今度はいじめた。 | 尋スタジオの我がまま気まま

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いじめられたことはよく覚えていても加害者になった事はよく覚えていないのも人間のいい加減なところですね。また、そのつもりが無くても知らない間に人を傷つけ、いじめの一端を担ってたり、さらに張本人てこともある。

さて、2回ぐらい被害者の立場で書いてみたが、色々ありすぎて細かいのは詳しくは覚えていない。後からやって来て、杖をパッと奪い取られて転んで痛めたり、ツバ掛けられて逃げられたり、そらもう、様々。

ただ、大半はケンカして終りになり、二度と手を出さなくなるのが常でしたね。一寸の虫にも五分の魂って、負けても向かっていったので結局は手は出さなくなるもんでした。一番強いヤツでも。ある時など、いじめに近い状態でケンカになったんですが、ボコボコにやられて、しかもからかわれながら逃げられたりしてしまって、悔しさの余り、彼の机の中の弁当を(小2までは給食無し)教室中にバラマキ、大変な騒ぎになったこともあります。でも両成敗でしたけど。そして、私はその騒ぎが狙いの時もありました。護身の策略のひとつです。

ま、ある意味堂々とケンカが出来るうちはいいのですが、その大将の下にいるずる賢い家来が一番問題でした。これは裏に回る悪さをするんです。ノートや靴を隠すなど。やってる奴はわかってても証拠がないので手が出せない。でも何度かそんなことがあるうちに度を越した奴が現れた。

肝心の杖を隠されてしまったのだ。その頃は常に付いている訳ではなく教室内は机の伝い歩きができたので、自分の席の下に杖は置いてあった。不注意もあったのだが、トイレにも行けない状態になった。やったことが度を越していたので、犯人はすぐにわかった。同級生が教えてくれた。

授業始めになって、隠された杖が帰ってきた。もちろん同級生が持ってきた。切れた。授業開始は先生が来るまで黙想をするのだが、お構いなし。机伝いにそやつの席に近づいていき、後から首根っこを掴み、机にたたきつけてやった。もちろん取っ組み合いのケンカが始まる。もちろん残念ながら彼は私の敵ではない。ボコボコにしてやった。やって来た女の先生はビックリ。オロオロ。ケンカはすぐに収まったが、彼は泣きっぱなし。ケンカの訳は回りの話しですぐにわかったが、もちろん授業中だということで、両成敗。正座です。

その時以来思いついたことがあった。それを実行に移した。そいつを私がいじめだしたのだ。そばに来た途端にほっぺたを撲る。後からげんこを食らわす。人に分からないように抓る。物を隠すとかそんなことはしなかったけでど、とにかくしょっちゅう手を出した。当然そばに寄りつかなくなるが、スキを見たり、待ち伏せでやった。それはひどいことをしたと思う。ただ、その頃は悪いともまったく思ってなかった。

言い訳になるかもしれないが、その手下どもの見せしめにとの考えもあったり、危害を与えることで防衛線を張ろうとの考えもあった。ガキのあさはかな考えだった。1ヶ月ほどいじめただろうか。彼もよく休まなかったと思う。確かに効果はあった。大将どころか手下どもも私に対する悪さはなくなった。

でも、後に思い出す度に、自分のしたことの重さを感じてしまい苦しい思いもする。その時は何にも感じなかったが、それもやはり未熟な人間なのだろう。気がついたのはそれから1年ほど後ぐらいだったかな。小3にもなるとひどいことは無くなる。むしろ助けてくれることがはるかに多くなる。彼もその一人なのだ。この年の3学期に私はリハビリのため鹿児島市の施設に2年半入院した。よくあることだが、しばらくしたら学校からクラスみんなの手紙が来た。

その中に彼のものもあった。あのことは何にも触れずに「お母さんから離れて寂しいだろうけど頑張ってな。」と書いてあった。だいたいこういうものは先生の指導の元、適当なものも多いのだが、その手紙は心のこもった手紙のうちの一通だった。親から離れた寂しさも有り、その事が思い出され妙にしんみりとなってしまった。気がついて良かった。

後年、同窓会でそれとなくその話しを振り、謝ったが彼は覚えてなかった。いやその振りをしていたと思う。彼も私も人の子なんでしょうかね。