映画『007』シリーズに於ける初代ジェームズ・ボンド=ショーン・コネリーと、三代目ジェームズ・ボンド=ロジャー・ムーア。

年齢的にも同世代という事もあり、比較される事の多い2人でした。


因みにショーン・コネリーが1930年生まれ。ロジャー・ムーアが1927年生まれ。実はロジャー・ムーアの方が歳上なのです。


2人が演じたジェームズ・ボンドは、同じ人物であってもキャラクターが異なって見え、それがショーン・コネリーとロジャー・ムーアの持ち味の違いでもありました。


そして、それぞれが現役のジェームズ・ボンドだった頃に『007』シリーズ以外の作品に出演する際も、その作品と演じる役柄に特徴がありました。


ショーン・コネリーがジェームズ・ボンドを演じたのは、『007は殺しの番号』(『007 ドクター・ノオ』)(1962)から『007 ダイヤモンドは永遠に』(1971)まで。(『ネバーセイ・ネバーアゲイン』(1983)は今回は除いています)

その間に出演した非『007』映画は以下の作品。


『わらの女』(1962)

『マーニー』(1964)

『丘』(1965)

『素晴らしき男』(1966)

『シャラコ』(1968)

『男の闘い』(1969)

『SOS北極…赤いテント』(1970)

『ショーン・コネリー 盗聴作戦』(1971)


明からに『007』とは異なるジャンルの作品に出演し、ジェームズ・ボンドとは異なるキャラクターを演じています。


これはよく言われる様に、ショーン・コネリーの“ジェームズ・ボンドのイメージに固定されたくない”という意識の表れです。何せ一時期は自身が演じた役で一番嫌いなのがジェームズ・ボンドだと公言していた程ですから。


一方、ロジャー・ムーアがジェームズ・ボンドを演じたのは、『007 死ぬのは奴らだ』(1973)から『007 美しき獲物たち』(1985)まで。

その間に出演した非『007』映画は以下の作品。


『ゴールド』(1974)

『ラッキー・タッチは恋の戦略』(1975)

『シャーロック・ホームズ・イン・ニューヨーク』(1976 TVM)

『ロジャー・ムーア 陰謀のカーレース』(1976)

『シシリアン・クロス 闇の仕掛人を消せ』(1976)

『ロジャー・ムーア 冒険野郎』(1976)

『ワイルド・ギース』(1978)

『オフサイド7』(1979)

『北海ハイジャック』(1980)

『シーウルフ』(1980)

『サンデー・ラバーズ』(1980)

『キャノンボール』(1981)

『ピンク・パンサー5 クルーゾーは二度死ぬ』(1983)

『露骨な顔』(1984)


ショーン・コネリーの作品選びとは対照的にロジャー・ムーアはアクション映画への出演が多く、演じる役柄も(アクション映画以外の作品でも)ジェームズ・ボンドと、そう遠くないキャラクターが多いのです。


ショーン・コネリーが役者としての幅を広げる為に四苦八苦していたのに対し、ロジャー・ムーアは敢えてジェームズ・ボンドを基準としたバリエーションの役を好んでいた……という印象を受けます。


1983年には、2人のジェームズ・ボンドが揃い踏みします。

ロジャー・ムーアはシリーズ第13作の『007 オクトパシー』に主演。ショーン・コネリーはシリーズとは別の007映画『ネバーセイ・ネバーアゲイン』に主演。主演の2人の違いが作品のカラーになっていた様に思えます。


俳優活動以外の場でも、ショーン・コネリーはスコットランド分離独立を掲げるスコットランド国民党の熱烈な支持者でしたが、ロジャー・ムーアはオードリー・ヘップバーンの勧めでユニセフ親善大使を務めるなど、やはり対照的な2人でした。


1980年代に、この2人の共演による映画『ガンガ・ディン』のリメイクの企画がありました。1939年製作のオリジナルの『ガンガ・ディン』は冒険活劇の王道の様な作品でしたから、このリメイクが実現していたら大変な話題となっていたでしょう。そして対照的だったショーン・コネリーとロジャー・ムーアの共演によって、如何なる化学反応が起きたのか……実現しなかったのが本当に残念です。