邦画最後のプログラムピクチャーと言われたのが松竹映画『釣りバカ日誌』シリーズです。ハマちゃん=西田敏行、スーさん=三國連太郎 のコンビで幅広い年齢層から人気を得ていました。


『釣りバカ日誌』は、やまさき十三 原作、北見けんいち 作画によって1979年から連載が始まったコミックスが原作。

実は1980年代初期に東映での映画化のアナウンスがありました。この際も西田敏行 主演が予定されていました。この企画は何故か実現せず、1988年に松竹にスライドする様な形で映画化となりました。


映画『釣りバカ日誌』シリーズと言えば『男はつらいよ』シリーズとの2本立てが定番でした。


『男はつらいよ』シリーズの初期の頃は、ハナ肇 主演『為五郎』シリーズや、ザ・ドリフターズ 主演『全員集合!!』シリーズが併映となり、喜劇シリーズの2本立てで人気を呼んでいました。『全員集合!!』シリーズ終了後は単発の作品が併映となります。

それでも、1978年公開の2本の『男はつらいよ』シリーズの併映は『俺は田舎のプレスリー』『俺は上野のプレスリー』という、吉幾三 歌唱のヒット曲の映画化作品が続きましたし、1980年~1982年の『男はつらいよ』シリーズ夏公開作品の併映は『思えば遠くへ来たもんだ』『俺とあいつの物語』『えきすとら』という、武田鉄矢 主演作が続く例があったのですが……


実は松竹は『男はつらいよ』シリーズの併映作品に関しては意外に無頓着な所がありました。極端な例を挙げると……

1981年12月公開の『男はつらいよ 寅次郎紙風船』の併映は日中合作のアニメーション映画『シュンマオ物語 タオタオ』でした。作品の質は高いのですが、『男はつらいよ 寅次郎紙風船』を見に来ている観客層がパンダが主役のアニメーション映画を好むとも思えず、一部の劇場では上映3週目から『シュンマオ物語 タオタオ』を朝1回のみの上映に切り替えてしまいました。すると昼頃に来場した親子連れの観客にとっては「パンダの映画は上映していないの?」となり、子供はガッカリするという事態が起きました。


1982年1月14日「名古屋松竹座」


1982年1月7日「浄心ハイツ」

『男はつらいよ 寅次郎紙風船』の併映が前年10月公開のアメリカ映画『おかしなおかしな石器人』(主演 リンゴ・スター)に変更。
『シュンマオ物語 タオタオ』は別作品との3本立てで「ダイヤモンド東宝」にて上映。

1984年8月公開の『男はつらいよ 夜霧にむせぶ寅次郎』の併映は、当時10代だった鶴見辰吾&富田靖子 主演作『ときめき海岸物語』で、客層が割れてしまい『男はつらいよ 夜霧にむせぶ寅次郎』だけを見て帰ってしまう観客が続出。一部の劇場では公開3週で『ときめき海岸物語』の上映を終了、同年6月に公開されていた『必殺! THE HISSATSU』に併映を変更していました。


1984年8月25日「名古屋松竹座」


松竹の『男はつらいよ』シリーズの併映作品への意識が変わったのは、1987年8月公開『男はつらいよ 知床慕情』の併映だった『塀の中の懲りない面々』が好評で相乗効果を生み、観客動員が上昇した事が切欠だった様です。(シリーズ第2作の『塀の中のプレイボール』は『男はつらいよ』シリーズの併映になりませんでしたが……)


1988年12月24日、『釣りバカ日誌』は『男はつらいよ 寅次郎サラダ記念日』の併映作として公開されました。監督は栗山富夫。


ただ当初は『釣りバカ日誌』をシリーズ化する予定は無かった様で、劇中ではハマちゃんの東京本社転勤はコンピューターの入力ミスで、ハマちゃん一家は元の四国高松へ帰っていき、スーさんは寂しさを感じる……という展開となり、物語としては綺麗に完結しています。しかし観客の反応が良く、劇場側からも続篇を望む要望があった事からシリーズ化が決定します。但し、翌年の『釣りバカ日誌2』に於いては前作の結末の辻褄合わせを一切しておらず、当たり前の様にハマちゃんは鈴木建設の東京本社営業三課に勤務しています。更に言えば、鈴木建設の本社ビル、ハマちゃん一家の家、スーさんの髪型など、シリーズを通して一貫していない辺りが、プログラムピクチャーのフットワークの軽さを思わせます。

