うよりは『太陽にほえろ!』の第312話「凶器」に於ける藤堂係長(演:石原裕次郎)と江島(演:矢吹二朗)の闘いに近い印象でしょうか。

田宮二郎 演じる主人公=小村諒太郎は犯人逮捕の為には手段を選ばない型破りな刑事。その強引な捜査手法から付いた仇名が小村をもじった“コブラ”。

……あれっ?

「凶悪犯罪はコイツに任せろ。ロサンゼルス市警の凄腕刑事マリオン・コブレッティ。通称“コブラ”」
……シルベスター・スタローン主演の『コブラ』と一緒です。
しかも両作品とも、殺人事件の犯人を目撃した為に命を狙われるモデルの女性がヒロインとして登場します。
『怒れ毒蛇 目撃者を消せ』は1974年作品。『コブラ』は1986年作品。シルベスター・スタローンが『怒れ毒蛇 目撃者を消せ』を見ていた……とは思えません。似たアイディアを持っていた人が日米に居たという事でしょう、多分。

『怒れ毒蛇 目撃者を消せ』のセールスポイントの1つが、当時の香港カラテ映画ブームを受けての香港の俳優の出演です。
汪萍=ワン・ピンと高強=カオ・チャンの2人が香港から招かれて本作に出演しています。当時の広告にも“香港から凄い空手スターがやって来た”とあります。

汪萍=ワン・ピンが演じる李萍は香港の暗黒街の女。麻薬取引の為に来日、その際に接近してきた小村諒太郎と彼が刑事である事を知らずに深い関係になるも、小村諒太郎は麻薬組織摘発の為に彼女を利用したに過ぎず、以降彼女は小村諒太郎への復讐を企てている…という人物。

高強=カオ・チャンが演じる北一平は、少年時代に小村諒太郎と同じ空手道場に通っており、少年時代は北一平は規律を重んじ、小村諒太郎は空手は喧嘩の技と考える不良少年だったのが月日を経て北一平は暗黒街の住人、小村諒太郎は刑事という逆の立場で対峙する事になる…という設定。しかも数年前に北一平は、警官で小村諒太郎の育ての父(北一平は彼を小村の実の父親と思い込み)を過失を装い殺害し、小村諒太郎とは互いに憎悪し合っている関係。
更に劇中では詳細は語られないものの、北一平は父親が中国人、母親が日本人のハーフで、その父親は行方知れず(劇中で「俺は父無し子だ」と語る)という事らしく、時代背景を考えると戦後の込み入った人間模様がある…という設定もある様です。(高強=カオ・チャンの日本語は吹替)

この高強=カオ・チャンと田宮二郎のカラテ対決が、『怒れ毒蛇 目撃者を消す』の最大の見せ場となります。高強=カオ・チャン演じる北一平は『燃えよドラゴン』のハン(演:シー・キエン)の鉄の爪をヒントにしたのでしょう、刃の付いたメリケンサック状の武器を装着、一方で田宮二郎演じる小村諒太郎は黒い革手袋を着けて応戦します。
(スキー場の場面では北一平はスキーのストックを凶器として使用。この辺りは香港の武侠映画の応用でしょうか)

この格闘シーンの演出は……香港流の京劇を基本としたリズムではなく、ブルース・リーが影響を受けた日本の『座頭市』『眠狂四郎』に近いスタイルでもなく、カット割りも含めて、井上梅次 監督だけに日活アクション映画の擬斗に近い印象を受けます。
格闘シーン以外ではカーアクション・シーンは……今、同様の事をやったら絶対に警察の御厄介になります。

『燃えよドラゴン』と言えば……『怒れ毒蛇 目撃者を消せ』で田宮二郎が着ているワイシャツは『燃えよドラゴン』でブルース・リーが着ていたワイシャツ同様に、襟の幅が広いタイプのものでした。流行だったのでしょうか?

カラテ映画は悪役のキャスティングが重要になります。香港映画界は人材が豊かでしたが、当時の日本映画界では「カラテ“アクション”が出来る」「芝居が出来る」「悪役としての貫禄がある」の三拍子揃った俳優は少なかったのです。東映のカラテ映画の悪役が専ら石橋雅史だったのは、石橋雅史を越える三拍子揃った俳優が居なかったからです。
故に松竹の『怒れ毒蛇 目撃者を消せ』では香港映画界から俳優を招聘している訳です。
汪萍=ワン・ピンと高強=カオ・チャンの出演は、恐らく井上梅次 監督の香港コネクションによって実現したのではないかと推察します。
当時の日本映画界と香港映画界は交流が少なく、「言葉が通じない」「文化が違う」「撮影スタイルが異なる」日本映画への出演に不安を感じる香港映画の俳優は少なくなかったと思われます。御二人は「井上監督の映画なら……」といった感じで出演を快諾したのではないでしょうか。
御二人は後に日本でも知られる様になる作品に何本か出演しています。

汪萍=ワン・ピンは『吼えろ!ドラゴン 起て!ジャガー』『キング・ボクサー 大逆転』『14アマゾネス・王女の剣』『ジャッキー・チェンの飛龍神拳』等に出演しています。


高強=カオ・チャンは『電光!飛竜拳』『ジャッキー・チェンの秘龍拳 少林門』『ジャッキー・チェンの飛龍神拳』『拳精』『龍拳』『カンフーエンペラー』等に出演しています。


ところで……

公開当時の広告に“『怒れ毒蛇 目撃者を消せ』公開記念キャンペーン”として“2月16日、17日、23日、24日に限り、柔道着着用で御来場の御客様は無料招待”とあるのですが、これは全国的に催されたキャンペーンだったのでしょうか。しかし、空手着ではなく何故に柔道着?

更に“自動車免許証を持参の方は100円割引”ともあります。

そう言えば……劇中、小村諒太郎はダットサン・ブルーバードに乗っているのですが、クラッシュ・シーンになるとミニチュアになり、崖から転落して炎上するシーンではトヨペット・コロナマークⅡに変わるというトリッキーな展開を見せます。


『怒れ毒蛇 目撃者を消せ』には続篇があり、1976年6月26日にシリーズ第2作『撃たれる前に撃て』が公開されています。こちらは空手アクションはかなり控え目になっています。



1974年2月16日 名古屋市映画案内より

『怒れ毒蛇 目撃者を消せ』

『必殺仕掛人 春雪仕掛針』

名古屋松竹座/東映パラス/スズラン松竹

レオ名画座/内田橋劇場/シバタ劇場




「グランド劇場」ではブルース・リー主演作品の『燃えよドラゴン』が上映中。
「ロキシー劇場」「名古屋東映」の“聖獣学園の多岐川裕美舞台挨拶”も気になります。


『怒れ毒蛇 目撃者を消せ』
1974年 日本
松竹
【出演】
田宮二郎
山本陽子
奈良富士子
中丸忠雄
汪萍(ワン・ピン)
高強(カオ・チャン)
森次晃嗣
穂積隆信
江幡高志
渡辺文雄
【監督】
井上梅次
【併映】
『必殺仕掛人 春雪仕掛針』