1980年新春に発表された東宝のラインナップでは、この年の4月12日より、黒澤明監督の待望の新作『影武者』が公開とありました。


1975年、ソビエトで撮影した『デルス・ウザーラ』の後、『黒き死の仮面』や『用心棒』『椿三十郎』に続くシリーズ第三作(『松風三十郎』?)や『乱』(後に映画化)等の企画を経て実現に至った作品が『影武者』です。

戦国時代を舞台に、武田信玄の影武者を主人公にしたスペクタクル超大作。主演を務める筈だった勝新太郎さんが、電撃降板した(させられた)事でも話題となっていた作品です。


1978年に日本で公開され大ヒットした『スター・ウォーズ』の監督であるジョージ・ルーカスが「クロサワは僕の師匠の様な存在」と公言した事もあり、リアルタイムでこれまでの黒澤明監督作品に間に合わなかった世代の映画ファンの間でも「日本の黒澤明監督は凄い人だ」との認識が広まっており、『影武者』に対する世間の関心は日増しに大きくなっていきました。


劇場での予告編(特報でない)は既に前年の1979年12月には上映が始まっていました。更に日本では1980年2月16日にフランシス・コッポラ監督の『地獄の黙示録』が先行公開、同年3月8日にスティーブン・スピルバーグ監督の『1941』が公開されており、これに『影武者』を加えれば世界的巨匠&ヒットメーカーの大作3連続公開となる事もあって、興行面でも注目されていました。(『地獄の黙示録』の日本での全国公開は『1941』の地方公開と同日の3月15日)

当時、この3作品にジョージ・ルーカス製作の『スター・ウォーズ 帝国の逆襲』を加えた4作品を紹介するTV特番が放送されています。(3月5日、テレビ朝日系『水曜スペシャル「世界四大巨編!特別TVロードショー!!」』)

事実、東宝は『影武者』は邦画系の直営館だけではなく、一部洋画系の劇場でも拡大公開する事を予定しており、ハリウッド超大作に対抗する構えも見せていました。


ところが『影武者』の劇場公開が4月12日に間に合わなくなったのです。

黒澤明監督作品が予定通り完成しない事は今に始まったことではなかったのですが、それでも5月に開催されるカンヌ国際映画祭に『影武者』は出品される事が決まっていた事もあり、東宝は黒澤監督にポストプロダクション作業を急がせていました。

しかし黒澤監督の作品に対する拘りから完成は遅れ、公開を2週間遅らせる事態となりました。


東宝は困りました。当時の劇場は現在の様なシネコンではなく、邦画系劇場はブロック・ブッキングの直営館でしたから、『影武者』に替わって2週間の穴を埋める作品が必要だったのです。


『影武者』の前番組、3月15日から東宝邦画系で公開されていたのは『ドラえもん のび太の恐竜』『モスラ対ゴジラ』。ヒットはしていましたが、4月12日は既に小中学校、幼稚園、保育園の春休みが終了しているだけに、この2本立ての続映は週末2日間は兎も角、平日は観客動員が望めないので困難。そこで東宝は変則的な番組編成を行ないます。

“桜花に競う名作・話題作の特別アンコール上映!”と称して、既に公開済み作品の再映で2週間を乗り切る事にしたのです。


東海地方を例にしますと……


『天平の甍』

『いまドイツでは・成熟の歩み』

愛知県名古屋市「名宝劇場」

愛知県名古屋市「アスター映劇」※

三重県津市「津東宝」

静岡県浜松市「浜松宝塚劇場」


『もう頬づえはつかない』

『Alice THE MOVIE 美しき絆』

愛知県豊橋市「豊橋東宝」

三重県四日市市「四日市弥生館」

三重県松阪市「松阪近代劇場」


『もう頬づえはつかない』

『Alice THE MOVIE 美しき絆』

『サード』

愛知県名古屋市「今池国際」


『もう頬づえはつかない』

『太陽を盗んだ男』

岐阜県岐阜市「岐阜東宝」


『戦国自衛隊』

『ルパン三世 カリオストロの城』

愛知県一宮市「一宮東宝」


『天使を誘惑』

『ホワイト・ラブ』

『春琴抄』

『ふりむけば愛』

愛知県岡崎市「岡崎東宝」※


『天使を誘惑』

『ホワイト・ラブ』

『絶唱』

『伊豆の踊子』

岐阜県大垣市「大垣東宝」※


※4月13日まで『ドラえもん のび太の恐竜』『モスラ対ゴジラ』を上映。


また拡大公開の一部洋画系劇場は、上映中作品の続映となっています。


『火の鳥2772 愛のコスモゾーン』

『象物語』

愛知県名古屋市「名鉄東宝」

愛知県名古屋市「エンゼル東宝」

(エンゼル東宝は本来は東宝邦画系なのですが、この年の3月は洋画系作品を上映)