またハマちゃんの上司である佐々木課長を、クレージーキャッツの谷啓が演じている事に、往年の東宝のプログラムピクチャーであるサラリーマン喜劇を連想する映画ファンも居たかと思います。


1993年12月公開『釣りバカ日誌6』の併映だった『男はつらいよ 寅次郎の縁談』に、ハマちゃんが瞬間的ながら登場。この時、劇場ではどよめきが起きました。2本立てならではの粋なサービスカットだったのです。劇中では、おいちゃんとおばちゃんから辛辣な事を言われていたハマちゃんでしたが……(笑)

因みに私の父が『男はつらいよ 寅次郎の縁談』のVHSをレンタルビデオで鑑賞した際、ハマちゃん登場場面にだけノイズが出まくりで……レンタルをした人達が例外なく何度もビデオテープを巻き戻して見たのでしょう、そこだけ劣化していました。(笑)


『男はつらいよ』シリーズとの2本立てが正月映画として定着していた1994年。7月に1本立て作品として『釣りバカ日誌スペシャル』が公開されます。同作は1994年夏公開作品として“映画生誕100年記念”と銘打たれた映画『忠臣蔵外伝 四谷怪談』の公開延期に伴うピンチヒッター的な作品でした。


当初、松竹は1994年の夏公開作品として、出演者の大半を歌舞伎俳優で固めた深作欣二 監督作『忠臣蔵と四谷怪談』を公開すると発表しました。しかし歌舞伎の『仮名手本忠臣蔵』と『東海道四谷怪談』を融合させる脚本の執筆が難航、クランクインの目処が立たなくなってしまい、一部スポーツ新聞が芸能欄で“松竹映画『忠臣蔵と四谷怪談』製作中止”と書きたてました。松竹はこれを否定し、タイトルを『忠臣蔵外伝 四谷怪談』と改め、歌舞伎俳優ではない俳優を起用しての製作発表が行われました。

しかし、メインキャストの1人が降板させられる事態が起きた事から、松竹は正式に製作延期を発表します。(ところが一転して、別の俳優を起用して撮影が再開され、1994年10月に『忠臣蔵外伝 四谷怪談』は公開されました)


この様な事情があり、1994年夏公開作品の穴を埋めるべく、急遽製作が決まったのが『釣りバカ日誌スペシャル』だったのです。

1本立て公開という事で、過去のシリーズ作品と比べて上映時間も長くなり、ゲスト出演者もスペシャルだけに豪華、ストーリーもハマちゃんが妻みち子の浮気を疑うなど、これまでには無かった要素が散りばめられています。この作品に限り、ベテランの森崎東 監督が起用されています。

因みに本作の公開時、タイトルが『釣りバカ日誌スペシャル』という事で、「これは新作なのか、過去作品を2〜3本立てで上映しているのか?」との問い合わせが劇場に多数寄せられたそうです。松竹は以前に観客動員の低い作品があると、その作品の上映を打ち切り“『男はつらいよ』大会”と称して過去のシリーズ作品の2〜3本立てによる再映を何度か行った事があったので、観客も気になった訳です。


『釣りバカ日誌スペシャル』は初期のポスター上でのタイトルロゴは『釣りバカ日誌S』(“S”に“スペシャル”とルビ)となっており、これは当時大人気だったTVアニメ・シリーズ『美少女戦士セーラームーンS』を意識したものだと思われます。この頃、東映は『美少女戦士セーラームーン』シリーズの劇場版を正月映画として上映しており、松竹の『男はつらいよ』『釣りバカ日誌』シリーズのライバルでした。……そう言えば「名古屋松竹座」に『男はつらいよ 寅次郎の縁談』『釣りバカ日誌6』に見に行った際、「セーラームーンが見たかった」(同時期に『美少女戦士セーラームーンR』が上映中)とグズっている子供を連れた親御さんがいました。(笑)


『釣りバカ日誌スペシャル』に続く、同年12月公開の『釣りバカ日誌7』をもって『男はつらいよ』シリーズとの2本立てが解消されます。松竹としては安定した人気を保つ様になった『釣りバカ日誌』シリーズを夏公開作品として独立させ、正月映画の『男はつらいよ』シリーズと並ぶ2大シリーズとしてラインナップを組む事にしたのです。(『釣りバカ日誌』シリーズに替わる『男はつらいよ』シリーズの併映作として、東海林さだお 作画の漫画を原作とする『サラリーマン専科』シリーズが製作されました)


