Twitterのトレンドの中に「無敵の人」という言葉を見つけました。
何かなと思って調べてみたら、「失うものが何もないほどつらい境遇にある人。中には、自暴自棄になり事件を起こす人もいる」といった意味らしいです。
失うものが何もないから、無敵なんですね。なるほど。
川崎で痛ましい事件が起きました。
自殺した加害者も「無敵の人」だと言われています。
詳細はまだわかりませんが、失うものがないゆえ自暴自棄になり、「どうせ死ぬなら、そこら辺の他人も道連れにしよう」と考えたのかもしれませんね。
僕も、もしかしたら「無敵の人」になっていたかもしれません。
父親は典型的なDV野郎で、家庭環境はひどく、命を守るため18歳で家を出ざるを得ませんでした。
その後は奨学金やアルバイトで生活の糧を得ながら、いろんな人に助けられたこともあって、非正規雇用ですが何とか定植につくことができ今に至っています。
弱視というハンデがあった一方で、障害基礎年金という形で毎月一定の収入があったことは大きな支えとなりました。
「無敵の人」の多くは、絶望しながらも、何かしら小さな楽しみを見つけて日々生きていると思います。
やはり死ぬのは怖いですからね。
でも、そんな小さな楽しみすら見つけられない、あるいは絶望のほうがはるかに大きい場合は、一線を越えてしまうのでしょう。
川崎の事件もそうですし、最近鉄道の人身事故がすごく多いのも気になります。
「無敵の人」を減らす方法は簡単です。
法律を厳格に運用すればよいのです。
何だかんだ言って、日本はセーフティネットがしっかりした国だと言えます。
生活に困れば生活保護を受けることができるのですから。
でも、「水際作戦」とか言って申請さえ拒むようなことをしているのが実態です。
児童虐待は「家庭の問題」として介入をためらい、体罰は「学校の問題」として加害者である教師を逮捕もせず、パワハラは「会社の問題」として労働基準法違反で責任者を裁判にかけることすらほとんどない。
これでは、「無敵の人」は減らないどころか、増える一方ですね。
私達は、「無敵の人」が増える現状から目を背け、今回のように大きな事件が起きたときだけ感情的に声を上げ、でもまたすぐ忘れて「無敵の人」が増える現状から目を背け続ける生活に戻ってしまうのでしょうか…。