【五社英雄 監督『座頭市』】

1988年、勝新太郎は『座頭市』の新作劇場映画の製作を発表します。


1979年の黒澤明 監督作品『影武者』降板の影響があったのかは定かではありませんが、以降の勝新太郎は映画出演が乏しくなり、1983年の野村芳太郎 監督作品『迷走地図』の主演と、1988年の実相寺昭雄 監督作品『帝都物語」のゲスト出演があったのみでした。

勝新太郎が座頭市を演じるのは1979年のTVドラマ・シリーズ『新 座頭市』(第三期)以来、劇場映画で座頭市を演じるのは1973年の安田公義 監督作品『新 座頭市物語 笠間の血祭り』以来という事もあり、映画ファンを中心に大きな注目を集めました。


監督は五社英雄。1964年『三匹の侍』、1966年『牙狼之介』、1969年『御用金』等の時代劇アクションの演出で評判を呼び、その後は1982年『鬼龍院花子の生涯』、1983年『陽暉楼』、1985年『櫂』では文芸タッチで女性の情念を描き出し、高い評価を得ていました。勝新太郎とは1969年『人斬り』で組んでおり、新作の『座頭市』は「決定版になる」と大きな期待が寄せられていました。


しかし……気がつけば、映画撮影の現場で演出をしていたのは勝新太郎であり、五社英雄の姿はありませんでした。五社英雄 監督降板のアナウンスもなく、何時の間にか監督が替わっていた印象でした。


後年になり、奥山和由プロデューサーによって五社英雄 監督の降板理由が明かされ、映画ファンは驚きました。

『座頭市』製作のミーティングで顔を合わせた勝新太郎と五社英雄。食事をする事になり五社英雄はカツカレーを注文、せっかちな五社英雄はカツカレーを混ぜて食べ始めました。すると勝新太郎が「五社さん、食べ方が違うよ」と指摘。五社英雄は「勝さん、座頭市の事なら貴方の言う事を聞くが、カレーの食べ方にまでうんぬんかんぬん言われたくない」と返答。しかし勝新太郎は「カレーについては何も言わないが、これはカツカレー。“勝”だから」と言ってニヤリ。次の瞬間、五社英雄はテーブルを引っくり返して激怒し「この企画はやめだ!」と言って立ち去ったという……


五社英雄 監督/勝新太郎 主演の映画『座頭市』の企画を潰したのは一皿のカツカレーだったのです。


奥山和由プロデューサーに謝罪した五社英雄 監督が、改めて奥山和由 製作で手掛けた映画が、1989年公開の『226』との事です。



【『座頭市Ⅱ』】

1989年2月、松竹邦画系劇場で公開された勝新太郎 監督/主演の『座頭市』は大ヒット。早速続篇の企画が持ち上がりました。

『座頭市』の撮影現場では毎日の様に脚本に手を加えていたという勝新太郎は、新しいアイディアを求めて、『座頭市Ⅱ』の製作ではプロ・アマ問わずにストーリーを公募します。

応募されたストーリーに目を通した勝新太郎は「部分的には面白いアイディアのものがあるんだが、1本の映画としてはまだまだ物足りない」とインタビューで答えていました。

と言うのも、一説によれば勝新太郎は『座頭市Ⅱ』に関しては自身がかなり大胆な物語を想定していたと言われており、それは『座頭市 IN メキシコ』なるものだったとされています。


1969年に発売されたLPアルバム『夜を歌う』のジャケットには、ソンブレロにポンチョというメキシカン姿の勝新太郎の写真が使用されていましたが、果たしてこの当時からメキシコに思い入れがあったのでしょうか?(前年の1968年にメキシコシティー・オリンピックが開催されているので、流行を取り入れただけかもしれません)


この『座頭市Ⅱ』若しくは『座頭市 IN メキシコ』のアイディアの極一部を、勝新太郎はビートたけしとの対談の中で語っています。それは、ある場面の具体的なアイディアで、要約すると……


……お百姓さんが楽しそうに足をバタバタさせながら飯を食べている。足元から火が燃え上がると、それを消して少し水をかけ、もうもうとする煙を作っている。それはまるでアフリカのリズムに乗って踊っている様に見える。その煙の中から座頭市が現れる。お百姓さんは座頭市に声をかけ、握り飯を渡す。そしてお百姓さんも座頭市も鼻から煙を吸い込む。やがて座頭市を追う刺客達の足音が聞こえる。その足音とお百姓さんの足音が一つのリズムになり、座頭市は踊り出す。三度笠姿の刺客達が座頭市に襲いかかる。いつ抜いたのか煙の中で光る仕込み。煙の中から三度笠が飛び、幸せそうな顔をして息絶える刺客達。座頭市は笑いながら夕日に向かって去ってゆく……


ビートたけしが「その煙は……?」と尋ねると勝新太郎は「わかってるだろ」としか答えていません。(笑)

勝新太郎はビートたけしに、お百姓さんか刺客の役で出演してみないかと誘っています。


また座頭市がメキシコへ行く件は、座頭市が刺客の放った粉(煙?)で意識を失い、気がつくとメキシコにいた……という、かなり飛躍のある展開を想定していたと伝えられています。


これらの話から想像出来るのは、座頭市が西部劇(メキシコが舞台なので厳密には西部劇ではありませんが)の世界に現れる“EAST MEETS WEST”的世界観の物語の様で、実現していたら異色の傑作になっていたかもしれません。



【三池崇史 監督/ビートたけし 主演『座頭市』】

勝新太郎が逝去した後、三池崇史 監督は『座頭市』の復活を企画し、かなり積極的に動いていた時期があります。三池崇史 監督が勝新太郎に替わる座頭市 役に誰を想定していたかは公にはされていませんが、一部で吉川晃司 説が囁かれていました。


その一方で『座頭市』の著作権を所有していた浅草ロック座の斎藤智恵子 会長は「是非、ビートたけしさんに座頭市を演って貰いたい」と公言されていました。

斎藤智恵子 会長の希望を受けビートたけしも『座頭市』の企画に積極的になります。

三池崇史 監督は「主演はビートたけし、監督は自分に」と希望し、一時期その線で製作が検討されていた様ですが、既に映画監督としても活躍し国際的にも知られていたビートたけし=北野武は、自身の監督・主演でやりたいと要望。結果的に三池崇史 監督が降板する事になります。


2003年、北野武 監督/ビートたけし 主演による劇場映画『座頭市』が公開されました。


一方、諦めきれなかった三池崇史は「映画が駄目なら舞台で」と、座頭市の舞台化を企画。こちらは企画が実現し、2007年に哀川翔 主演/三池崇史 演出による舞台『座頭市』が上演されました。