みなさん メッセージ性のある言葉が多く、日々勉強になります
特に過去や、日々の悩みを綴っておられたりするブログは、自分のことのように感情移入して読み込んでしまいます
私も、少し家族のことを お話しします・・・
中学生の頃までは、一般的な家庭で なに不自由もない暮らしでした。
祖父・父・母とも地方公務員で、コレと言って取り柄もない私は、将来は公務員にでもなるんだろうな~ って漠然と考えてました
母は悪性腫瘍(ガン)が見つかり、闘病の末、私が高校生のときに亡くなりました。
家計のやりくりは母がすべてしており、父は家にお金を入れませんでした。
私は、笑顔がたえない母親が大好きで、会えなくなることは本当にショックでした。
また、お小遣い等 母からすべてもらっていたものですから、母の闘病生活は 私の生活も一変させました
父親は今で言う【金銭的ネグレクト】で、本当にお金に困りました。
家にお金がなかったわけではありません。
父は・・・たぶん 【強迫神経症】だったと思います。(今でも)
父は、お金を使うことに強い抵抗感を示し、お金が絡むと家族も他人も憎む。
そんな父と付き合っていくのが、多感な思春期には苦痛でした
高校時代から昼食代として、毎日500円もらっていたのですが、お昼ご飯は食べずに参考書代に消えました。受験費用や被服費や交際費をアルバイトでしのぎました。
その後も 私は経済的に自立して行くしかありませんでした
父曰く、「バカにはお金がかかる、教科書で勉強すればいい!」「薬代とかもったいない。我慢しろ」とか、今で言えばムチャクチャな理論を振りかざし、一銭も援助がありませんでした。
当時、周囲からは変わった人間だ!で済みましたが・・・父は退職して益々 守銭奴(リアルに描くとドン引きされるので、ココで止めておきます)になっており、その長い経験から、私はお金に対して【複雑な感情】を抱くようになってしまったのです
あの頃は、父親に憎悪しかありませんでした。
ただ今になって考えると・・・
母・祖父・祖母が同時に入院しているときも、父は一人で仕事の傍ら看病に当たりました。
母が入院してる病院に、往復2時間かけて毎日のように身の回りの世話をしに行っていました
手伝おうとしても
「お前は、勉強や部活にがんばれ、そのほうがお母さんも喜ぶから」
と自分ひとりで背負い込みました。
すごい矛盾ですが、父は、昔の日本の男のように、【不器用】だったのかもしれません。
やっとこの年になってわかってきたことがあります。
人をキライになるのは簡単です
その人には必ずいいところがあるのに気づかないだけなんじゃないか? と
私は、家族や周りの人に、感謝して感謝して感謝して 最期を迎えたいと思います