『天平の甍』は井上靖さんの小説を熊井啓監督で映画化した作品。遣唐使として大陸に渡った修行僧を描いた作品で、中国ロケーションを敢行した大作。東宝邦画系にて、この年の1月26日から先行公開、2月9日より全国公開されていました。印象としては間に『ドラえもん のび太の恐竜』『モスラ対ゴジラ』を挟んだ続映の形になりました。

併映の『いまドイツでは・成熟の歩み』は短編ドキュメンタリー作品。


『もう頬づえはつかない』は前年の1979年12月15日に先行公開されたATG作品。年が開けた1980年1月26日より東宝邦画系で拡大公開されています。この拡大公開の際『Alice THE MOVIE 美しき絆』が併映となっており、その番組がスライドして再映された形になっています。東陽一監督、桃井かおり主演作品。


『Alice THE MOVIE 美しき絆』は(東京など大都市圏では)前年の1979年11月3日に公開された、ニューミュージック・グループ「アリス」の音楽ドキュメンタリー。東宝クレージー・キャッツ映画で知られる坪島孝監督の作品です。


『サード』は1978年3月25日公開のATG作品。『もう頬づえはつかない』の東陽一監督作品。同じ監督作品という事でのカップリングと思われます。


『太陽を盗んだ男』は前年の1979年10月6日公開作品。

『戦国自衛隊』は前年の1979年12月15日公開作品。

『ルパン三世 カリオストロの城』は前年の1979年12月15日公開作品。

いずれも東宝配給作品。

『太陽を盗んだ男』と『ルパン三世 カリオストロの城』は初公開時は、“見た人の評価は高い”にも関わらず、その“見た人”の数が少なく、興行的には成功しなかった作品です。

余談ですが、映画『戦国自衛隊』はタイムスリップした陸上自衛隊の伊庭三尉が、本来の歴史に反して川中島で武田信玄を討ってしまう展開ですので、「だから武田信玄には“影武者”が必要だったんだ」と、勝手に2つの作品を結び付けて楽しんでいたのは……当時の私と友人です。


『天使を誘惑』『ホワイト・ラブ』『春琴抄』『ふりむけば愛』『絶唱』『伊豆の踊子』は、山口百恵さん&三浦友和さん主演の「百友シリーズ」。

元々「百友シリーズ」は人気が高く、時折この様な特集上映が組まれる事があり、3本立て上映は当たり前で、時には4本立て、5本立て上映もありました。

1980年3月7日に、三浦友和さんと山口百恵さんは婚約発表をしており、この時は“百恵+友和 婚約おめでとう”と称した企画上映でした。


『火の鳥2772 愛のコスモゾーン』は手塚治虫監督(杉山卓監督と共同)によるSFアニメーション映画。大都市では1980年3月15日公開。地方都市では1980年3月20日公開。


『象物語』はアフリカの自然に生きる野生の象の一家を捉えたドキュメンタリー映画。蔵原惟繕/日野成道共同監督作品。1980年3月20日公開。

地方都市では『火の鳥2772 愛のコスモゾーン』と併映。名古屋の2館では、事前の告知は3月20日〜4月11日上映となっていましたが、上映が4月25日まで延長となりました。


……以上の様な形で2週間を乗り切った東宝は、4月26日より“正に”待望の『影武者』を公開するに至りました。

この劇場公開版の上映時間は179分。約3週間後にカンヌ国際映画祭で上映された版は上映時間162分。日本で上映された『影武者』は黒澤明監督にとっては最終版ではなかったのです。(現在、国内で販売されているソフトは179分版)


『影武者』は日本国内では配収27億円(興収45億9000万円)を記録。これは1980年当時では邦画として歴代1位。上述のカンヌ国際映画祭ではパルム・ドールを受賞する等、国内外で高い評価を得る事になりました。



『影武者』

1980年 東宝映画/黒澤プロダクション

【出演】

仲代達矢

山崎努

萩原健一

根津甚八

大滝秀治

隆大介

油井昌由樹

桃井かおり

倍賞美津子

志村喬

【監督】

黒澤明