ミシェル・ヨーの最新主演作『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』が日本では来年3月に公開されます。(長いタイトルですなぁ)


ミシェル・ヨーはマレーシア出身で、香港映画界で活躍した後にアメリカ映画界にも進出したのですが、その時々で名前の表記が異なっています。


〈ミッシェル・キング〉

日本で最初に彼女を紹介したのは……名前を忘れてしまったのですが、1985年〜1986年に発売されたアイドル系のグラビア雑誌だったと思います。

彼女のカラーグラビアが2ページ掲載されており、この時の名前は上記のものでした。

因みに記事の見出しは「香港女番〈スケバン〉刑事」。

香港で彼女が初主演した刑事アクション映画『YES, MADAM!』(1985)が公開されていたのと、当時日本ではTVドラマ『スケバン刑事』が人気を呼んでいたので、それを掛けたものだった様です。(日本では、まだ彼女の主演作は公開されていませんでした)


このグラビアは、香港のD&Bフィルムズによる彼女の日本に於けるプロモーションだった様で、D&Bフィルムズ社長のディクソン・プーン氏の「彼女を国際的に売り出したい。その為にロジャー・ムーアや真田広之との共演を企画している」とのコメントも掲載されていました。


その後、ディクソン・プーン氏の言葉通り彼女と真田広之さんが共演する映画『皇家戦士』(1986)が製作され、日本では1988年2月に劇場公開されましたが、この時の彼女の名前の表記も同様でした。



〈ミシェル・カーン〉

1990年に日本で上述の彼女の初主演映画が『レディ・ハード 香港大捜査線』(1985)の邦題で、英語吹替版が劇場公開された時の名前は上記のものでした。

1991年の「ゆうばり国際冒険・ファンタスティック映画祭」のファンタスティック・ビデオ・フェスティバル部門で彼女の主演作『中華戦士』(1987/ビデオ題『チャイニーズ・ウォリアーズ』)が英語吹替版で上映された時の名前の表記も同様でした。


1988年に彼女はディクソン・プーン氏と結婚し、1度女優を引退するのですが、その引退後に彼女の主演映画の英語吹替版が作成された際に名前が「ミシェル・カーン」と表記された様です。

これは推測ですが、引退した彼女に替る新たな女性アクションスターとしてD&Bフィルムズは「シンシア・カーン」を売り出しており、恐らくミシェルとシンシアが血縁者であるかの様な体裁で、英語圏向けに主演作をパッケージで売り込む為に変名を使用したのではないかと……



〈ミシェール・キング〉

ディクソン・プーン氏と離婚後の女優復帰作となった『ポリス・ストーリー3』(1992 )での名前です。その後の出演作品は暫くこの名前で表記されました。「ミッシェル」と「ミシェール」の違いは単に日本の映画配給会社による表記の違いで、彼女が改名した訳ではありません。



〈ミシェル・ヨー〉

『007 トゥモロー・ネバー・ダイ』(1997)以降の作品では、この名前の表記です。稀に媒体によっては「ミシェール・ヨー」と表記される事をがあります。

彼女は本名が「YEOH CHOO KHENG」なので、本格的な海外進出を機に、本名の「YEOH」を使用する様になったとの事です。

「ミッシェル」「ミシェール」が「ミシェル」になったのは、やはり日本の映画配給会社による表記の違いだけです。