『男はつらいよ』シリーズの併映から独立した初の作品が『釣りバカ日誌8』。景山民夫 原作の小説の映画化作品『さすらいのトラブルバスター』との2本立てでした。『釣りバカ日誌』シリーズの2本立て興行はこれが最後となり、以降は1本立て興行となります。個人的には『釣りバカ日誌』シリーズと『サラリーマン専科』シリーズの2本立てが見たかったのですが……


夏公開作品となった『釣りバカ日誌』シリーズが、久々に正月映画として帰ってきたのが1998年12月公開の『花のお江戸の釣りバカ日誌』です。舞台を江戸時代に置き換えた番外篇的作品で、渥美清 氏の逝去により終了した『男はつらいよ』シリーズ、後継の『虹をつかむ男』シリーズに続く形での公開となりました。

主演の西田敏行&三國連太郎の御二方のインタビューによれば「以前から『釣りバカ日誌』の時代劇版が出来ないものかね」と話されていたとの事。この作品をもって第1作から『釣りバカ日誌』シリーズを手掛けてきた栗山富夫 監督が、同シリーズから離れる事になります。


以降、2000年2月公開『釣りバカ日誌イレブン』、2008年10月公開『釣りバカ日誌19 ようこそ!鈴木建設御一行様』を除けばシリーズ新作は毎年8月〜9月に公開され、夏〜初秋映画として定着しました。しかし一方で、松竹は1999年を最後に邦画のブロック・ブッキングを止めており、更にワン・スクリーンの従来の封切館に替わりシネマ・コンプレックスが主流となり、「プログラムピクチャーって何?」と言われる時代が来た事もあり、映画『釣りバカ日誌』シリーズも終了の時を迎えつつありました。


昭和最後の正月映画『釣りバカ日誌』から始まったシリーズは、2009年12月公開(2010年正月映画)の『釣りバカ日誌20 ファイナル』で有終の美を飾りました。



『釣りバカ日誌』

1988年12月24日公開

併映『男はつらいよ 寅次郎サラダ記念日』


『釣りバカ日誌2』

1989年12月27日公開

※平成最初の正月映画

併映『男はつらいよ ぼくの伯父さん』


『釣りバカ日誌3』

1990年12月22日公開

併映『男はつらいよ 寅次郎の休日』


『釣りバカ日誌4』

1991年12月23日公開

併映『男はつらいよ 寅次郎の告白』


『釣りバカ日誌5』

1992年12月25日公開

併映『男はつらいよ 寅次郎の青春』


『釣りバカ日誌6』

1993年12月25日公開

併映『男はつらいよ 寅次郎の縁談』


『釣りバカ日誌スペシャル』

1994年7月16日公開

※石田えり 最後のシリーズ出演作


『釣りバカ日誌7』

1994年12月23日公開

※浅田美代子 初のシリーズ出演作

併映『男はつらいよ 拝啓車寅次郎様』


『釣りバカ日誌8』

1996年8月10日公開

併映『さすらいのトラブルバスター』


『釣りバカ日誌9』

1997年9月6日公開


『釣りバカ日誌10』

1998年8月8日公開


『花のお江戸の釣りバカ日誌』

1998年12月23日


『釣りバカ日誌イレブン』

2000年2月5日公開

※本作より木本克英 監督

※シリーズ初のフリー・ブッキング公開


『釣りバカ日誌12 史上最大の有給休暇』

2001年8月18日公開


『釣りバカ日誌13 ハマちゃん危機一髪!』

2002年8月10日公開


『釣りバカ日誌14 お遍路大パニック!』

2003年9月20日公開

※本作より朝原雄三 監督


『釣りバカ日誌15 ハマちゃんに明日はない?』

2004年8月21日公開


『釣りバカ日誌16 浜崎は今日もダメだった♪♪』

2005年8月27日公開


『釣りバカ日誌17 あとは能登なれハマとなれ!』

2006年8月5日公開


『釣りバカ日誌18 ハマちゃんスーさん瀬戸の約束』

2007年9月8日公開


『釣りバカ日誌19 ようこそ!鈴木建設御一行様』

2008年10月25日公開


『釣りバカ日誌20 ファイナル』

2009年12月26日公開

※谷啓 遺作