過日、『チンチン55号ぶっ飛ばせ!! 出発進行』を鑑賞しました。

コント55号の主演作なので、タイトルは「チンチンごじゅうごごう」と読むものだと思っていたのですが、ポスター及び画面上のタイトルのルビから「チンチン ゴーゴーゴー」と読むのが正解の様です。

因みに『チンチン』というのは「チンチン電車」、つまり路面電車の事です。

コント55号は、「欽ちゃん」こと萩本欽一と「二郎さん」こと坂上二郎のコンビ。浅草松竹演芸場出身で、舞台だけではなくテレビにも進出。一世を風靡し1960年代~1970年代にかけ、ザ・ドリフターズと人気を二分しました。
特に1969年4月~1970年3月に日本テレビ系で放送された『コント55号!裏番組をブッ飛ばせ!!』は高視聴率を獲得する一方で、番組内の野球拳コーナーを問題視する向きがあり、俗悪番組として槍玉に挙げられる等、大いに注目を集めました。
『チンチン55号ぶっ飛ばせ!! 出発進行』は『コント55号!裏番組をブッ飛ばせ!!』が色んな意味で話題を呼んでいた時期に製作されており、タイトルも同番組を準えているのは明らかです。

コント55号の映画初出演は1968年の松竹作品『悪党社員遊侠伝』。こちらは助演でしたが、同年の東宝作品『コント55号 世紀の大弱点』で主演を果たします。
以降は松竹と東宝で映画に主演。上記の画像のポスターでは「コント55号はだんぜん松竹だ!」との惹句があり、東宝作品に対するライバル意識が感じられます。
というのも……『チンチン55号!!ブッ飛ばせ 出発進行』の劇場公開日は1969年12月31日。『ミヨちゃんのためなら全員集合!!』と2本立てによる松竹の正月映画でしたが、直前の1969年12月20日~12月31日の日程で東宝が『コント55号 宇宙大冒険』(併映『ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃』『巨人の星 行け行け飛雄馬』)を上映していました。
同時期(少なくとも12月31日は被っている)に松竹と東宝でコント55号主演作品が上映される形だった為に、必然的に意識せざるをえなかった訳です。

コント55号のコントは、相手の様子を伺ってオドオドしている二郎さんと、狂気的な振舞いの欽ちゃんの掛け合いというのが基本のスタイルでした。(後年は二郎さんは余裕綽々となり、欽ちゃんは紳士然と変化しましたが……)
そのスタイルを映画に活かすのは中々難儀だった様ですが、『チンチン55号ぶっ飛ばせ!! 出発進行』では、欽ちゃんはカウボーイ・スタイルで北海道から上京してきた男で、新宿のフーテンに身包み剥がされるも縁あって、ある家の居候になる。その家の長男が路面電車の車掌の二郎さんで、生真面目な二郎さんは欽ちゃんに振り回される……という展開で、コント55号のスタイルを松竹カラーの人情喜劇に何とか落とし込んでいる様に思えます。(乗客の欽ちゃんが車掌の二郎さんを路面電車から蹴り落とす場面もありますし……)

余談ですが、欽ちゃんが新宿を闊歩するシーンで、上映中の映画『ウエスタン」『レーサー』『ならず者たち』の看板が映ります。という事は、このシーンの撮影は1969年11月に行われた筈です。
この頃、自家用車の普及と地下鉄の整備で東京の路面電車は続々と撤廃されており、上述の二郎さんが欽ちゃんと出会った路面電車の路線も、映画公開の翌年には廃線となっていたと思われます。

当時の日本映画は、黄金期を過ぎ斜陽化と言われていましたが、それでもプログラム・ピクチャー体制はまだ続いていた時代でした。ただ、松竹と東宝で連続的にコント55号の主演作が公開されていた事からも解る様に、映画スターではないテレビの人気スターがスクリーンを席巻する様になっていました。それを象徴するかの様な場面として、『チンチン55号ぶっ飛ばせ!! 出発進行』の劇中には皆川おさむとピンキーとキラーズの今陽子が「黒ネコのタンゴ」(皆川おさむ歌唱の大ヒット曲)をデュエットするミュージカル・シーンがあります。(テレビの歌謡番組で人気だった2人の共演。かなり唐突なシーンですが、一応劇中では今陽子演じる夏子が、想いを寄せる藤岡弘演じる青年から黒ネコを預かり、皆川おさむ演じるネコ好きの少年と仲良くなるという展開)
更には、丸善石油のテレビCM「お〜モーレツ」で話題となった(現在では昭和のアイコンともなっている)小川ローザも二郎さんを振る下駄屋の娘役で出演しています。

上述しましたが、『チンチン55号ぶっ飛ばせ!! 出発進行』の併映は、ザ・ドリフターズ主演の『ミヨちゃんのためなら全員集合!!』。松竹の正月映画がテレビの人気タレントに支えられていた訳です。

コント55号の主演作が松竹の正月映画となったのは……

『コント55号と水前寺清子の神様の恋人』
『喜劇 大安旅行』
1968年12月28日公開(1969年正月映画)

『チンチン55号ぶっ飛ばせ!! 出発進行』
『ミヨちゃんのためなら全員集合!!』
1969年12月31日公開(1970年正月映画)

『コント55号 水前寺清子の大勝負』
『誰かさんと誰かさんが全員集合!!』
1970年12月30日公開(1971年正月映画)

……と、1960年代末から1971年にかけて3年連続。
1971年12月29日松竹公開作品(1972年正月映画)は『男はつらいよ 寅次郎恋歌』『春だドリフだ全員集合!!』の2本立てであり、いよいよフーテンの寅次郎が松竹の看板を背負う事になります。(それでも1972年1月21日には松竹の正月映画第2弾で、コント55号最後の主演作となった『初笑い びっくり武士道』が公開されています。併映はテレビ番組から生まれた流行語が切欠となったシリーズの最終作『生まれかわった為五郎』)

松竹でコント55号主演作品の全てを手掛けたのは、野村芳太郎 監督。『初笑い びっくり武士道』の2年後には『砂の器』を監督。以降は1977年公開の『八甲田山』(製作)『八つ墓村』(製作/監督)等、一本立て大作を次々に手掛ける事になります。

コント55号主演映画は、日本映画の転換期に松竹と東宝の2社を股に掛け、スクリーンを賑わせた作品でした。


『チンチン55号ぶっ飛ばせ!! 出発進行』
1969年 日本 松竹
【出演】
萩本欽一
坂上二郎
今陽子(ピンキーとキラーズ)
奈美悦子
尾崎奈々
珠めぐみ
長沢純
左時枝
沢村貞子
伴淳三郎
【監督】
野村芳太郎
【併映】
『ミヨちゃんのためなら全員集合!!』