わー消えた消えた長文消えたくそー。

は-・・・。

覚えてる分を簡素に。

統一地方選の結果はほぼ予想通り。大阪では維新が躍進したが

あーやっぱ無理・・・。さっきの情熱が消えてしまった。



言いたかったことは、不況と震災と政治の貧困という危機が同時にやってきてしまって、もう今の日本はやる気で何とかなるレベルじゃないってこと。



政治に関して悲観的なことを言いたがる人が昔から多くて、むしろ、悲観的であることが現実的なんだとするのがマジョリティーな訳で。そういうのはあんまり好ましいとは考えていない。
でも今俺は誰よりも悲観的かも知れない。
俺は、今の日本は戦後よりも困難な状況にあると考えている。



多くの知識人が指摘する通り、日本はずっと問題を放置してきた。そして、それはその時々の最良の選択だったかも知れない。短期的には解決する必要のない問題を先送りすることによって効率化を得たと言っても良い。
産業構造・労働問題・社会保障・安全保障・倫理観・国民の政治への関わり方・国民による政治の作り方(cf.米大統領選)など。そういう面倒な部分はとりあえず宿題として、提出はのらりくらりと誤魔化してきた。ただあまりにも長期に渡ってなおざりにされたことで、問題は固定化・潜在化した。そして更に厄介な問題を複合的に生み出すこととなった。


戦後の日本には明確な目標があったし、その方法・手段も用意されていた。それは朝鮮戦争に象徴される状況によるものと言ってもいい。特需だけではなく、米国の世界戦略の中で日本の立場が定義されたし、その役割を果たせるように育てられた。首相は米国情報部から資金提供を受け、現在も米国の年次改革要望書に忠実に法案が流れ作業のように可決されていく。日本の復興は、米国に導かれたものと言って良い。


日本人が勤勉だからという理由を聞くこともあり、それも確かに要素の一つではあるけれど、とてもじゃないが成長の原動力とは言い難い。勤勉に働くだけで、巨大な冷戦構造の世界で国際的な地位を占めることは出来ないからだ。戦後の日本人は、米国によって示された分かりやすい一本道をひたすら勤勉に邁進してきたのだ。



しかし、今の日本、これだけ問題が散在し、錯綜し、絡み合う中で、何をどうして最終的にどういった地位を占めることが正解なのかは誰にも分からない。何十年もかかって知らぬ間にそういった袋小路に入り込んでしまった。さらにそれが世界に類を見ない不況を生み出し、そこから抜け出す方策を何ら見付けられないまま、震災という強烈な打撃を受けた。

前にも書いたが、この震災は決して東北地方の災禍ではない。日本人全員が巨大な損失を受け入れることになる。これは悲観ではなく覆しようのない現実だ。今はまだ実感の湧かない人、特に西日本の人も、やがてダメージの大きさを自覚するだろう。そこでどうするか。

もちろん、脱出できる可能性はない訳ではない。しかしその可能性のあまりの低さに俺は悲観的になっているのだ。

とにかく頑張って何かを達成出来る時代は終わった。それは目標が明確で手段も揃っている時代の話だ。今は本当にミクロな次元でしか正解は分からない。戦略から個々の政策レベルに至るまで、何が最良の選択なのか、とても分かりづらくなっている。放置されている問題が多すぎて複合化しているから、正解が分かりづらくなっているのだ。頑張ろうという言葉は、バブル崩壊時代程度がお似合いで、今やそんな悠長で情緒的な言葉だけではどうにもならない。


そうなってくると、国民にはより賢くなることが求められる。非常に複雑な問題について、国民が知恵を出し合い、個々の政策について慎重な判断を下し、それを毎回冷静に選挙に反映させる。それが出来れば、日本にも未来はある。不況は既に貧困なる労働市場を固定化してしまった。労働集約型産業で人材は育っていない。震災は既に発生から1ヶ月。被害は今、目前にある。つまり一刻の猶予もなく、難しい問題に対して賢い選択を次々と繰り出してゆく必要に迫られている訳だ。


答えが簡単に分かるのなら頑張れる。ミクロな世界で頑張れば、自動的に国全体が豊かになるのなら、ただ頑張ればいい。しかし現実は全く異なる状況にある。頑張れる人は頑張る、それは当然だが、それだけでは到底立ち直れない状況だと言っているのだ。頑張るのはもちろん、国民全体として相当クレバーな問題解決能力を身に着けなければ、脱出できない状況にある。民主党にダメ出しして悦に入っているレベルでは到底ダメだ。だいたい無闇に頑張れと言っても、今の状況じゃ構造的に労働集約型産業の奴隷を増やすだけの事じゃないか。



この困難極まりない状況をきちんと認識した上で、時機を逃さず賢明なる選択を政治に促すこと、つまり、国民の間で個々の政策レベルでの議論をしっかりして、後世から見て正しいと言える結論を得て、それを毎回の選挙に反映させること、その希望を今の日本国民に求められるかと考えるに、悲観的になってしまうのだった。そして、この文章を読んだ人には、俺のこの悲観は、我々日本人に対する悲壮な檄であると解釈して頂けると有り難い。皆で力を合わせようと言うことの効用は認めるが、それだけではとても間に合わない深刻さを認識しないと日本は失血死するということが、出来れば多くの人達の胸に刻まれていることを願う。



最初に悲観的と書いたけど、悲観というのは一種の認知の歪みであって、俺はここに書いた考えを悲観だとは実は考えていない。これこそ俺自身が取り組むべき課題だと考えている。



最初に書いたより、かなり雑で不明瞭で不正確でいい加減な内容になってしまった。全部思い出せん。他にも色々言いたいことがあった。
あ、基本的に自分用に書いてるので、読んだ人勘弁な。