「どんな親でも子どもを虐待する可能性がある」のは当たり前 | 視覚障害投資家のHappy Days

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お金に関することを軸に、視覚障害者(弱視)である僕が、言いたいことをどんどん発信していきたいと思います。

3歳の男の子がひどい虐待を受け殺されるという殺人事件がありました。
本当に悲しいです。

行政の対応が問題視されていますが、僕からお願いしたいことは1つだけ。
「どんなに優しそうに見える親でも、家庭内で子どもを虐待している可能性は十分ある。子どもの様子を観察し、可能なら話を聞き、虐待が疑われるなら速やかに保護してほしい。その観点から、虐待を受けている子どもが駆け込めば無条件で保護してくれる施設をつくってほしい」


僕も父親から虐待を受けて育ちました。
身体的なものはあまりなかったけれど、精神的には本当にきつかった。
父は公務員で、社会的信用は高かった。外面がよく、家族以外からはきっと「いいお父さん」と見られていたことでしょう。
でも家では大違い。「自分の考えは絶対で、法律すら関係ない」と言うのが口癖でした。本気でそう思っていたんでしょうね。ほかの家族が言うことは全く聞かず、すべて自分の思いどおりにならないと暴言を吐く、暴力を振るうのが日常でした。


しかし僕はそんな父親を反面教師と考え、自分の考えをしっかり持ち、時々は意見をぶつけるようになっていきました。
そうしたら、比喩ではなく本当に殺されそうになり、これはヤバイと思い反射的に家を飛び出したのは、忘れもしない18歳の夏でした。


それからは、支えてくれる人達との出会いもあり、なんとか今日まで生き続けることができました。
奨学金を借り、20歳以降は年金をもらえたことが経済的な命綱となりました。
ただ精神的に不安定な時期が長く続き、苦しいことも多かったです。


もし虐待がなかったら、もう少しまともな人生を送れていたでしょう。
そうすれば、なにかしら社会貢献をし、働いてより多くの税金を納めることも可能だったかもしれません。

虐待を防ぐということは、子どもの命を守るのはもちろん、将来の国の力を強化することにもつながるのです。
行政・司法はそれを肝に銘じ、虐待が疑われるケースをどんどん摘発していってもらいたい。
親がどう言おうが、まずは子どもの状態を見て、子どもの言うことに耳を傾けてほしい。
そう切に願っています。